第8話 逃がさねぇー! 絶対!

「……悪かった。その、呼び止めて。あと、名前……如月湊だ」

「如月湊ね。俺の名前は……」

「教えてくれるのか?」

「如月が名乗ったんだから、当たり前じゃないか」


「あぁ、そうか」と妙に納得して、転校生の方をみた。さっきまでのお怒り雰囲気は霧散して、前かがみになり腹を抱えて笑い始めた。


 ……どこに、笑う要素あった?


 突飛もない笑いを不思議そうにしていると、「わりぃわりぃ」と何年もの友人に話しかけるようにこちらを見上げてくる。


「笑わせてもらったわ! 久々に笑った」


 転校生は長い前髪をかき上げる。髪で隠れていた顔が見え、ドキッとした。


 ……はっ? すげぇ男前じゃん。前髪で隠すとか、もったいなさすぎる!


 眼鏡の奥の瞳が太陽に当たり、青みがかっているように見えた。何か言おうとして口を開いたが、何も出てこず間抜けな表情をしているのだろう。ニヤッと底意地の悪るそうな表情にさえ、ゾッとするくらい魅入られた。


「何? 何か言いかけたけど、言えなかった感じ?」

「……そういうわけじゃ。それより、名前!」

「あぁ、そう、そうだった。名前な……葉月陽翔」

「……ハズキ、ヒナト……」

「反芻しなくてもよくない?」


 からかわれているのか、こちらを見上げるように覗き込んできた。前髪はすでに下ろされているが、一度知ってしまったからには、あの瞳が僕を見つめていることくらい想像がつく。やけに頬が熱くなり、近づいてきた陽翔から、無意識に少し距離を取る。


「あら、逃げちゃった?」

「……逃げてなんて」

「本当に?」


 意味ありげに言葉を、声音を選んでいるようで、完全に陽翔のペースになっていく。だからって、言いたいことを飲み込むわけにはいかない。

 一歩、前に進めば、陽翔は姿勢を戻してゴミ箱に軽く腰かけた。


「まぁ、いいや。それで、俺に何の用? さっきも言ったけど、転校初日なんだ。なんでも、最初が肝心だっていうのに、この容姿のせいで、勝手に陰キャにされてしまって……」

「それなら、前髪を切って眼鏡をはずせばいいだろ? どうせ、伊達メガネだ」

「へぇー、よくわかったね? 伊達メガネだって」

「僕もよく使うから」

「あぁ、芸能人だからか? ここ、芸能コースもある学校だって言ってたもんな」


 度の入っていない眼鏡は安物なのだろう。玩具のようなそれを外して、プラプラとさせている。


「普通科なら、眼鏡がないだけでもクラスヒエラルキーをかけ登れる」

「別にそんなの興味もないし、煩わしいのはなぁ……顔だけって言われるのは、結構きついんぜ? 一般人には。まぁ、この学校では大人しくしておきたいし、陰キャでいいや」

「何かあるのか?」


「さぁ?」と答えたくないのか、はぐらかされてしまう。それ以上、聞いてもいいのか戸惑った。これから、僕が頼もうとすることは、まさに陽翔が避けようとしていることなのだから。


 ……もし、僕の願いを言ったら、受けてくれるだろうか? 


 目立つことはしたくないという陽翔に、歌ってくれと言って、歌ってくれるのだろうか? 目の前にいるはずなのに、とても遠い場所にいるような気さえしてくる。ただ、追いかけてきてまで呼び止めた理由を知りたいようではあった。


「それで? 俺に何か用があったんだろう? さっきは、何も言わず帰りかけた湊くん?」

「……からかうな!」

「ふふっ、からかいたくなるよ。そんな必死な顔してたらさ。さっきも、赤くなってたし、俺のこと、気に入ったわけ?」


 茶化すように陽翔は僕に絡んでくる。自分の気持ちに正直になれば、きっと、逃げられるのではないかと頭によぎったが、それだったら、追いかけて追いかけて捕まえる! と覚悟が決まった。


「……あぁ、気に入った! 葉月くん」

「はっ? マジで言ってるの?」

「大マジだが? 気に入ったんだ。昨日、河口で歌っていただろ? 今さっきも」

「……聞いて?」


 苦々しい表情になる陽翔に追い打ちをかけるように近づく。逃げられないように、手首を掴んだ。


「何すんだよ!」

「逃げられないように!」

「……逃げるに決まっているだろ?」


 掴んだ手首を振り払われ、ゴミ箱を持って走っていく。僕も慌てて追いかけた。


 ……かけっことか、超得意! 体力にだけは自身あるから!


「逃がさねぇー! 絶対!」


 ゴミ箱を持っている分、陽翔の方が走る速さは遅くなる。僕は、中学の頃から通っている学校だから、校舎内も詳しい。


「地の利は我にあり!」


 前を行く陽翔が右に曲がった瞬間、空き教室を突っ切ってショートカットする。ちょうど、陽翔が通りがかる直前で捕まえた。


「鬼ごっこはおしまいだよ?」

「ちっ、この学校、わかりにくいんだよ!」


 悪態をつく陽翔に、話を聞いてくれと迫る。壁に手を付き、逃げられないように股の間にも膝をついておいた。苦々し気に見上げてくる陽翔を見て、鬼ごっこに勝ったと少しだけ高揚した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る