第19話 1ー紅時17 巻物

 音もなく紅時達から離れて真後ろに太夫が立っている。

 其の間に男の喜助。数歩下がって末摘花。

 もう一人の男が居て、年増のねえさんの下に紅時と空蝉が、丸くなっていて、ふっ飛ばされた夕顔が木の側に倒れている。

 夕顔の姿を見ると、太夫が嫌な顔をした。


「御前は私の妹分に何した……。」


「足抜けは、手助けしたのも同罪だ。太夫だって妹分の管理が出来てなかった。同罪だ。」


 喜助が舌舐めずりをした。

 蔑みの視線が男二人を見ると、太夫が包丁を自分の首に当てた。手に添えているので、引けば首から血飛沫が上がるだろう。


「やったら、責任を取りまひょ。其の前に話をきいたらええのに。誰も私が喋ってる時は動きな。」


 太夫を見て、男二人は腕を組んだ。話を聞く態勢に入ったようだ。

 空蝉のねえさんが紅時の上から力が抜け、地べたに座り込んだ。空蝉が年増のねえさんに抱き着く。落ち着いてと、ねえさんは空蝉の口に指を当てた。

 黙りなさいの合図だった。

 紅時は鋏を握り締めた。


「此れごらん」


 太夫は包丁は動かさず、胸元から巻物を取り出した。見えるように開いてから、端を持ち投げると空に波打つ竜の如く長かった。

 紅時は客を取らなかった時に書いた手紙の内容だと直に分かった。空蝉から離れ巻物に近付く。

 上文を声に出して読み出す。



「此れよりの者、若紫の妹分、空蝉の命を軽くあしらう者に反対する。この件で若紫並びに空蝉が死んだ場合、輪上屋にお取り潰しの上申書とし、廓まとめの会にて報告す。京乃家 斎藤…………。」



 紅時は、上申書の名前を読み上げる。全て若紫の贔屓もあり他の廓の楼主の名前もあり、庶民で若紫を慕っている者の名前もあった。

 只管、読み上げる紅時の声が響く。

 男達が震え上がった。名前の羅列だけではない。名の下に血判が押されているのである。


 音もなく、見物していた女郎達が口を噤んでいる。太夫の後ろに女郎だけでなく下男や禿まで見物していた。

 一番後ろに廓の楼主が立っている。だが、声を掛けては来ない。只、名前の多さと若紫の交友の広さに頷いているようだった。


「……以上」



 廓にも横の繋がりがあるのである。廓のまとめの会は、廓の楼主かおかあさんが参加している会である。昭和になり廓組合になる一大組織である。


 紅時が読み上げると、太夫を見た。


「ねえさん。此れって……」


「まとめの会に提出する嘆願書や。空蝉を殺させない為の……」


 太夫は包丁を首筋から離さない。其の背からおかあさんが歩いて出て来て、巻物を見た。

 まじまじと見た後、巻物を丸める。


「はっ。こないな茶番に付き合うた旦那はんが、沢山おるわな……。そやけど、こないなもん揉み消したら、名前を書いた旦那はんの顔潰れるやろうな。提出してもしなくても、輪上屋の名前に傷が付く……」


 楼主が出て来て、おかあさんから巻物を受け取り、名前を確認する。


「奉行所の名前迄、巻き込んでるとは若紫は本気だね。なら、若紫はどうしたい……」


 楼主に向かって、声を張り上げた太夫。


「空蝉を第五位のねえさんに返す。お京として生きるか、伊勢の旦那はんから貰った金で年季を明けたとし店から自由にする。どちらかや……。何故なら、伊勢の旦那はんから貰った金は空蝉を殺す為のものだろう……。空蝉を殺せば噂も75日でなくなる……」


「御前の望みは空蝉の命だけか……」


「伊勢の旦那はんには義理を欠いたとして、廓界隈に顔を出させへんようにしとぉくれやす」


 楼主の目が釣り上がった。あからさまな怒りが見える。


「太客よりも女郎の命の方が重いと云うのか……」


 若紫がコロコロ笑った。


「あんたらには女郎の命等かけ蕎麦よりも軽いやろう。やったら、わっちの命とておんなじ……。なら、妹分くらい守って当たり前や」


 太夫は突き放すように述べる。


「文の通り。旦那はん達からはわっちがおらへんくなったら、上申書の提出を願いしたてはる」


「阿呆を御言い。輪上屋を潰すつもりかい……」


 おかあさんが震えながら声を発する。あからさまな憤怒。可愛がっていた女郎の裏切りに近いのだろう。


「女郎の命など安いのどすえ……。なら、女郎で稼いでいる廓も同じよし。伊勢の旦那はんの処罰と空蝉の命の保証……。どちらが安いのどすか……」


 太夫の手に力が入る。薄っすらと血の跡が出来ている。

 おかあさんが紅時の端を持っている巻物を素早やく巻くと、溜息を吐いた。


「わっちの負けどす。伊勢の旦那はんは廓の出入りを禁止どす。空蝉はお京として降格。元のねえさんの部屋付きとす。伊勢の旦那はんから貰った銭で後処理をする事になるどす。噂が広まり過ぎたどすから……。此れでええな。若紫太夫……」


「今の言葉を念書に書き付けてくれよし。以上の後に……。其れを旦那はん達に回すよってからに……」


「まだ、見せしめにするのかい……。あい、分かった。待っとれ。書いて来るよし……」


 おかあさんは肩の力を落として歩いて行く。女郎が二手に分かれて道を作った。

 楼主が柏手を二回打つ。


「喜助。仕事に戻れ……。他言は無用ぞ……」


 男二人が口惜しそうに其の場を後にする。捨て台詞はないが、表情が訴えている。


 末摘花が箒を構えた侭、男を威嚇している。

 紅時が夕顔に走り寄り、力無い上体を起こす。鋏を自分の懐に仕舞い、強く背中を叩いた。


「うっ……」


「大丈夫ですか……。夕顔ねえさん……」


「えっ……。紅時……どうなったの……」


 太夫がゆっくり近くに寄る。太夫の持っていたて包丁は地べたに投げられた。


「空蝉は殺させへんぇ……」


 其の言葉を聞いた年増のねえさんが太夫に走り寄る。


「若紫。堪忍え。おおきに、ほんまに、おおきに……」


 空蝉のねえさんは足に縋り付いて、御礼を云っている。


 腰の抜けている空蝉は動けないで居る。


「空蝉……。お京としてねえさんに可愛がってもらい……。死ぬ気で庇いに来たねえさんに恩を返しなはれ。わっちには恩等ないと思いなはれ」


 太夫が声を張る。周りの女郎に聞かせる様に微笑んだ。


「若紫太夫。おおきに……」


 空蝉が力なく泣き出すと、お京のねえさんも空蝉に駆け寄り抱き締めた。


 ざわざわと女郎達が囁やき出す、下男は逃げたのか何処にもいない。

 其れを聞いた末摘花が、箒を下ろした。









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