第8話 1ー紅時6 花魁道中前夜
道中前日は早めに眠るつもりだった。
若紫が伊勢の旦那さんに合ってから、直ぐに帰りになられ、菓子を彼女に渡した。彼女は微笑み。帰りを見送った。其の後で紅時に巾着に入った御菓子を食べさせた。
「良く今迄手助けしてくれて、有り難とう。明日が本番そやし、眠れへんやろうけど床に付きなさい。」
「ねえさん。一人で下駄の練習をするなら、危ないです。」
「流石に練習はせん。安心しておやすみ」
紅時は花魁の部屋を出ると、眠る大部屋へ向かった。禿と振袖新造ばかりの部屋である。
確かに、大部屋の禿達から質問をされたので、少しだけ答えた。
「花魁は調子はどうえ……。」
「上手くいってます。ねえさんも努力なさっていますから、大丈夫どす。」
「明日は本番だから、たんと眠り。あたい達も花魁の手伝いをするしね。」
シャシャシャと衣摺れの音がする。畳を歩いて擦る足音は夕顔が紅時の枕元に来て座った。禿が彼女を見て、直ぐに蒲団に潜り込んだ。彼女が怖いようだった。
「どうしたの……。」
「紅時は眠れるの……。新造の私、何かでも緊張してるのに……。引手茶屋まで私も歩けるか、心配で……。」
「
「振分新造の空蝉に何を失う物があるのよ。確かに若紫の御付きの禿から残ってるのは、私だけだと皆、知っているわ。此の前、新造になった空蝉に何を聞くのよ……。」
少し夕顔が震えている。
「夕顔ねえさん。寒いから入りなせ。」
紅時が蒲団を開いた。足を滑らせながら、紅時の蒲団の暖かさに震えが止まった。
「こんなになるまで、考えて……。なにが一番不安どすか……。」
夕顔が顔を蒲団に潜り込ませた。
数刻の時間を有したが回答がない。絞り出した声は弱々しかった。
「何が何だか分からない……のどす……。」
蒲団から声がする。紅時が困った顔をした。
少し溜息をすると、枕横に足があるのに気が付く。
末摘花が笑った。
「其の様な簡単な事を……。」
「末摘花……。夕顔ねえさんが悩んでるのを知ってたの……。」
「夕顔は空蝉と比べられるのが怖いのさね。今迄、誰も若紫に手出しをしなかったし、花魁道中で京吉原一番になる。見方が変わるのが怖いのさ。」
蒲団は何も答えない。
「私にいけずが多いのは……。」
「女郎の嫉妬は夕顔の時はなかったのだよ。だから、夕顔はいけずはされなかった。紅時は女として上の風格があるのさ。だから、女郎が嫉妬していけずをする。阿呆さね。おかあはんが決める前に、若紫が見つけた紅時に勝とうなんざ。」
夕顔と紅時が入った掛け蒲団を持ち上げた末摘花。
夕顔の背が丸くなる。
「若紫に禿が一人しかいないのは何故だと思う。夕顔しか名付けしなかったのは、御前を守る為さね。紅時もしかり……。」
紅時が困った顔をした。若紫は気性が荒く、寝起きは中々気を付けているのである。だから、二人も禿が付くと間違えなく一人を、若紫が贔屓にしてしまうだろう。紅時は笑えなかった。
「花魁道中が決まって部屋子として新しく空蝉が選ばれたのは何故……。」
「花魁道中には二人で荷物を持ち合う。新造と禿が最低でも四人必要。空蝉を選んだのは、おかあはんの強い意志。御前が紅時が来た時みたいに守ってやらいでどうする。」
末摘花の鼻が怒ったように広がった。
掛け布団を持ち上げた侭、話は続く。
「末摘花も廓言葉をしゃべれるの……ね。」
「紅時。今は其処ではないのよ。」
紅時が呆れた顔をした。
「禿は紅時だけではないの……。」
夕顔が消え入る声を出した。
「あ。あん。何か云ったかえ……。」
「末摘花。流石に喧嘩は辞めといてよ。禿が一人なのは仕方がないの。花魁道中には煙管持ちが、隣の子で、私が手刀。隣の子は部屋子にはならないわ。若紫が名付けをしなかったから……。」
末摘花が仏頂面をした。
「おかあはんが頼んでも若紫が従わなかったからや。」
夕顔が振り返る。末摘花を睨む。
「其の意味が答えや。」
紅時が困った顔をした。
「夕顔ねえさんは、空蝉を望んでないのどすか……。」
末摘花が阿呆らしいと顔に書いてある。
「紅時に嫉妬かえ……。もっと阿呆や。今の禿に上手く立ち回れる奴はいないよ。紅時が食わずの日付が何日続いてるのか知ってるのかい……。」
夕顔は奥歯に力を込めた。末摘花に噛み付かんばかりの八重歯で息を吸った。
「お末……。お止めよ……。」
凛とした声が響く。
若紫が引き戸を開けて立っている。其の後ろに空蝉が身を屈めて居る。
「お末、紅時……。金平糖や。皆に配りな。此の事は胸の内に……。夕顔は私の部屋に来なし。」
紅時は驚いて息を飲んだ。直ぐに駆け寄る。
「ねえさん。明日は花魁道中どす。」
「知っとる。二言三言喋るだけや。此れを……。」
和紙と瓶に入った金平糖を受け取った。
「此れじゃあ。寝れないよ……。金平糖など……。」
「お末が悪いのだろ。折角、夕顔は紅時を選んだのに……。御前が悪いのだろう。」
ゆっくりと若紫が歩いて行く。夕顔は渋々蒲団から出た。空蝉の後を着いて行く。
彼女は肩を落とし、もう既に負けを認めている。
其の姿を見ると、紅時はくらくらする眠気を感じた。
「末摘花……。私にはもう無理です。」
末摘花に全てを任すと蒲団に戻った。
彼女の周りを人がたかる。小瓶から金平糖を出し、若い子達に渡して行く。
「他言無用だよ。食べたら、寝な……。」
最後の言葉は紅時に届かない。毎日の手伝いで睡眠を削っていたので、直ぐに眠りに落ちた。
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