第2話
メルヒオル・ペ・リユからの依頼を受けた翌日の昼過ぎ、ザロモンはスチームタウン西地区にある『花と網』の近くへと足を運んでいた。
もちろん、目標である『花と網』の女房ポヴィタ・ローレンスを直接この目で見る為である。
店の周りをうろついていては目についてしまうのでザロモンは『花と網』と通りを挟んだ反対側にある料理屋の二階窓側の席に腰を落ち着けた。
運良く、窓から『花と網』の店先が良く見える場所を取ることができ、ザロモンは料理を頼むと『花と網』の店先へと目を向けた。
料理屋と『花と網』のあるこの通りはスチームタウンの工場が犇めく工場街に隣接しているといっても良いほど近場にあり、日夜働く蒸気工たちを目当てに大小様々な料理屋が軒を連ねていた。
飯時ともなれば腹を空かせた蒸気工たちでごった返し、その賑わいたるや想像を絶するものである。
また、夜になれば料理屋は居酒屋へと早変わりし、その需要を当て込んだ酒屋も当然多く、昼は腹を空かせた客が、夜は酔っぱらった客が絶えない場所でもあった。
『花と網』はそんな場所にあって4代前の市長在任中から老舗と知られた酒屋で、当主のオグレサ・ローレンスは三十路を超えるか超えないかくらいの年齢でありながら一時期勢威を著しく落とした店を立て直したことでよく知られていた。
腹を空かせた男たちの飯をかきこむ音や話し声を耳にしながら、ザロモンは自分の料理を運んできた配膳係の男に話しかけた。
「ここら辺は初めて来たけど、向こうにある酒屋さんは豪く繁盛してるねえ」
「ええ、それはもう」
配膳係の男はにこやかに答えた。
ここいらでは見ない赤みがかった茶髪を撫でつけた優し気な顔立ちで、身体つきも周りの蒸気工達に比べると細い、いや年老いた自分と比べてすら細いと言える程痩せて見えた。
テーブルに料理を置いている男にチップを渡した。
「あそこの酒屋さんはなんていう名前なんだい?」
「『花と網』という名前ですよ」
「ああ、あの老舗の」
「ご存じでしたか」
「一時期はずいぶん寂れたらしいが今の当主になって盛り返したとか」
男は大きく頷くと『花と網』の当主の活躍話を聞いてもいないのに話し始めた。
周りはまたかといった様な様子で一度こちらに顔を向けたと思ったら、食事に戻って行った。
この男が『花と網』の当主のことを話すのは日常的なことらしい。
ザロモンはテーブルに並んだ熱々の料理を食べながら男の話を聞いていた。
丁度料理が半分ほど無くなった頃、男の話は『花と網』の当主の話からその女房の話へと移り変わっていった。
それによると今の女房は四年ほど前に入ってきたらしい。
元はどこぞの娼館で娼婦をしていたらしく、前の妻を病気で亡くして丁度一年程経った頃に当主と知り合い、当主の悩みや愚痴を聞いている内に深い仲となり半年ほどして後妻に入り込んだとのことであった。
それからというもの当主の妻という立場に託けて気に入らない従業員をいびり倒したりと横暴な振る舞いが多いともっぱらの噂であると男は言った。
また、自分の友達から聞いた話だがと前置きをしてからその女房が時々南地区近くの宿泊街で若い男と一緒にいるのを何度か見たと言っていた。
宿泊街とはその名の通り宿泊施設の密集した地域で素泊まり同然の格安宿から一泊で庶民の十年分の年収を軽く超えるような高級宿も存在するような場所であった。
中でも南地区の宿泊街は男女のそういう行為に及ぶ場所として有名で、『花と網』の女房が若い男と一緒にいたというのならそういうことなのだろう。
ふと何となくザロモンは窓際から『花と網』の方へと目を向けると丁度店から身形の良い女と付き人と思われる男が出てくるところであった。
女の方は見たところ齢は二十歳を少し超えたところに見え、工場から出る蒸気の煙と町の霧によって日中でもなお薄暗いこの街にいても輝いて見える金髪と白蝋かと思うほど白い肌が目についた。
ザロモンはもしかしたら女の方は『花と網』の女房ではないかと思った。
気になったので配膳係の男に聞いてみると正しく『花と網』の女房であると断言してくれた。
ザロモンは会計を済ませると店を後にした。
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