蒸気兇人
俗悪
第1話
蒸気機関と歯車の街、スチームタウン。
その街の片隅に一軒の煙草屋があった。
そこに世間話に興じている二人の男がいた。
一人はこの煙草屋の主であり、白髪交じりの頭と顔や手に見える皺から六十を少し超えたくらいに見える。
ザロモン・モークである。
もう一人はケル・サロマーと言い、この煙草屋の常連客である。
この町ではありふれた職業である蒸気工をしており、休み時間になるといつもこの煙草屋へと足を運んでいた。
そんな二人が世間話に興じている。
内容は多岐にわたり、どうでもよい日々の愚痴を言い合っていたかと思えば、次の瞬間には最近の政治の批評に移ったりと忙しない有様であった。
と、新たな客が店の一枚扉に付けられた小さな鐘を鳴らしながら入ってきた。
客の名はメルヒオル・ペ・リユ。
このスチームタウンで一二を争うほどの規模を誇る富豪であり、貿易商を生業としている人物であった。
ザロモンと世間話の興じていたケルはあまりの大人物の登場に面食らうと同時に萎縮したように体を縮こませるや、彼との話を早々に切り上げ、そそくさと店を出て行ってしまった。
一人残されたザロモンはそんなケルの有様に苦笑しながら客であるメルヒオルに向き直った。
「メルヒオルさん、来てくれるのは嬉しいのだがね。もう少し自身が周りにどう見られているか考えた方が良いんじゃないかね」
そして堪らずザロモンは町の名士の一人が供も付けずにこんな街角にあるうらぶれた煙草屋に気軽に足を運ぶものではないと苦言を呈したのだった。
「いやはや、どうしてもね」
彼は貧しい家庭の生まれであった。
そして一代で貿易商として成り上がり、近頃は貴族たちの舞踏会にも呼ばれるようになった。
その為にそれ相応の教養と作法を身に着けてはいる。
が、どうしてもこういう街角の気取らない店を見ると貧しかった時に近所の人たちに感じた人情と気安さが入り混じったあの何とも言えない感覚に浴してしまい、あの頃に戻ったかのような行動に出てしまうのだと言った。
ましてや常連としてよく出入りしている店だと特にと。
「それで今日も煙草を買いに?」
「ははは、そうしたいのは山々なのだがね。今日は別件で」
「そうかい」
そう言いながらザロモンは奥のカウンターから出て店の入り口へ向かうと店仕舞いの看板を店先へと掲げた。
それを見届けたメルヒオルは彼に向き直り
「人を一人殺ってもらいたいのだ」
そう言ったメルヒオルの顔は先程の昔を懐かしむ優しげな表情からは思いもつかない冷酷な笑顔を浮かべていた。
そう、何を隠そう。
このメルヒオル・ぺ・リユは一見商売で成り上がった裕福な貿易商に見える(実際にそうではある)。
だが、それは表の顔に過ぎない。
裏を回ればこの男はスチームタウンの東一帯に軒を連ねる娼屋を束ねる顔役で、スチームタウンにいくつもある暗黒街でも一目も二目も見られる経歴と勢力を持った人物でもあった。
メルヒオルは四十路を少し越えているはずだが、老いを感じさせぬ若々しさ溢れる手を持参した鞄に突っ込むと中から布に包まれた包みを取りだしカウンターの上へと置いた。
「今回の依頼金だ。仕掛け料は全部で500万ギア、前金で350万ある」
ザロモンは顔を覗き込むようにして包みの中身を確かめるとメルヒオルにわかるように頷いて見せた。
「殺ってくれるね?」
「相手を伺いましょうか」
「若い女でね」
「それで?」
「西地区の職人街近くにある結構大きな酒屋『花と網』の女房でポヴィタ・ローレンスという。そいつを殺ってもらいたい」
『花と網』ならザロモンも知っている。
少なくとも西地区にある店の中では古い方で、少なくとも4代前の市長の頃から老舗の酒屋と知られていたはずである。
先代がボンクラだった為、一時期は大層店を寂れさせたが当代になってどういう伝なのかは知らないが、遠方の町から珍しい酒を仕入れてみせ店を盛り返したらしい。
「メルヒオルさん、一応伺いますがね」
「なんだい、ザロモンさん」
「その『花と網』の女房は本当に殺ってしまってよろしい人物なんでしょうね」
「この私が頼むことだよ。万一にもありはしないよ」
「それじゃあ、安心でございますね」
ザロモンのように殺しを行ない金を稼いでいる者たちには頼む方も頼まれる方も定法というものが存在する。
それは仕掛けの目標が必ず「この世に存在しては迷惑する奴」というものである。
その点、このメルヒオル・ペ・リユは信用のおける依頼人だと言って良かった。
ザロモンは気づかず肺に貯めていた空気を吐き出し一息つくと、カウンター上に置かれた包みを取って己の懐へと入れた。
その行動に頷きを返したメルヒオルは
「まあ、急ぎではない。ザロモンさんの好きなようにゆっくりやってください」
と言って店を出て行ったのであった。
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