二十 第一級の容疑者

 警部の取調べが終って、部屋へ戻ったと思うと、一馬とあやかさんが青くなってやってきた。部屋へ戻ったら、鍵をかけて出た室内に、机の上に一枚の紙片がおかれていたというのである。

 それは今までの例と同じく歌川家の用箋を用いたものに、ペンで、

  八月九日、宿命の日

 と書かれている。

 その日の夕方は秋子さんの屍体を火葬場に送るためにゴタついており、我々全員、草林寺へでむいて、解剖室から元の本堂へ半分化けそこねているような乱雑なところで、お経をうけたまわり、車につんだ秋子さんを見送って、戻ってきて、やがて食事となった。一馬とあやかさんは何かにつけて多忙であり、そのときは自室に戻る余裕がなくて、食卓につき、カングリ警部の取調べを受けてようやく自室へ引きあげてきたのであった。

 一馬夫妻と私は巨勢博士の部屋をたたいた。

 博士はトランクをひっかき廻している最中であったが我々の話をきいても、一向に驚きもせず、

「ハア、そうですか」

 益々多忙にトランクをひっかき廻している。そして彼が何物か見つけだして、ようやくホッとしたのを見ると、何のことはない、ただ一足の靴下にすぎないのである。

「何だい、その靴下は? 何かの証拠物件かい」

 とイヤ味を言ってやると、エヘヘと笑って、

「いえ、あした、旅行しますもんで、ついでに、東京へでて、あの子を訪ねるコンタンなもんで、あの子はキレイ好きですから、靴下だけは何です、僕はいつも彼女の命令によって心掛けているんでさア」

 と、嬉しそうである。

「敗北とんそうというわけかい」

「いいえ、勝利にいたる道でさア」

 と、一つ息ごんでみせて、

「どうも、面目ありません。タマツキの賭なんかに夢中になっちゃって、まったく、失敗しましたよ。しかし、なんです。犯人は逃しゃしません。何ですって? ああ、八月九日、宿命の日か。八月九日までには帰ってきますが、歌川先生御夫妻はくれぐれも御注意下さい。部屋の鍵は紐でグルグル巻きに結びつけるのも結構です。食べ物にも御注意下さい。それから、昼も、一人歩きはつつしんで、なるべく数人かたまって暮らして下さることでさア。ママ心第一。人を見たら、人殺しと思うことですな」

 巨勢博士は今度は新しいネクタイをとりだして、思わずニコニコしている。

「なんのために、旅行にでるのさ」

 私が、こうきくと、

「物的証拠を探しに、です」

「証拠は、ここには、ないのかね」

「ハア、ありません。ただ、犯人は時間と空間の関係に、ぬきさしならぬ姿を現しているのですがね。それから、心理に於いて。然し、物的証拠がないのですよ。そいつを探しに、でかけるわけでさア」

「じゃア、君は、犯人を知っているのか」

「ハア、それはもう、どうしても、その御仁でなければならないという、こいつはハッキリしたもんでさア。けれども、なにしろ、時間と空間の算式なもんで、こいつは法廷へもちだす証拠にはなりかねますんで、然し、なんでさア、いよいよ証拠がなきゃ、時間と空間の算式だけで、法廷へもちだしまさア。ヤケでさアね。散々なめられちゃって、まったく、くさったな」

 と、頭をかかえた。

「どこへ行くのだい」

「方々ですよ。天下くまなく、どこまでだって、こうなりゃ、意地とヤケクソで、水の中でも、くぐりまさア」

 と、てれたように、ニヤニヤした。

 翌朝の食卓は、秋子さんの遺骨を迎えることもあるので、みんなそろって、食卓についた。みんなそろってと言ったところで、この食卓の顔ぶれからは、王仁、珠緒さん、千草さん、内海、秋子さんが殺され、海老塚が遠ざかり、残っているのは十二名、巨勢博士が旅行にでると、十一名になる。

 神山東洋が巨勢博士に、

「巨勢さん。物的証拠をさがしに旅にでかけるそうですが、いかがですか、推理の一端についてもらしていただけないものですか。私はこの事件のヤマは七月二十六日事件、加代子さん殺しの場合にあると思うんだが、あれがもし、土居画伯をねらったものなら殺人鬼の仕業だが、加代子さん殺しが狙いとすると、犯行の動機は極めて単純明快になるんじゃないかな」

 巨勢博士はニヤニヤ返事をしない。

 ピカ一が口をだして、

「へえ、オレをねらえば殺人鬼か。それは又、とんだデク人形に見立てられて、恐縮だな。加代子さん殺しが目的なら、単純明快か。犯人は誰だい? え、わが悪徳弁護士先生!」

「そいつは分りませんよ。動機は単純明快と申したのです」

「じゃア、宇津木女史や王仁や内海は、どうなるんだい」

 と、丹後が冷笑するように言う。

「まア、それは別と致しまして」

 と、神山弁護士、話をさばくに巧みであるが、文士が相手じゃ、うるさいもので、

「何が別なの?」

 と、丹後がきく。神山はちッとも騒がず、

「まア、そのサバキは最後に探偵におまかせと致しましょう。この七人の殺人事件のうち、大別して二つに区分することができますな。第一が、我々のうち、誰でも犯人でありうるもの、これは王仁殺し、珠緒殺し、多門殺しの三件で、多門先生の毒殺も砂糖壺にモルヒネを入れるというのは、誰にもできた筈ですよ。第二が、特定の人しか出来ない場合、これは千草殺し、内海殺し、加代子殺し、宇津木殺しの四件で、ある人々は完全に犯人であり得ない。この完全に犯人で有り得ないという人物を、一人ずつ、取りすててみたら、いかがでしょう。そして、どうしても容疑者を免れ得ないという人物に不服があったら、釈明をきいて、我々全員を陪審員に、ひとつ判定を下そうじゃありませんか」

 誰も返事をしなかったが、神山東洋は平気なもので、

「先ず千草殺しの場合ですな。火葬場からの戻り道、単独で戻った人は、みんなケンギをまぬがれない。二、三人連れだって帰ったうちでも、一馬さんは、いったん戻って、草林寺へ行って三十分間、このアリバイがないから、これもケンギをまぬがれない。結局怪しくないのは巨勢さんと人見さんが組みで帰り、私と坊さんと一馬さんが組みで帰って、このうち、巨勢、人見、坊さんと私だけがケンギの外にあるわけですな。第一着の土居画伯、第二着の内海さん、一馬さん、三宅さん、丹後さん、矢代さん、以上五人の方にはアリバイがない」

 誰も口を入れる者がないから、神山夫人木曽乃さんが口をはさんで、

「でも、第一着の土居さん、第二着の内海さんは、別にアリバイの必要もないでしょうよ。あたりまえに歩いたお時間でしょう」

 神山は我が意を得たりとうなずいて、

「それもある。内海さんは千草さんとアイビキに三輪神社へでかけたが、千草さんが見えないので戻ってきた。然しこのとき、千草さんを殺して来たかも知れないですよ。いったい、千草さんが、顔にスッポリとフロシキを目隠しにかぶって、フロシキごとしめ殺されていたというのが、普通じゃないようですね。つまり、非常に親しい同志だから、目隠しなどのふざけた遊びが許せたわけで、その虚をついて、しめ殺した、そう想像ができるでしょう。すると、内海さんなんかも、容疑者から、まぬかれがたいようですな。その間に土居画伯は内海さんの先を越して戻られたから、まア、土居画伯に限って、ケンギの外におくべきかも知れませんな。私は然し土居画伯も単独だから、単独は、ともかく、ケンギの一つですよ。なぜなら、私はこの村の地理にくわしいから心得ていますが、火葬場からとうげへ上るでしょう。あそこから二、三町くると、ちょッと人目につきませんが、谷をわたって三輪神社へでる間道があるのですよ。というよりも、まれにキコリが歩くような、そこの草だけが踏まれて生え方が少し低いという程度のものですがね。ともかく、この間道を三輪山へでると、三輪山を一廻りして歌川家の裏門まで戻ってきても、あたりまえの道を歌川家まで歩いたのと、十分か十五分の相違しかないのです。こういうヌケ道があるから、単独の人は、みんなケンギをまぬがれないのです。ただ土居画伯の場合は内海さんよりも先に帰っているから、これはまア、ケンギの外におくべきでしょう。そのほかの方はいけない。ヌケ道を一ッ走り、みんな、やれますよ。然し、ですな、ここに、もう一つ、問題がある」

 神山は人をくった顔付であった。

「私は元来この場所におられぬ方々については言をさけたい主義ですが、問題が問題ですから、仕方がありません。いったい、千草さんが六時ごろアイビキにでたという、これは諸井看護婦の証言ですよ。ところが、そのほかの人々は六時出発の千草さんを見た人はない。要するに千草さんが何時ごろまで家にいたか、五時ごろまでは見た人がいますけれども、そのあとの一時間は明白ではない。諸井看護婦は六時から八時まではアリバイがあるのですが、実は六時以前に、すでに千草さんが殺されていたとしたら」

 それまで、一向にとりあわぬ顔付の一同も、にわかに緊張を隠すことができなくなってしまった。神山東洋は、そんな気配は、気にかけていないように、とりすまして、

「ともかく、田舎のアンチャン、カアチャンの犯罪でも、伏線、偽証、却々額面通りに受けとれないもので、必死の知能、驚くべきものがあるものですよ」

 彼は興をそそっておいて、すぐ、話題をうつした。

「さて、次に、内海殺しの場合ですが、このときは、二階の廊下を見晴らす位置に土居画伯が目玉をむいてガンバリ通していらした。だから、二階に犯人がいない筈だというのが通説です。然し、土居画伯が酔っていた、ということは、やっぱり考慮しなければならない。土居画伯が鎮座まします位置に近い人々、一馬さん、巨勢さんなどは、ちょッと顔をだしても怒鳴りつけられたかも知れませんが、もう丹後さんあたりからは、相当はなれているのだから、ふらりと便所へ行っても、土居さんもインネンをつけなかったと思いますがね。便所は土居画伯の鎮座の位置の反対側のことですからな」

 彼は面白そうにジロジロと人々を見まわした。

「丹後さんと向いあって人見さん御夫婦、丹後さんの隣は私。その次が三宅さんと宇津木さん、その向いが一つ空室をおいて矢代さん。ところで、ですな。二階の便所は、便所へ行くと見せかけて、階段を下りることができるように出来ていますよ。こいつを見分けることは、酔っ払っていなくったって、土居画伯の鎮座の位置からは不可能なんですな」

 一座は又、ちょッと、色めいた。これは然し、話術にすぎない。決して、実際の真理をママ破しているという性質からきているものではないのだから、私も癪にさわって、

「君の言うようじゃ、まるで私なんか、いつでも階下へ降りて内海を殺せると言ってるようじゃないか。然し、そんなことよりも、問題は、私が便所へ行ったか、それをピカ一が見たか、ということじゃないか」

「まア、まア、矢代さん。これは単なる可能性を論じているにすぎないですよ。あいにく、土居画伯は酔っ払って、当時の記憶はハッキリ致しておらぬ始末で、そこにつけこんで、私は目下、単なる可能性の限界を申上げているのです」

「だからさ。ピカ一の酔っ払っていることをとりあげる以上、丹後の部屋から遠方だけを問題にするのは当らないさ。一馬も、巨勢博士も、便所へ行くことができた筈だ。外へでられなかったのは、あやかさん一人だけじゃないか」

「まったくです。これは私の推理のあやまりでしたな。なるほど、丹後さんを限界においたのは、おかしいですな。一馬さんも、巨勢さんも、便所へ行けない筈はなかった。然しですな。あの晩の状況より推察しまして、一馬さん、巨勢さんなど、近い位置から扉をあけると、土居画伯は嚙みつくように怒鳴りつけるにきまってますよ。するとですな、土居画伯は酔っ払って翌日の記憶にないかも知れませんが、私たち、室内の者は、土居画伯の喚き声によって、その状況を知ることができた筈です。然し、廊下の遠方なら、たぶん、土居画伯は喚かなかったに相違ない」

 一座はどうやら、今度は、その真理によって、説得せられたらしい。神山はすぐ、話をかえて、

「さて、次には加代子殺し。これは多門殺しと同時に起った同じ毒殺ではありますが、その性質は違っております。多門殺しの場合は、一時半から三時まで、調理場は無人ですから、我々の誰でも、砂糖壺にモルヒネを入れておくことはできた。尤も、加代子さんが広間に読書しておられた由ですから、加代子さんはその犯人を見たかも知れない。然し、加代子さんには見られても、よかったのですよ。なぜなら、加代子さんも、同時に死んでいる筈なのだから」

 神山は加代子殺しをピカ一殺しの間違い説からアッサリ切りはなしているが、ピカ一はもう、うるさいや、と言う顔付で、文句を言う気もない様子であった。

「加代子殺しは問題ですよ。この場合、毒薬は、ある特定の数分間をおいて投入し得た者は、調理場にいたツボ平夫妻、木曽乃、八重、海老塚、及び、小用に立った、あやか夫人、京子夫人、一馬さん、矢代さん、巨勢さん、三宅さん、それに、私です。そのほか、加代子さんとコーヒー茶碗をとりかえた土居画伯も、最もケンギをまぬがれることができません。むしろ、土居画伯が、超特別に疑られて然るべき立場にあります」

 ピカ一は勝手にしやがれと言わんばかり、とりあわなかった。

「然し、問題は、このカケているコーヒー茶碗ということでして、常にそれを取り扱っているツボ平夫妻、八重、木曽乃はそれを見分けることができても、他の我々には、土居画伯の茶碗はカケているとは知っていても、どのようにカケているかは知らないのですよ。更に、又、それ以上の大問題は、歌川家のコーヒー茶碗は土居スサノオノミコトによって破壊され、若しも新たに客人がふえた場合は、土居画伯同様、カケたコーヒー茶碗を割り当てられる運命にある。このことを犯人が知っていなければ、この犯行はなりたたないということですな。私は犯人は元々加代子殺しの狙いで、土居画伯暗殺失敗説はとるに足らずと見るものですが、さて、加代子殺しが狙いとすれば、ケンギの第一はコーヒー茶碗をとりかえた土居画伯、これは何といっても、最大のケンギをまぬがれませんよ。次に、もし又、犯人は土居画伯でないとすれば、毒薬は土居画伯のコーヒーにはいっていたことから推して、犯人は、加代子さんのコーヒー茶碗はカケた茶碗であることを知っていた。然し、カケた二つの茶碗の正確な見分け方は知らなかった。これが、一つの場合。も一つの場合は、カケ方の少い方の茶碗、つまり土居画伯のコーヒー茶碗は、犯人の予定によれば、当日は加代子さんにくばられる筈になっていた、それを給仕人の八重が、うっかり常々の習慣通り土居画伯にくばってしまった。あるいは又、犯人はかねて加代子さんのコーヒー茶碗がカケたものである筈のことを知ってはいたが、一々コーヒー茶碗をしらべる余裕がなかった、そこでトッサに目についたカケ茶碗に毒薬を投入した、というような火急の場合による手違いも有り得たろうと思われます。以上のべました通り、加代子さんがこの食堂へ現われた場合はカケたコーヒー茶碗を用いるであろうということを知っているには、この家の調理場の事情に精通しなければならない道理で、然し、元来、加代子さんの殺害を企む以上、その犯人は当家に精通したものに限られている筈であります」

 私はいささか腹にすえかねて、口をだした。

「神山君の話の様子では、犯人は、歌川家の遺産問題ときまったようじゃないか。王仁や内海や宇津木さんの場合はどうなるのかね。歌川家の遺産問題が犯罪の動機とすれば、ここに十一名出席しているが、犯人たるべき人物は、幾人もおらぬ。殆んど、きまっているようなものではないか」

「それはですな。この幾つかの犯罪が、みんな同一の犯人によるか、別の犯人によって行われているか、これはにわかに断定できないことですよ。同一の犯人かも知れません。場合によっては幾つかの別々の犯人によって、各々バラバラに、事件が構成されているのかも知れません。然しその問題に就いての考察は後まわしにして、次に宇津木殺しの場合を見ようじゃありませんか」

 神山は犯人を見ぬいているような落ちつき払った口ぶりであった。

「一昨三日は朝食後夕方まで完全なアリバイをもつ人物は、先ずあいにくですが、タマツキゲームの三人組、土居さん、巨勢さん、私の三人を筆頭にあげなければなりませんな。この三名は、ちょッと便所へ立つのももどかしいほど角突き合せていましたからな、次には、演劇講習会へ御出席の人見さん御夫妻、これもアリバイは完全です。次にN町へでかけた人物のうち、二番バスつまり十時四十分N村発に乗った京子さん、諸井看護婦、木曽乃、この三名はその一時間前に当家を出発する必要があり、十時四十分から十二時三十分までは同じバスに乗り合わせていたのですから、これ又、犯行推定時間十時半乃至十一時には完全にアリバイが成り立つわけです。次に一馬さんはF町の親戚へ行っておられて、これも亦、ほぼアリバイに疑いはないようですな。さて、あとに残りました、御五ツ方」

 と、神山はちょッとてれくさそうに、ニヤニヤした。

「これは、又、おどろいたね。僕も亦、容疑者のクチかい」

 と、丹後弓彦がねむそうな目を案外キリッと神山に向けて、

「僕は君、ブナの森からブラリブラリと、十時五十分のバスにはちゃんと街道へでて、乗りこんでいるぜ」

「けれども、失礼ですが、丹後先生、先生のブラリブラリは、全然御時間の観念がお有りではないようですからな。先生はたしか時計をお持ちでないようですが、拝察するに、ここ十年か十五年間、先生は時計を所持なさらずに生活していらっしゃるんじゃありませんか。先生は十時五十分のおつもりでも、十二時二十分のバスかも知れませんぜ。実は証拠があるんでさア。この村の者で、十二時二十分のバスに先生と乗り合した者がいて、あとは先生の仰言おつしやる通り、街道のマンナカに手をふりあげて乗りこんでいらした、それは先生の仰言る通りだと申していますよ。これは、もとより、カングリ警部もちゃんと知ってることなんですよ。あのカングリ先生が我々を取り調べにくる時は、実はもう、我々の答える以上に調べた上で、顔つきなんか、見にくるだけのことなんです。相当のくせものですよ」

 丹後は黙して答えなかった。

「さて宇津木殺しの可能の方は、ただ今の丹後さん、それから、鉱泉組の矢代先生とあやか夫人、この御両名は、例の間道を行って案外の短時間に宇津木さんを殺してくる可能性も、なきにしもあらず、ですな。次に三宅さん。三宅さんが三日の始発に乗ったという確証は目下のところないようです。乗ったにしても、N町から、様子を変えて戻ってきて、兇行を犯して、又、もどる。そして夕方五時に何食わぬ顔、バスに乗って帰ってくる。それも不可能ではないようですな。それから、最後に、海老塚先生、以上のオン五ツ方は、この事件の容疑者をまぬがれることができません」

 神山はニヤニヤしながら、フトコロから手帳をだした。

「実は、オセッカイのようですが、私はかねて、ちゃんと控えをとっておきましたから、ただ今申上げた四ツの事件の容疑者を、もう一度、改めて、ならべてみましょう。

 千草殺し 土居画伯。内海先生。一馬先生。矢代先生。三宅先生。丹後先生。但し諸井嬢の偽証の場合可能也。

 内海殺し 丹後先生。人見御夫妻。神山夫妻。宇津木先生。三宅先生。矢代御夫妻。その他母屋の住人。

 加代子殺し 土居画伯。ツボ平夫妻。神山夫妻。三宅先生。一馬御夫妻。矢代御夫妻。巨勢博士。海老塚先生。

 宇津木殺し 丹後先生。あやか夫人。矢代先生。三宅先生。海老塚先生。

 以上のようになりますな。通観しまして、全部に通じて可能性をもつ方は、矢代先生。矢代先生の奥様は最後の宇津木殺しにアリバイがあります。次に三宅先生。この御二方だけが、全部に可能。三ツの事件に可能な方は、海老塚先生、丹後先生。さて、皆さん。まことに奇妙な話ですよ。七ツの殺人事件のうち、多門殺し、珠緒殺し、加代子殺し、この三ツは明らかに動機に一貫性があり、他の四ツは各々動機がバラバラであるのに比べて、最も主たる犯行に思われますが、以上四ツの事件の共通の容疑者を調べてみますと、この主たる動機に関係のある人物が容疑者の中に現れてこないのですな」

 この説明は人々に深い印象と、多くの興味を与えたようであった。

「さて、これからが問題ですよ」

 と、神山は、悠々、落着きはらって人々を見渡した。

「すると、これはいったい、何事を意味していますか。先ず第一の問題は、この七ツの事件は、動機のバラバラな、したがって、各々犯人を別にする犯罪であるか。同一の犯人による一貫した計画殺人であるか。前者の場合は、先ず、常識上、不可能ですな。テンデンバラバラに殺し合う、そんなことは、先ず、いかに芸術家の異常世界に於きましても、いささか不可能なことですな。それはまったく、文学者は、大概、大犯罪者ですよ。いわゆる探偵小説の流儀によりますと、大探偵は大犯罪者の表と裏だと申しますが、そうじゃないようですな。小説をつくる文学者は、大犯罪者の裏と表ですが、探偵は違いますよ。探偵は、つくる人ではなく、見つける人だからですよ。矢代先生の御説によると、巨勢博士は小説が書けない方だから、大探偵の素質があるのだそうですが、まさしく、それが真理ですよ。そしてですな、それが真理であるということは、逆に文士の皆様方は、たいがい、大犯罪者の素質をもっておられる、という意味でもあります。ただし、これは、弁護士にも当てはまります。これ又、皆様方には比べようもありませんが、ともかく、これも、人間関係をつくりだす商売ですからな。然し、我々が平凡なのに比べると、先生方は天才的であらせられる。平凡な我々は、犯罪者と同時に探偵的才能もあるわけですが、天才的な先生方は全然探偵の能力なしに、徹底的に、ただもう、大犯罪者の素質だけをお持ちなのですな」

 神山は、気の弱そうな笑いと、ちようろうするような笑いと、いつも二つを同時に含めているような笑い顔をする奴であった。

「この七ツの事件を、同一犯人の一貫した計画殺人と見る場合には、しからば、何故、犯人はレンラクのないバラバラ事件を構成したか、ということが問題になりますが、これがつまり、犯人の狙いなんですよ。真の動機をくらますためですよ。この犯行のどの一つかが、あるいは、いくつかが、犯人の真に目的とする犯罪であり、他の犯罪は、その目的をごまかすための細工にすぎない犯罪ですよ。なぜ、そのような細工が必要か。なぜならば、動機が分ると忽ち犯人が分ってしまうからですよ」

 と、神山東洋は、巨勢博士と同じことを言いだした。

「動機は何だい?」

 と私がきいてやったら、

「さて、その動機の問題ですがね」

 と、又、変な含み笑いをした。

「なにぶん天下の大犯罪者が一堂に会しておられるのだから、ヤツガレ如きが動機をうんぬんする手はありませんよ。最も動機の明白なるもの、必ずしも、犯人の真の動機とは限らず、最も利害の大なるもの明白なるもの、必ずしも、犯人の真の目的にあらず、ですかな。巨勢博士、いかがですか」

 巨勢博士は答えない。すると丹後が、

「神山君は、四ツの事件の共通の容疑者をあげて、矢代と三宅だけが全部の犯罪に共通しており、最も主要な犯罪と見られる歌川家の財産関係の犯罪の容疑者たるべき人物が、姿を現していないと言ったね。然し、君、共犯者ということがあるよ。単独では共通していなくとも、二人乃至数人で共通している場合が有りうるじゃないか。だいたい、半月あまりの短時日に七人もの人間がバタバタ殺され、それが警官の警戒厳重のさなかなのだからな。共犯者なしに、出来ることじゃアないね」

「ごもっともです」

 と神山はうなずいた。

「然しですな。歌川家の問題としては、たとえば一馬さん御夫妻ですな、このお二人が共犯としましても、内海殺しの場合には、御二方とも決定的に不可能だというヌキサシならぬ事情があるのですな。このお二方に、さらにほかの共犯者が、どこやらにおりますか」

 すると一馬はいささかフン然たる面持で言った。

「まったく、僕が、第一級の容疑者であることは、認めますよ。事態が、そうなっているのだから、仕方がないね。僕は然し、ケンギだの、容疑者だのと、そんなことは、身に覚えのないことだから、全然気にかけていませんよ。僕が不安、気がかりなのは、八月九日のことですよ。いったい、何者が、何事を企んでいるのですか。八月九日に、僕がこんど殺されたとしたら、その結果は、どういうことになるのですか」

 はじめのフン然たる勢いに似もやらず、語りすすむうちに、語気衰え、不安と恐怖のために、自然と顔がゆがんでいる。

 巨勢博士が、時計を見て、立ち上った。

「時間がきましたから、僕は失礼します。八月九日までには、必ず帰るつもりですが、皆さん、お大切に。なんしろ、もう、神山さんの大推理にウットリしちゃって、すっかり時間がおくれちゃって」

 と、挨拶もそこそこに、慌てふためいて、とびだして行った。

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