十六 歌川家の秘密

 警官からの希望で、多門老人の遺言状をしらべることになったが、金庫をあけると簡単にでてきた。

 しかし公式なものではなく、ただ多門の署名があるだけのもの。月日は、昭和二十二年七月二十四日、つまり殺される二日前に書いたばかりのものであった。

 この遺言は一馬にとっては全く意外なものであった。

 多門は先ず加代子が珠緒なきのち唯一の娘であることを告白し、遺産の全部を一馬と加代子の両名で公平に二分すべきことを書き遺しているのであった。

 そのほかに、分配に先立って、お由良婆さま、片倉清次郎両名に二十万円ずつ与えるようにと書いてあった。

「片倉清次郎とは、どなたですか」

「一生を当家につかえた番頭ですが、この春から病気になって、休養している者です。もう、七十六の老齢ですから」

 カングリ警部は遺言の写しをとり、片倉清次郎の住所をきいて立ち去ったが、遺言状の発見によって、加代子さんの殺害に有力な動機が見出されたということに関心を深めたことは察せられた。

 ところが警部の一行と行き違いに、片倉老人は家人につきそわれ、車にゆられて、主家へ弔問に来たのである。もう歩行にもほとんど困難な病体だった。

 彼は主人の遺骸の前にぬかずいて、ものの十分は顔をあげることができなかった。

 警部の一行は行先を知って引返し、遺骸のある部屋で片倉老人の話をきいたが、一馬と私もその席にいた。

「当家に仕えて何年ほどになりますか」

「私の十六の年ですから、当年七十六、六十年の大昔になりますなア。そのころは当家の財産も時価で十万か十二、三万、わずかそれだけの額で、やっぱりその頃から屈指の長者でありました。時世の移りかわり、又、当節の大変動にも驚きますが、敗戦とあれば、これも当然でありましょうか」

 片倉老人は病み衰えていたが、頭はシッカリしており、何らの学歴もなかったけれども、着実な識見を具えているのが察せられた。

 警部の態度も、自然改っていた。

「お加代さんの母親が自殺したということは事実ですか」

「左様です」

 片倉老人は目をとじて、念仏でもつぶやくように口の中で言った。カングリ警部は意外にも深いいたわりをこめて老人を見つめながら、

「片倉さん、むろん我々も警察や役場の古い記録をしらべて表面のことはとっくに理解しているのです。一生の誠意と愛を捧げられた主家の秘密について、お年寄に無慈悲な告白を強いるなどとは、まことに心ない業で、我ながら鬼のようだと思いますが、然し、片倉さん、今やこうして当家に続出している奇怪な犯罪について思いを致すとき、その無慈悲をあえてしても、ものごとの真相を突きとめなければ、犯人の姿もまた、つきとめることが出来ないのですよ。まことに御無理と思いますが、決して他言は致しません。当家の古い傷についても公人としては一切きかないことに致しますから、まげて真相を打ちあけていただきたいのです」

 こう言ってカングリ警部は老人を見た。老人の眼に穏かな理解の色が静かにこもって、警部の心を受けいれたようであった。

「お加代さんの母親は、自殺ではなく、他殺であったということが、一部の老人に言い伝えられているのですが、これは、事実でしょうか」

 老人は目をとじて、しばらく答えなかったが、

「警部さん。それは私にも分りませぬ。思えば私の軽率が、当家に御迷惑をおかけしておるのかも知れませんのじゃ。あの人の首をくくった物置は今はとりこわして有りませんが、首のうしろに一つ結んで、物置のはりにぶらさがったのが、シゴキが切れて、下へ落ちて、ことぎれていた。このシゴキがお梶様の持ち物だったのと、その場に残された死人のはきものが、お梶様のものと本人のものと片々ずつになっておった。それを見て、私がトッサにハッとして、お梶様の下駄を隠し首の紐を解いて隠して別の縄にスリかえた。山奥の駐在の当時のことで、縄をといて人口呼吸をしたと言って、難なく言いのがれて自殺ということで通りましたが、秘密は必ずもれるもので、そんなうわさが今もって残っているのも、元はといえば私の軽率、まったくのところ、九分九厘まで自殺であろうということを、私はズッと信じていますのじゃ。お梶様は気性の強い、ヒステリー症の御方であったが、何がさて、瘦せて、非力で、人をしめ殺す腕力などのないことは、冷静に考えてみれば誰にも察しのつくことだが、とッさのことで、私はいちに思いこんで、あわてましたのです。間の悪いことに、その当時、旦那様の秘書をしており、私と共に現場へかけつけたのが神山東洋という悪漢ですのじゃ」

 我々の驚きは深刻であった。私や警部にまして一馬の驚きはひどかった。彼は蒼ざめ、全身が石のようにかたまっていた。

 警部は同情をあらわして、うなずいて、

「よく分りました。それで、神山東洋という人が歌川家をゆすっていたという風説も噓ではなかったのですな」

 片倉老人は一分間ほど休息とでもいうように沈黙していたが、

「神山東洋のユスリには、もう一つ、当家の秘密があるのですじゃ。このことは、若旦那様も御存知ないかも知れませぬ。このような事件がなければ、全てを私の棺に閉じてもらさぬつもりでおりましたのじゃが、何がさて、今度の騒ぎは気がかりのことじゃ。私が本日、でましたのも、弔問のほかに、実はこのことを若旦那様に申し上げよう為でしたのです」

 老人は又、休息した。

「旦那様がまだ二十のとき、東京の遊学先に宿の女中とたわむれて生れた子供がありましたのです。この子供を遠縁にあたる海老塚の家へ養子にひきとらせ、女の方とは手を切りましたが、この子供が長ずるにつれて、まことにタチのよくない御方で、サギはやる、ユスリはやる、遂には強盗をはたらいて、獄死いたしたのです。この御方は二十の時にもう結婚して、二人の子供が残されたのじゃが、二人の遺児の弟に当るのが、ただ今、当村に医者をしている海老塚晃二という仁ですのじゃ。この仁は、旦那様の孫に当る御仁じゃ。その兄の玄太郎という御方は三年前に三児を遺して亡くなられた。三児のカシラはまだ十一ぐらいの幼少で、当村から十二里ほどのM村に未亡人が百姓をして育てておられる。今はもう当家と無縁で、別に仕送りも致してはおりませぬ」

 カングリ警部も二の句のつげぬていたらくである。一馬はまったく蒼ざめてしまった。

「旦那様の隠し子を海老塚へ養子にひきとらせたとき、この海老塚という仁はまことに温厚な仁で、よく約束をまもって、歌川多門様の種であるということは露ほどももらしませぬ。よって、籍は実子としてありまするから、サギはやる、ユスリはやる、遂には強盗まで働いたほどのタチのよからぬ人物が、死に至るまで歌川多門様の長子であったということを知りませなんだのです。その遺児の玄太郎と晃二のうち、晃二は秀才でもありましたところから、無医村の医者に仕立てるという名目で学費をだしてやりましたが、これとても、孫であるということは、知るよしもありませなんだ、ただ一人、この秘密を知りましたのが、神山東洋という悪者奴でありましたのじゃ」

「それを海老塚医師に教えたのですね」

 片倉老人は、それに答えず、又、しばらく言葉をやすめていた。

「神山めは、このことをも種にして、お梶様をゆすりおったのじゃ。もとよりかような秘密を知る由もなかったお梶様は、びっくりなされて私に真偽をききただされたようなことも有りましたが、神山めは、海老塚に全てを知らせて財産分配の訴訟を起させるが、それでもいいかと言うてユスリおったわけでしたのじゃ。私は神山めを幾たび殺してやりたいと思うたか知りませぬ。まことに、殺してやればよかった。惜しからぬイノチじゃ。思えば、口惜しさ、このことばかりに今もって、死にきれませぬ」

 老人はハラハラと涙を落した。

 深い沈黙を破って、八丁鼻が思わず一膝のりだした。

「すると、お梶様が毒殺されたという風説は、根のないことではありませんな。フーム、こいつは、もう一度はじめから、新しい根をほじくり返してかからなきゃア」

 カングリ警部は冷やかに、

「一年前の白骨を掘りだして、毒薬がでてくるとでもいうのかい」

 それから片倉老人に向って、

「片倉さん、最後にただ一つ、おききしますが、一馬さん、それから亡くなられた珠緒さん、加代子さんのほかに、もはや多門さんの実子は一人も生きておりませぬか」

「ほかには一人も生きた方はおられませぬ。子供のすくないお方でしたじゃ」

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