十二 セムシ詩人はなぜ殺されたか

 連続三夜の殺人事件には大の男の我々もふるえあがって、扉に鍵をかけただけではまだ足らず、紐でまいて寝台に結びつけたり、苦心サンタン、いささか神経衰弱の気味であるが、日本間のピカ一ほどの奴まで御多聞にもれず、鍵がないからオチオチねむられず、もっぱら昼寝で間に合せている様子であった。

 私は巨勢博士が火葬場から裏門までの道を時間をはかって非常に綿密にしらべているのを知っていた。ストップウォッチを持ち五日にわたって同じ道を往復していたが、一日彼の調査に同行すると、

「普通に歩いて四十分から四十五分かかるんですがね。ここにこんなみちがあるんですよ」

 火葬場から裏門までの行程のちょうど真ん中ごろと思われる谷川沿いから、一尺ぐらいの小径が谷底へ降りている。ちょッと見ると径とは気がつかないような細さで、谷底へ降りると、石を伝って谷を渡り、又さらに径のコン跡も定かならぬ状態ながら、密林の奥へ曲りこんで行く。

 巨勢博士に導かれて雑草を分けながらこの小径を伝って行くと、私は思わず、声をのんで凝視せざるを得なかった。目の下に三輪神社がある。私たちは三輪神社の横手へ現れているのであった。

 私は思わず叫んだ。

「なるほど、分った。犯人はこの道から先廻りして千草さんを殺したのだ。殺しておいて、別の道からやってくる内海をやりすごして帰ったのだな。いやいや。内海に会って何くわぬ顔、ごまかして来たかも知れぬ。だから内海を殺したのだろう」

「それでしたら、内海さんもここで殺す方が安全じゃありませんか」

 巨勢博士はニヤニヤした。

「犯人がこの径を来たかどうかは分りませんや。然し、ともかく、こんな小径があってみると、失礼ですが、三宅さんも丹後さんも先生も疑われて然るべきことになりまさア。まったく、ややこしい話でさ」

 普通に歩いて火葬場から裏門まで四十分から四十五分としてみると、大八車はなかば小走りにきたのだから三十分とかからなかったかも知れない。内海の足で三輪神社までの往復には二十五分か三十分はかかるかも知れないから、ピカ一が六時五十分か七時ごろ帰着して、それから五分か十分おくれて内海が戻る。アイビキの時間というものが殆どないようなものである。すでに千草さんは殺されていた。だから姿が見えないので、内海は千草さんが来てくれぬものとカン違いして、戻ってきたに相違ない。千草さんに会っておれば、もっとおくれて戻る筈で、又、千草さんと一緒に戻ってくる筈であろう。

「諸井看護婦が読まされたというアイビキの紙はあるのかい」

「それを探しているのですが、千草さんの所持品には見当らないのですよ」

 私は諸井という女が虫が好かないのである。思いあがったところがあり、まことにキザな理知ヅラである。あやかさんが頼みをうけて千草さんに渡したというまでは、私は千草さんの芝居でなければ、諸井看護婦のトリックだと思っていた。

 珠緒さんが殺された枕元のコップと水差にモルヒネが投入されていたというが、モルヒネは海老塚医院も秘密に所蔵している由であるし、実は多門老人がモヒ中毒で、この屋敷にはモルヒネがイントクされているのであった。

 ある日、巨勢博士と私は多門老人の書斎にまねかれた。談たまたま事件の話にうつった時、ちょうどビタミンの注射に諸井看護婦が居合わしたものだから、私はわざとイヤガラセに、

「諸井さんは千草さんの生前もそうだが珠緒さんの生前にも最後に会われた人であり、おまけに珠緒さんの枕元のコップと水差にモルヒネが投入されていたそうだが、これを近代探偵小説の流儀で言うと、看護婦にモルヒネ、あんまり有りそうなことだから、そんなバカな手口を残す筈はないということになる。然し、又、これを逆に、あんまり疑られ易い手掛りを残すからかえって疑われない。その急所を見込んで、わざとトリックを弄するという細工も成立つじゃありませんか。諸井さんは、知性の勝ちすぎたお方だからね。失礼ながら、あなたのように深遠な御婦人ともなると、なぞのように、我々三文文士は色々とカングッたり致しますよ」

 失敬千万な言い方であるが、近頃この家の客人どもは、挨拶代りに、お前さんが犯人じゃないかね、といっそ言いきってしまう方が清潔のような状態になっているのであった。

 諸井看護婦は私をジロリと見て、

「矢代さんは火葬場から、いっとうおそく、一人で戻っていらっしゃいましたわね」

「御説の通りですよ。ところで、諸井さんは、ずいぶん体格が御立派だなア。失礼だが、小男なみの腕力がおありじゃないかな」

 巨勢博士はニヤニヤしながらきいていたが、

「王仁さんの場合は、靴のスズ、珠緒さんの場合はモルヒネ、なんとなく思わせぶりな何かが残してあるのですが、千草さんと内海さんの場合は、それに該当するようなものがありませんなア」

 多門老人がききとがめて、

「なるほど、それは面白い。さすがに一つの着眼じゃ」

「いけませんや、そんな」と巨勢博士はてれて打消した。

「着眼の妙という奴ほど、真相を偽り易いものはありませんや。当人がいい気になるだけ、救われがたいもんでさア。ねえ、矢代先生、文学もそうじゃないですか」

「それは政治もそんなものさ。然し、巨勢さん、これは非常にメンミツに計画された犯罪でしょうな。ただ私が疑るのは、内海さんの場合じゃね。土居さんが目を光らせていたという危険の際に殺さなければならなかった。そこに謎があるのだね。たぶん、あの日でなければならなかった謎があるに相違ない。その謎がとけると、事件の一角に糸口がつく、そんなものじゃありませんかな」

「その謎をどんな風にお考えになっていますか」

 多門老人は答えなかった。そこで私が、

「それはたぶん、内海は犯人を見たからでしょう。然し、千草さんが殺されたという事実については知らないから、まだ犯人を疑ることを知らないのじゃありませんか。だから、その夜のうちに内海の息の根をとめることが是が非でも必要だった」

「危急存亡じゃね。それにしても危い橋を渡ったものじゃ」

 そのとき、巨勢博士が奇妙なことを言った。

「一番危くなかったのかも知れませんや」

「なぜ?」巨勢博士はニヤニヤしながら、

「ピカ一さんが下の日本間にいると、内海さんを殺すのは、ちょっと、やっかいですからでさア」

 多門老人はギラリと目を光らせて博士を見たが、別にそのことで何かを言いだしはしなかった。

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