三 招かれざる客

 私は望月王仁が大の嫌いであった。尤も文壇で望月王仁が好きだという者はめったにない。才筆を鼻にかけて人を人とも思わない。礼儀作法をわきまえず、人の面前で婦人に接吻はおろか、暴行、ごうかんもやりかねない奴で、だから未だに独身で、天下の女はみんな俺の女のようなものだとうそぶいている。

 けれども彼はジャーナリストに人望がある。それは奴が金ッぱなれがよいことと、ジャーナリズムは思想性よりも筆力で評価するから、彼の才筆にげんわくされる。それにジャーナリズムは事物を歴史的性格で判断せず、現実の現象性で判断するから、彼が第一級の流行作家であることから、彼の傲慢は当然とうけいれ、かえって自信があるとか、あれだけ信念がなきゃ芸術はできないなどと、逆に彼の傲慢が美徳の如くに評価される始末、好色癖などはむしろそれが天才の証拠のように、さすがに一般と神経が違うなどともてはやされる有様であった。

 私は然しこれはものだと思った。それは土居光一が一座に加わってきたからで、文壇と画壇の鼻つまみの野獣を角突き合わせる、なるほど、こいつは趣向である。一馬にしては大出来の趣向で、私はウカツ、いつも奴らに腹を立てさせられているばかりで、彼らを酒のさかなにすることはついぞ気がつかなかったのである。

 ところが期待を裏切られた。奴等はやっぱり海千山千のしたたか者で、粗雑のようでもヨタモノ仁義の神経は発達していて、全然角突き合わないのである。

「やい、ピカ一、お前は酒を飲まないのか」

 王仁が言ったが、光一はニヤニヤしている。彼はあんまり酒を飲まない。まったく奴のように酔っ払わなくとも、人前で平気の平左で女をだいたり口説いたりする奴は、酒の必要はないのだろう。酒に酔ってはねむを催し腕がにぶるというようなものかも知れぬ。

 王仁ときては酔っても酔わなくても、女を口説きたて、酒をガブガブ浴びるが如くにあおりたてる。

 突然光一が立ち上って胡蝶さんの前へ行った。いきなり手をつかんで、

「踊りましょう。胡蝶さん。かねがね舞台では拝顔の栄に浴して人知れず思いをこがしていたけど、あなたは麗顔麗姿というんだなア。シャルマント、デリカ、それにオルグイユーズというところがあってね、この悪徳が私は好きなんだ。いざ、踊りましょう」

 胡蝶さんは静かに手をひっこめて、冷めたく、

「いやです」

 王仁がゲタゲタ笑いだした。

「ピカ一、よろしい! アッハッハ。そのルイ王朝的三流娼婦を第一番に口説いたところに、お前の浅からざる素養がうかがわれる。お前も然しフランス仕込みにしちゃ、泰西の学に通じないな。娼婦というものは人前で口説いちゃダメなんだ。娼婦は淑女の如く見せたがるから、まったくヒガンだウヌボレさ、人前で口説くのは娼婦のイミテーションが最もよろしい。すなわち、かくの如し」

 彼は立って珠緒さんの手を引っぱりあげて踊りかけて、すぐ、だきかかえて、ソファーへドカンと腰を下して接吻した。珠緒さんは平気であった。存分接吻して顔を上げて、

「どう? ピカ一さん。あしたの晩はあなたにこうしてあげるわね。そのときふるえちゃダメですよ。私は顫える男は嫌いなのよ。ねえ、タンゴさん、タンゴを踊りましょう」

 丹後は首をふった。然し首をふりかけたとき、珠緒さんは目もくれず、もう内海の方へ歩いていたから、取りすまして首をふる丹後の首がオモチャの人形みたいであった。

「さア、内海さん。あなただって、たまにはフットライトを浴びなきゃいけないわ。片隅にひっこんで、いじけずに、堂々と、圧倒しちゃうのよ」

 内海は人の好い微笑をうかべて、

「僕がフットライトを浴びるのは、ノートルダムの主演の時だけさ。その節は共演をたのむぜ」

「あら、そう。すばらしいことね。この夏、ここでやりましょうよ。人見さん、手頃に脚本書いてちょうだい」

「よろしい。オレが舞台装置をやる。村の衆に興行して、百姓どもの新円をまきあげてやろう」

「ピカ一の舞台装置じゃ百姓のお客は逃げ出すさ。芝居なんざ、止すがいい。これだけ女優が揃っているから、エロダンス、外に何があるものか。ザッと、この通り」

 王仁はいきなり珠緒を抱きかかえて、ひったくるようにツーピースをぬがせた。シュミーズ一つで王仁の腕からころがりでた珠緒はビクともしなかった。茶化すような顔でもなかった。黙って王仁を見て、平然とシュミーズをぬいだ。ズロースひとつである。

「もういいの? もう、ひとつ?」

 一馬がイライラ妹の腕をつかんで、「お前はもう引込みなさい」

「どうせ、ついでだ。手数がはぶけて、ちょうどよい」

 王仁が珠緒を抱きあげると、

「おい、よせ。あくどいぞ」

「兄さん、怒るな。まさか、鬼でも、かわいい子を人前でほんとにハダカにするものか。然し手数がはぶけて、ちょうどツイデだから、ちょッと借りて行くぜ。芝居の方は終ったんだよ。これからは恋愛という私事に属する演劇だから、見物人はお断りだ」

 抱きかかえて、ドッコイショ、ハイ、ゴメン、自分の寝室へ立ち去ってしまった。

 五分、十分、二人は戻ってこなかった。都会のどこかにインチキ・バア、インチキ・キャバレはあるかも知れぬが、こんなことは、そこでもメッタに見られやしなかろう。さすがのピカ一先生も呆れた様子で、

「はてさて、ききしにまさる豪傑だ。歌川家は、然し、優秀な娼婦宿だな。フランスくんだりをウロウロしないで、オレも若年から登山の趣味を養うところだったよ。ワタクシの御相手は、今晩は、どなたですか。ケイシュウ作家、せいとう詩人、いかが」

 宇津木さんはつくり笑いをして、

「ええ、いずれ、よろしく、今晩は先約がありますから」御主人の三宅木兵衛の腕をとって、

「じゃア、お先に」

「はア、そう。さアさア」

 ピカ一はひょいと立ってどんどん先に立って歩いて、広間から廊下へつづく扉をあけて、ホテルのボーイ、宮殿の侍者の要領で、いとインギンに頭をたれて、お通りを見送る。

 それをキッカケにみんなそれぞれ寝室へひきとった。

 私達が寝室へひきとると、すぐ後から、一馬が来た。イライラして、

「実際、君、醜態だ。どうしてくれたら胸がおさまるのだろう。締め殺してやりたい」

 私も慰める言葉がなかった。

「君とゆっくり話を交す暇がなくってね。これは、然し、いったい、どうしたことだろう。僕には、わけが分らない。君はツーリストビュロオの切符を受取ってきたのだろうね」

「そうさ」

「僕の手紙はとどいたね?」

「むろん見たよ。さもなきゃ、来やしないさ。巨勢博士は一緒に来れなかったけど、今夜たったら、あした、くる筈だ」

「巨勢博士?」

「なんだい?」

「巨勢博士がどうしたんだ。誰かそんなことを言ってきたのかい」

「わけが分らないな。君の手紙に巨勢博士をつれてきてくれと書いてあるからさ」

「僕の手紙に?」彼はあつにとられて私を見つめた。

「そんなこと、書きゃしない。僕は君たちお二人だけ来てくれと書いた筈だ。いや、分る。カラクリは分っているのだ。君に宛てた手紙だけじゃアないんだからな。きいてくれ。実に、何たることだ。どいつが、いったい。僕はもう怒り狂っているのだ。然し、まったく、何者のイタズラだろう。僕は君に、神山東洋夫妻だの、まして、土居光一に、あいつらに招待状を発する筈がないじゃないか。しかも奴らは招待状を受けとっている。おまけにちゃんと、君と同様ツーリストビュロオの使いの者が切符をとどけているのだからな。僕はたしかにツーリストビュロオに切符を届けるように手配の手紙を出してはいる。然し、それは、君たち御夫妻二人だけだ。巨勢博士だって頼みやしない」

 今度は私が呆気にとられる番であった。私は彼の手紙を全然疑ぐっていなかった。たしかに見なれた彼の筆蹟だったのだ。

 私は然し、幸い巨勢博士を訪ねたとき彼に見せるためポケットに入れた手紙をそのまま持ってここへ来ていた。私はそれを取りだして見せた。彼はそれを睨んでいたが、

「僕の手紙をいっぺん開封した奴が、書き直して、送ったのだ。なぜなら、僕の文章がそのまま使ってあるから。いいかね」


   七月十五日にツーリストビュロオから切符を届けさせるから、その日の終列車で来てくれ。ぜひとも頼む。『尚、三枚の切符のうち一枚は巨勢博士のものだから、』(お京さんを)口説き落してムリムタイにでも同道たのむ。三拝九拝。

   『怖るべき犯罪が行われようとしている。多くの人々の血が』君『と巨勢博士』だけが頼みだ。そして、お京さん。お京さん! たのみます。待ってます。暗い血の海が見える。


「つまりね。『 』印の部分が誰かの書きたしたところで、( )の部分が省かれているのだ。怖るべき犯罪だなんて、そんなものが、どこにも有りゃしないじゃないか。最後の結びの、暗い血の海が見える。これはたしかに僕の文章だ。あのとき僕は、兄と妹の罪の血の暗い幻想に悩まされていたからさ。然し、正直のところ、誇張なんだよ。君たちが来てくれないと困るから、別してお京さんの純情に訴えるために、文学者の文章上の誇りをすてて、お京さん、お京さん! 暗い血の海が見える、あさましい文章を書いたんだ。お京さん、許して下さい。然し、どうも、これを書き変えて送った奴は、何を企んでいるのだろう。もしかすると、ほんとうに犯罪があるんじゃないかね。まったくさ。僕だって、君、今なら、人が殺したいよ。どいつも、こいつも、アア、畜生! 息の根を止めてやりたい。誰だって君、今このうちに住んでいりゃ、人の二、三人殺さずにいられるものか!」

 然し筆蹟はたしかに彼のものだ。然し、よく見ると、念入りに筆をまねた形跡もうかがわれた。

「この紙は?」

「うちのようせんさ」

「どこに置いてあるのだい」

「さっきの広間の隅のデスクに、これとインクとペンはいつも具えつけてある。むろん封筒もおいてある」

「手紙は誰が投函したのだ」

「君たちの疎開中は郵便局に人手がなかったし、時局が時局で、こっちから投函に一里も歩いたものだけど、今じゃ向うから取りにくる。昔からの習慣なんだ。尤も郵便を配達に来て、ついでに持って帰るのだ。うちへ届ける郵便物のない時だけ、やっぱり配達の時間にわざわざ取りに来てくれるのだ。うちから出す郵便物は玄関にきりの箱が置いてあって、手紙を出す者が勝手に自分で投げこんでおくのだ。だから、手紙をすりかえるチャンスは誰にでもある」

「まア、いいさ。幸い、あした巨勢博士が来るから、あつらえ向きじゃないか。尤も手紙の犯人が自分で指名しているのだからな。なぜ巨勢博士を呼びやがったかな。この犯人め、巨勢博士をめているなら大失敗だよ。あいつは全く、この道では、天才なんだから、つまり中途半端な頭なんだよ。犯人を探すに手頃で、それ以上はダメ、そして、それ以上へ行かない組織になってるところが、恐らく異例の才能なんだな」

「じゃア、又、あした」

「そうしたまえ。我々が犯罪をつつき廻したって、迷路をさまよい、やたらに犯人を製造するばかりさ。全くもって、小説家にとっちゃ、犯人ならぬ人間は有り得ないから、考えてみたって、全然ムダだ」

 一馬は自室へ戻って行った。

 どの部屋からも、もう物音がなくなっている。

「なんだか気味が悪いわ。私、怖しくなってきたわ。ほんとに何か、怖しいことが起るんじゃないかしら」

「どんな怖しいことが?」

「どんなって、分りゃしないけど。でも、何か、ほんとに起りそうじゃないの」

「そうかな。娼婦宿の犯罪事件か。ピカ一め。娼婦宿とは。然し、まったく、ひどい話さ」

「私、きょう、加代子さんとお話ししたのよ。まだ、ほんの御挨拶程度のお話だけですけれど、ね。たぶん、予想以上だわ。ほんとうに兄さんを思いつめているようすよ。罪は人間が作ったものですって。人間が勝手にこしらえた観念ですって。自然のままの人間にどこにも罪なんか有る筈がないんだってね、そんなことを私に仰言おつしやったわ」

「恥があるから、罪もあるんだろう」

「あなたの屁理窟なんか、加代子さんの悩みのあかみたいなものよ」

「分った、分った。諸嬢の悩みは深遠そのものだ。さア、ねよう。然しねられるかな」

 私は昼寝しすぎたのだ。けれども、ねむくなってきた。

 そのとき、廊下を、私の知らない何かフランス語のシャンソンらしいものをうたって、珠緒さんが通りすぎた。階段へかかると、だんだん大声にそしてバタバタ駈け降りて行った。

「やれやれ、珠緒太夫の御帰還か」

 時計を見たら、十一時十五分、私は電燈を消した。

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