第253話 待ち伏せ

 ―― グアルディル軍侵攻開始の4日前 ――


 剣都ソーディンの朝は、活気に溢れている。

 湖の上の小島に出来た都市であるため、人口密度が高い。

 ソーディンにはまず、修行する聖戦剣士が住み、剣士達の家族や従者、そこに住む者を相手に商いをする者達、町を流れる水路を管理する者達……と、どんどん人口が増え、いつの間にか大陸有数の都市となっていた。

 密度が高いため、朝の市場もちょっとしたお祭りのような雰囲気になる。それは、田舎村に生まれ育ったヨニーにしてみれば、とても新鮮で心沸き立つ風景だった……が、三日もすれば、人波を掻き分けるのにも辟易としていた。


「あたしってば、やっぱり田舎暮らしが性にあってんだろうね。」


 沁み沁みと思いつつ、今日の戦果をカゴに入れて、仮住まいへと戻っていく。

 そこは、ウィルシードの家ではなかった。同じ居住区にあるが、もう一回り大きな家だ。


「ただいまー。」

「お帰り、お姉ちゃん!」


 扉を開けると、入口まで妹のアドリーが、小走りで出迎えに来る。


「今日は、どうだった?」

「四勝二敗ってとこだね。まーなんせ、この町は物の値段が高いわ。」


 食物の多くを他国からの輸入に頼るソーディンでは、慢性的に物価高であった。それでもソーディンに人が集まるのは、他国とは桁違いの治安の良さと、低い税金の為である。


「あれ、プーは?」

「おじいちゃんと遊んでる。」

「ああ、臨時の噛みつき相手になってんのね。」


 ヨニーはクスっと笑みを零して、戦果を運んで台所へと向かった。



  ― ◆ ―


「ぷぎぃぃぃぃぃぃぃ!!」

「これ、よさんかプー次郎。」


 荷物を置いて居間を覗く。

 プーやんが雄叫びと共にいつもの甘噛みを喰らわしていたのは、聖戦十二階段『瞬閃』のゼップであった。


「おじいちゃん、プーの相手ありがとね。」

「おお、ヨニーちゃんおかえり。このチビスケ、ウィルシードにしか噛みつかんのじゃなかったのか?」


 噛まれたままの足首を振りながら、ゼップが困っていた。


「おじいちゃん、ごめんなさい。プーやん、多分ウィルシード様がいなくて淋しいんだと思うの。」


 アドリーが三つ編みを大きく揺らしながら頭を下げ、ゼップからプーやんを引き離して抱きかかえた。


「おお、おお、いいんじゃよ、このくらい。アドリーちゃんは、謝らんでいいんじゃよ。」


 相好を崩してアドリーを宥めるゼップは、孫を可愛がる爺にしか見えなかった。

 アドリーはちょっと笑顔を見せて、プーやんを寝かしつけるといって、居間から出ていった。


 ウィルシードは、『炎の巫女』討伐隊に加わるため、三日前に剣都を離れロトリロに向かっている。

 その日から、姉妹はゼップの家に移り住んでいた。

 ゼップの家といっても、本宅は聖山シールゲンにある。この別宅は、家に帰るのが面倒な時に使っていた。ゼップは独身だが、家に戻れば従者や、弟子や孫弟子がいて、落ち着かないのだ。

 また、この家に移って以来、ヨニーは買い物など外に出る事を許されている。若いウィルシードの家から出入りをしていれば関係を怪しむ者や、下手をすれば何処かでウィルシードが竜の喚巫女を匿っている事が明るみに出てしまうかもしれない。

 しかし、ゼップの家ならば、若い女が出入りしていても「家政婦、お手伝いさん」で話が済むのである。


「年寄りって、便利じゃろう?」

「いやぁ、本当に感謝してるって。おかげで、買い物とかの手伝いは出来るようになったし。正直、何も出来ずに居候するのって心苦しいっていうか、落ち着かなくてね。」


 ヨニーは生来の働き者だった。家の中で家事をするだけでは、時間を持てあましてしまうのだ。


「おじいちゃんが元気なら、別のお礼も出来るよ?」

「ハッハッハ、残念じゃが、儂の信念は『女は四十しじゅうから』じゃからな。儂から見れば、ヨニーちゃんはまだまだヒヨッコじゃよ。」


 そう嘯くゼップ。

 ヨニーとて、ゼップが本気で相手を求めてくる事は無いとは思っていたが、気を使って冗談まで言ってくれるゼップに、心が軽くなる。


「…いや、本気で四十からって思ってるぞ。」

「ああ、おじいちゃんの齢なら四十でも若いか。」


 なんとなく、酒場のママに入れ込んで通うゼップの姿を想像してしまう。


「いやいや、儂は若い頃から自分の信念は貫いておるよ。」

「え?……あ、そーなんだ。ふーん。」


 老人の「女の趣味」など、知りたくもない情報を知ってしまったヨニーである。


「まあ、それよりアドリーちゃんの方じゃ。どうも、元気が無いのう。」


 ゼップが心配そうに言うと、ヨニーは頷いた。


「あたしらはウィルシードさんに匿われて此処まで来たからね。特にあのコは懐いているから、離れるのは不安なんだよ。」

「うーむ。儂では代わりにはなれないものかのう。」

 

 真面目な顔で思い悩む素振りをするゼップに、ヨニーは思わず吹き出した。


「アハハ、あの二枚目剣士とおじいちゃんとじゃあ、代わりにはなれないね。」

「むぅ。これでも若い頃は、ソーディンにその人ありと言われた色男だったんじゃぞ!」

「昔の話は幾らでも盛れるから、ねぇ。」


 わざとらしく疑いの視線を向けるヨニーに、ゼップは大袈裟に落ち込んでみせた。


 ウィルシードの代わりにはなれないが、出来る限り二人が明るく楽しく過ごせるようにしようと、ゼップは思っていた。

 ソーディンに来るまで、姉妹には相当な苦労や辛さがあったに違いないのだ。それを忘れさせるとまでは言えないが、せめて穏やかな毎日が送れるようにしてやりたかった。


『相当な辛さ、か…。あの『炎の巫女』にも、壮絶な過去があったのだろうな。』


 その地獄のような日々から救い出してくれたのなら、例え魔人であっても大切な人となるだろう。それを殺されたのだ。『炎の巫女』が絶望の果てに復讐の鬼になってしまったとしても、仕方がないことではあった。


『アドリーちゃん達を知った今、炎の巫女と本気で戦えるのか? ウィルシードよ……。』


 討伐隊となった若き聖戦十二階段の事を案じ、ゼップは窓の外の空を見上げた。



  ― ◆ ―


 同じ頃ウィルシードは一人、馬を走らせデフェーン国内を走り、山道をロトリロに向かっていた。『炎の巫女』を捜索しながら進んでいたロッター達と違い一直線に走っているため、進行速度はかなり早い。


『もうすぐ国境、ロトリロだ! 今日中にトニさん達と合流出来そうだな……ん!?』


 危険な気配を察知し、馬を止める。

 刺すような視線が、森の中から確かに届いていた。


「何者だ! 用があるのなら、姿を現せ!」


 言って素直に出てくる曲者などいない、と、駄目元で叫んだウィルシードだったが、驚いた事にあっさりと視線の主は出てきた。

 それは大柄な、髭面の男であった。銀色の胸当てと、手にした三叉鉾が印象的だった。

 その男が醸し出す気配に、ウィルシードは憶えがあった。


「お前は…魔人か!?」

「俺の名はゲラシオ! イルディリムでの借りを返しに来たぜ!」


 『商団』のイルディリム担当幹部、ゲラシオ。

 アドリーを巡るウィルシードと『教団』祭司との三つ巴の争いで、敗走を余儀なくされた彼は、ウィルシードに挑む機会を狙っていたのだ。


「望みとあらば、今度こそ葬ってやる!」

「フ、あの時とは違うぜ、こっちも全力だ! 来い、ゼルゼル!!」


 ゲラシオの呼び声と共に地面が割れ、地響きを鳴らしながら地中から鱗に覆われた四つ足の竜がせり上がってくる。


「な、なに? 地竜!?……いや、違う!」


 それは、地竜ラドサルスより小さく、体長は頭から尾の先までで4m弱程度。だが、四つ足竜にしては脚が長く、頭の上には硬質の鶏冠のようなものがあった。


「アースドラゴンのゼルゼルだ! コイツと俺が揃った時、その真価が発揮される!」


 ゲラシオはいつのまにかゼルゼルの上に乗っており、山なりの背に跨った。


「グラオォォォォォォォォ!!」

「殺してやるぞ、聖戦剣!」


 ゼルゼルの咆哮にゲラシオの叫びが乗り、同調する。

 それは、単に竜に乗っただけではない、強烈な圧を発していた。


「だが、私は聖戦十二階段! 負けは無い!!」


 ウィルシードは敢えて馬から降り、尻を叩いて馬を逃がすと、剣を抜いた。


「『鳳閃』ウィルシード・シュクルット、参るッ!」

 

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