第172話 リコとマルティンと

『ビトー、遅いな…』


 焚き火を囲んでの会合も一段落して、各々寝る準備に入ろうとしている頃。

 途中で抜け出してから最後まで戻ってこなかったビトーを心配し、フランが迎えに歩く。

 そのフランの進行方向にある木の陰から、マルティンが現れた。


「よう。」

「おお、マルティン。ビトーを見なかったか? 魔力はこっちの方から感じるんだが…」

「まあ、この先にいるんだが……迎えにいくのは止めとけ。」


 忠告すると、今、出てきた木に背を凭れる。


「なんだ? 何かあるのか……あ!」


 二、三歩歩み寄ったところで、ビトーの魔力の側に別の者の弱い魔力も感じた。それは、フランも知っている者だ。


「…成る程。危うく邪魔をしてしまうところだった。」


 フランは苦笑しつつ、マルティンの隣の木に、背を預けた。


「二人の為に番人でもしていたのか? 良いトコあるんだな。」

「……そういうつもりじゃあ無かったんだがな。」


 マルティンの眼は熱を感知するので、夜目が効く。

 飛竜船から出てきたリコが皆の輪に向かわず一人で離れていった為、森の危険を案じて後からついてきたのだ。

 だが直ぐにビトーと合流していたので、声を掛けずに離れていた。


「出歯亀の趣味は無いんでな。……ああ、そっちはそのつもりだったんなら、止めて悪かった。」

「するか!」

「何をしないんだ?」


 フランの叫びとタイミングを同じくして、木々の向こうからビトーとリコがやってくる。


「ビ、ビトー! いや、何でもないぞ! 何もしない!」

「??」


 慌てるフランに、顔を見合わせるビトーとリコ。

 やれやれと溜め息を吐いたマルティンが、話題を変えて喋り出す。


「おい、そろそろ寝るぞ。皆はテントで分かれて寝るから、お疲れ組のお前らは飛竜船で寝ろ。見張りも俺達が交代でやるから、眠っとけ。」

「悪いな、助かるよ。」


 世話焼き者のようなマルティンの台詞に、素直に礼を言うビトーに対し、驚きの表情を浮かべるリコ。


「……なんだ?」

「あ、えーっと、マルティン久し振り。その…ビトーから、マルティンが力を貸してくれてるって聞いてたんだけど、中々お礼が言えなくて、ごめんなさい。」

「……気にするな、ずっと別行動だったしな。それに、俺は俺の意思で魔人と戦ってる。お前のためって理由わけじゃないさ。」


 木に凭れたままぶっきらぼうに言うマルティンに、リコは声を出さずに笑う。


「あ、いつもの感じ。」

「マルティンは腕も立つし、冷静だし、頼りにしてるぞ。」


 ビトーが太鼓判を押すように言う。

 それを聞いたリコが、意外さと共に嬉しさの入り混じったような表情で、ビトーを見上げた。


「へぇ、そうなんだ。悪い人ではないのは知ってたけどね。」


 そのリコの表情には、以前のたった一人で町外れに住んでいた頃の、淋しさや諦観の雰囲気は感じなかった。


「……愛想のない薬屋だと思ってたが、そんな顔も出来たんだな。」

「ん?」


 マルティンの呟きは、すぐ側にいたフランにも聴き取れない程の細やかなものだった。



  ― ◆ ―


 二年前。

 その頃マルティンは『金眼のデルゴー』と呼ばれ、腕利きの殺し屋としてプレミラ王国の首都・リンドナルの闇社会で仕事をしていた。

 報酬は完全後払いの割高料金。割高でも客は尽きない程の腕利きだった。

 後払いの為、仕事後に姿を晦ます依頼人も始めは幾人かいたが、そのような者達は後に悲惨な末路を辿り、そのうち踏み倒すような愚者は出なくなった。


 マルティンの稼ぎは、順調だったと言える。月に一、二度仕事をしていれば、悪くない暮らしが出来る。殺しは、標的も依頼人も双方屑ばかりで、気が咎めるような事も無かった。

 稀に、他の都市に行って仕事を行う機会もあった。実績が出来ると、遠征費やプラスの依頼料を払ってでも『金眼』に依頼したいという者も出てきたからだ。


 その日マルティンは、北上してノルクベスト王国に向かうある馬車を追っていた。

 その馬車に乗る人物は近年急に成り上がってきた豪商だった。後ろ暗い事も平気でやっており、その強引な手法でシェアを奪われて窮地に立った商人達の恨みを買った。

 その恨みを晴らすためと、と自分達の商売を取り戻すため、『金眼』に依頼を出したのだ。

 

 マルティンは街道を進む馬車を追い、チャンスを伺っていた。

 その中でも、宿場町と宿場町の間がかなり広くなる草原地帯。生い茂る草の背も高く、仕事をするにはもってこいの条件だ。


「御者の他……中には、四人。護衛か。」


 生物の熱量を視るマルティンの眼は、外からでも馬車の中の人数が分かる。標的以外は基本的には殺さない彼だが、邪魔をするならば容赦はしない。

 それでも、走る馬車に飛び込んで皆殺しにするような真似は避けたい。取り敢えず、馬車を止め、中の人数を減らすことにした。


風法・リヨンル。」


 マルティンの手の中に旋風つむじかぜが巻き起こる。それを投げるように撃ち出すと、二頭立ての馬車の一頭の顔の周辺に纏わりつく。


「ヒヒーーーン!!」


 驚いて、馬が前足を上げて嘶く。

 殺傷力は無いが、風がずっと首を包むように吹き回り、馬は真面に進めなくなり、暴れ出す。


「ど、どうどう!」


 御者が慌ててもう一頭の歩みを止め、暴れる馬を落ち着けようとする。


「どうした!」

「きゅ、急に馬がっ…!」


 揺れる馬車の中から声が響くが、御者にも正確な理由は分からない。

 業を煮やした護衛が、扉を開けて外に出てくる。


「う、なんだこれは!? おい手伝え!」


 旋風に見舞われて暴れ続ける馬を押さえる為に、護衛はもう一人の仲間を呼び、両側からくびきを掴んで止めようとする。

 外で悪戦苦闘する男達に標的がいない事を確認し、マルティンは高速で叢から飛び出すと、開きっぱなしの扉から馬車の中に入った。


『!?』


 一瞬、マルティンは固まる。馬車に乗っていたでっぷりとした腹の男は間違いなく標的だったが、もう一人が予想外の人物だったからだ。

 それは、簡素な服を身に纏った若い女性だった。両手両足に木製の枷を付けられ、首輪に繋がれた鎖は、馬車に固定されている。だがその女性は、そのような目に合っているとは思えない程の艶のある肌と金色の髪、そして彫刻のような整った顔立ちをしていた。


 ――人身売買。その言葉が頭に浮かび、湧き出した嫌悪感を晴らすように、マルティンは男の首を短剣ダガーで貫いた。


「…がッ」


 マルティンが馬車に飛び込んで動きを止めたとはいえ、素人からすれば止まったとは思えない程の僅かな間だ。男は助けを呼ぶ前に絶命していた。


「ひ!」


 マルティンが短剣を抜いた事で、血を噴き出しながら男が倒れる。女は短い悲鳴を上げた。

 その女を助け出そうとする意思は、マルティンには無い。そもそも殺しの仕事の最中に人助けをしようなどという者は、プロには成れない。それでも、彼女を口封じに殺す気にもなれなかったマルティンは、騒がれないように気絶させることを選んだ。


「悪いな。」


 左手で二の腕を掴み、縮こまっている女をひっくり返し、背を向けさせる。

 それで女は、思い出したように急に声を上げる。


「あ、私に触っちゃ…」

「騒ぐな、眠っていろ。」


 マルティンの右の手刀が首の後ろを捉え、女は昏倒した。

 気を失ったのを確認し、腕を掴んでいた左手を離す。


   シュォォォォォォォォ…


「……なんだ?」


 馬車から出ようとしたマルティンの背後で、馬車の床に赤い星の模様が現れる。

 そして、その星から走竜に似た二足歩行ながら、二回りほど大きい体と巨大な爪を持った爪竜そうりゅうバルクロウが浮かび上がってくる。


「!?」


 慌てて扉から飛び出したマルティンを追うように、馬車を破壊しながら爪竜も飛び出した。



  ― ◆ ―


「……く、くそ……」


 逃げながらバルクロウと交戦したマルティンは、最終的にはスピンナイフを竜の喉に叩き込み、勝利した。

 しかし不意を突かれたせいで、背に大きな爪痕を喰らっていた。

 肩を押さえ、なんとか歩く。馬車の者達がどうなったかは分からないが、真面目に仕事をする護衛なら、追ってきている可能性もある。


 だが、思った以上に傷は深く、意識が朦朧としてくる。

 次の宿場町まで…とは思い進むものの、よくよく考えれば自分を手当てするような人間など居はしないだろう。

 この怪我で首都の闇医者まで辿り着くのは物理的に不可能だ。


『詰んだ…か。』


 自分の人生に未練など無いが、生かしてくれた母親を想うと、申し訳ない気持ちにもなる。


『散々人を殺しておきながら、申し訳ないなんて、今更か。』


 薄れゆく意識の中で最後に母へ謝り、マルティンは前のめりに地に伏した。



  ― ◆ ―


「…………う…?」


 まるで、背に陽の光を受けているような温かさで、傷の痛みが和らいでいく。

 その不思議な感覚を受け、マルティンが目を醒ます。


「……起きた? 大丈夫、出血は止まったわ。」


 うつ伏せに倒れているマルティンの耳に、女の声が届く。どうやら、背に治癒法術を施してくれているらしい。


「だ、だれ…」

「まだ喋らない方がいいわ。私の法術じゃ、完全には治らないから。……傷を消毒して薬を塗るから、悪いけど服を切るわね。」


 言い終わらないうちに、ジョキジョキと鋏の音が聞こえてくる。

 それが何を意味するのかに気付き、マルティンの意識は一気に覚醒する。


「これくらいでいいかな。」

「ま、待て、背は…」


 女が、背筋に沿って鋏を入れた服を、両側に開くのが衣擦れの感じで伝わってくる。

 そうなれば、彼女は見た筈だ。マルティンの胴体を守る、鱗のような硬い皮膚を。

 蛇鱗族は、蛇の獣人の特性を受け継いでいる。金色の眼もそうだが、その鱗は一目見ただけで「人族」とは違う事が分かる特徴であり、迫害の対象にもなっていた。

 ここで気味悪がられて治療を終えられてしまうのは残念だが、出血が止めて貰えただけでも儲けものか。そう考えて、マルティンは観念して目を閉じた。

 だが、女の反応は予想しないものだった。


「ちょっと洗い流して消毒するから、染みるわよ。」

「…!?」


 驚いたのも束の間、まず水の冷たさが背に伝わり、その後、消毒液の染みる痛みが走った。


「うっ!」

「我慢して。消毒してからでないと、傷薬が塗れないから。」


 そう言いながら余分な水分を手巾で吸い取ると、刷毛で軟膏を塗り出す。


「動かないで、じっとしていて。」


 ものの数分で手際よく傷薬を塗り終わると、布をふわりと被せる。


「本当は包帯を巻いた方がいいんだけど…ちょっと、直接触れない理由があって。」


 女が申し訳なさそうに言う。

 マルティンは最初、鱗が気味が悪いからかと思ったが、視覚的には余程悍ましいであろう傷口を平気で治療した女が、そんな事で触れられない訳はないだろうと直ぐに思い直した。

 それならば、何故か。

 マルティンは、馬車で遭遇した囚われの女の事を思い出した。


「……お前も、竜を喚ぶのか。」

「!」


 少しだけ上体を起こして首を回し、女の顔を見上げるマルティン。

 馬車に乗っていた女よりも、もっと若い。流れるような濡れ羽色の髪と、それと同じ位、深い黒の瞳。そして、まるで白く輝くような肌。

 少し哀しさを感じさせるその顔は、マルティンが今迄見てきた何よりも美しかった。

 こうしてリコ・スグリィと、マルティン・デルゴーは、レスタルの町に程近い草原で出会った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る