第171話 ハーフムーン
ビトーは少々足を引き摺りながら歩き、木々の隙間から焚き火の灯りが漏れ見えるところで、腰を下ろした。
大木に背を預け、空を見上げる。
少し曇ってはいたが、月が見えた。ちょうど半分に割れている、弓張月である。
それをぼんやりと眺めながら、ビトーは思う。
飛竜船は、操作したのではなく、リコの願いで飛んできたのだという。
つまり、リコはビトーのいる所に来たがっていた。その内心を聞き届けた飛竜船が、魔力感知か何かでビトーを見つけて移動してきたのだ。
「…………!」
ビトーは、無言で唇を噛む。
ケネットの山小屋を強襲され、リコ達は恐ろしい目にあった。だからこそ、ビトーに助けを求めてきたのだろう。
だが、その時自分は戦いに敗れ、無様に倒れていた。助けるどころか、逆に助けられた。
『俺が強くなったのは何故だ?――リコを守る為だ! それが、一番大事な時に守れなくて、何のための力だ!』
眺めていた月が歪んで見える。左手で掴んだ地面の土が抉られた。
ビトーは、己の不甲斐なさに苛まれていた。
リコに危機が迫っていた時、俺は何をしていた? 俺は――
「ビトー、そこにいるの?」
「!」
戦いによる疲労と、自分自身への憤りが重なり、名前を呼ばれるまで近づく気配に気が付かなかった。
薄い月明かりの下にやってきたのは、リコだった。
― ◆ ―
触れないように少し間を空けて、ビトーの隣に座るリコ。
「久しぶりだね。」
膝を抱えて座っているリコは、顔だけビトーに向けて、微笑んだ。
それは、薄曇りの月明かりでも十分に眩しく感じて、ビトーはつい、目を逸らし、また月を見た。
「ああ、うん。……もう起きれたんだな。体は、大丈夫か?」
「私は、魔力の使い過ぎで眠り込んでただけだから。ビトーこそ、大怪我してたじゃない。歩き回ってたらダメでしょ?」
「………ごめん。」
その謝罪は、怪我人のクセに動き回った事に対してか。それとも。
リコはそれ以上責めたりせず、ビトーに合わせて月を見上げた。
「プレミラで見る月より、光が淡いみたい。なんでかな?」
「……なんでだろうな。言われてみたら、そんな気もするな。」
青白く柔らかな光を放つ半月は、しんとした夜の空気によく似合う。
「……月はやっぱり、ムーンパロが一番綺麗だな。」
「あ、私もそう思う! 子供の頃、一緒に見たよね。」
「村外れの丘から見たあの月も良かったけど、『刀の里』で見る月もいいんだ。いつか、リコにも見せたい――」
ビトーが月からリコへと視線を動かすと、リコと目が合った。膝の上に顔を乗せながら、横向きにビトーを見つめていた。
「――ごめん。」
その、自分の鬱屈とした感情ごと包み込んでくれるような微笑みに居た堪れなくなり、ビトーは再度謝った。
「……なにが?」
「折角、助けを求めて来てくれたのに、肝心な時にやられちまってて。」
「………。」
リコは、敢えて何も言わない。
だから、ビトーは続けた。
「……それだけじゃない。俺はあの時、ヤツとの闘いを楽しんでいた……心の一部に、そういう気持ちがあった。絶対生き残って、リコとの約束を果たさなくちゃならないのに……俺は自分の楽しみを優先してッ…!」
「………ビトー、いいもの見せてあげる。」
ビトーの感情の吐露を聞いていたリコだったが、パンツのポケットから何やら引っ張り出すと、ビトーの目の前に突き出してみせた。
「……手袋?」
それは、少し銀色の混ざったような絹糸で縫われた、滑らかな光沢を持つ手袋だった。
「これ、ケネットさんが作ってくれた私の服と同じ、蚕の糸で作ったの。」
ちょっと自慢げにしながら、手袋をはめる。
そして、徐ろに手を伸ばし、ビトーの頭に乗せた。
「あ、え? ちょっとリコ…ッ」
「よしよし。」
慌てるビトーに構わず二、三度撫でると、すぐにリコは手を引っ込めた。
座り込む体勢から片膝を立て警戒するビトーだったが、十六芒星は現れず、何も起きない。
「……え。」
「これ、凄いでしょ? これしてると、3秒位なら
驚きの表情のまま固まったビトーに、手袋をしたままの両手の平を差し出して、胸を張るリコ。
「人と、竜の喚巫女との魔力が触れ合うと、反応して竜が召喚されるんだけど、この糸が私の魔力を遮断してくれるんだって。勿論、長い時間は抑えられないけど。……でも、ビトーの分の服も作ったから、それを着てればもうちょっと長く
と、嬉しそうにそこまで言って、その言っている内容に気付いたリコは、みるみるうちに赤面していく。
「こ、これじゃ私、すっごくビトーに触りたがってる人みたい…っ。」
熱くなった頬を押さえ、恥ずかしげに俯いて顔を隠す。
「……俺は
まるで子供のような素直な言葉に、ばっと顔を上げて見ると、ビトーは至って自然に、そして不思議そうにこっちを見てくる。
『――あーもう、だから、普通にこういうこと言うんだよ、このコっ!』
さっきまでこっちが励まそうとしていたのに、無意識にカウンターしてくるから困る。
そう思いながらリコは、耳まで紅く染めながら、消え入りそうな声でなんとか答える。
「さ、触りたい、です…。」
と言った途端に首をぶんぶん振って、話を変えようとする。
「そーじゃなくて!…や、そうじゃなくもないんだけど!
「??」
きょとんとするビトーに、これはハッキリ言わないと駄目だと、観念するリコ。
「――だから、私は助けを求めて来たんじゃないの!………ただ、逢いたかったから。」
逢えない時間に育まれた想いに、心の奥の願い。
それに飛竜船が応え、ビトーの処まで連れてきてくれた。
「……ビトーは、私が、ピンチの時だけ助けて貰いたがってるように、思った?」
ちょっと睨むような視線を飛ばされ、ビトーは首を縮めて怯む。
「い、いや、そうじゃないけど…」
「謝るってことは、そう思ってるのと一緒だよ。『逢いたい、逢いに来た、逢えた』。これで、ドコに謝る必要があるの?」
言われてみれば確かにその通りだ。
ビトーは敗北してしまった事と、リコに癒やしの法術で助けられた事で、情けなさで卑屈になっていた自分に気づき、恥ずかしく思う。
「ビトーあのね……ビトーが『約束』を守ろうとしてくれるのは嬉しいよ。でもね、それだけになって欲しくないの。他に楽しい事があったっていいじゃない。……楽しいからって危ない事はし過ぎて欲しくないけど。……でも、自分のしたい事を我慢して、私との『約束』を優先するのは、あんまり嬉しくないかな。」
リコはゆっくりと穏やかにではあったが、ビトーに言いたかった事を言えた。
前までは、助けてもらっている立場で、そんな否定的な事は言えないと思っていた。
でも、今は違う。リコは、守ってもらってばかりではない、お互いが助け合う関係になりたいのだ。それは、感情の大きな前進だった。
リコの想いを聞いて、ビトーは思い起こす。
出会ってから今まで、自分がどれだけリコに救われたか。心の支えにしていたか。
ずっとずっと救われてきておきながら、自分がちょっとくらい強くなったからといって、助けられなかった事を嘆くなんて、烏滸がましいことだ。
「………俺はダメだな。全然ダメだ。気ばかり
腕を伸ばしてひっくり返り、仰向けに夜空を見た。
「あの月と一緒だ。半分だけで、未完成。いつになったら、真ん丸になれるのかな。」
その視界を、四つん這いで覗き込んだきたリコの顔が塞ぐ。
「いいじゃない、半月で。だって、私が、もう半分になれるかも……」
月の逆光で、リコの顔色は分からない。
だが、ビトーは、それで良かった。焦ってはいけないと、さっき気付かされたばかりだったから。
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