第116話 ロトリロの女王②
王宮内。
宮殿と宮殿をつなぐ通路である大廊下の屋根を突き破って、水柱が打ち上がる。
その水柱の頂点に、オルジャソルが圧されていた。
「うぉぉぉぉっ……くぅ!! 『
水圧に苦しめられながらも、体を捻り左腕の魔法の手を突き出す。するとその紫の光の腕が伸び、数十m先の建物の壁を、めり込むように掴んだ。
「
壁を掴んだまま今度は腕が一気に縮み、それを利用して水柱から逃れる。
そのまま重力を無視するように、壁を下にして着地した。
「ハァ、ハァ…フッフハハ、やりやがったな!」
その悪態とは裏腹に、随分と嬉しそうなオルジャソル。久方振りの骨のある相手に、心躍っていた。
大廊下から離れてしまったが、直ぐに戻って戦いを再開するつもりだった。
ところが、それを遮る声が届く。
《オルジャソル、聴こえるか? 緊急事態だ、返事をしろ!》
「……リーダーか。何だ、今イイところなんだぞ。」
魔法を使って通信してきた仲間に、オルジャソルは少々迷惑そうに応える。
《緊急事態だと言っているだろう! そっちの騎士はどうでもいい、竜斬りを追え!》
「竜斬り? それも戦いたいが、称号騎士だって殺す対象だっただろう? 放っておくのか?」
《馬鹿め、殺害対象など捨て置け! 竜斬りは、女王を連れて逃げたのだぞ!!》
「何ッ!?」
戦闘中ですら高揚しつつも冷静だったオルジャソルだが、初めて焦りの声を出した。
強者と戦う事は楽しみだ。だが、それを置いてでも、何よりも抑えておかなければならない事がある。即ち、女王の身柄を確保しておく事だ。
「それは、拙いな…。」
《分かっているなら早くいけ! 私もお前も、死して償う事になるぞ!》
「ち!」
オルジャソルは掴んでいた手を離すと、壁を蹴って一気に建物の屋根まで上がる。
「逃げただと…どっちだ!?」
魔人は基本性能として、ある程度強い魔力の相手なら位置を探る事が出来る。
しかし今、『竜斬り』の魔力は感じない。魔力を使う瞬間毎に高める闘い方をするビトーは、余程魔力感知に優れた者でないと、通常時は遠距離では見つけられない。
また、女王の方は精霊像の水瓶が同質の魔力を常に放っている為、王都ではまるで大きな光に飲み込まれた小さな光のように、居場所を特定出来ない。
「くそ、王宮の外に向かったのは間違いないだろうが……」
《東だ、東へ迎え! 奴は既に、王宮から出ている!》
「なんだと…くそ!」
オルジャソルは焦燥する。大司教の不興を買う事だけは、絶対に避けなくてはならない。
「魔力は消耗するが…仕方ない!」
再び腕を伸ばすと、次の建物の尖塔に掴み、また腕を縮める。それを繰り返して高速移動し、王宮の東側へと向かっていく。
素早く貯水池に架る橋に辿り着くと、その上を真っ直ぐに街へと走る。
そして、もう少しで橋を渡り切るというところだった。
「う!?」
橋の欄干から、突然黒い影が飛び出てくる。
獣人の、女だ。
「竜斬剣・抜刀竜尾薙ぎ!」
抜刀の加速を加えた横薙ぎの刀が、超速で迫る。
咄嗟に右腕でガードしたが、手首から先が斬り落とされた。
「ぐぅおあぁ!」
焦りは周囲の警戒を疎かにし、普段なら喰らわないであろう攻撃を喰らってしまった。
それでも、目の前の獣人を殺すため、左腕を伸ばして捕まえようとする。だが、それが届く事はなかった。
「スピンナイフ!!」
「あぐぁ!」
背後から現れた別の敵の一撃で、背に抉られるような痛みが奔る。
「ぐぅ、お、のれ…!」
だが、振り向いて迎撃する余裕は無かった。これだけのダメージを喰らい、相手は二人。そして、更なる刺客がいる可能性もある。
分が悪いとみたオルジャソルは、橋から水の中へと跳び込んだ。
ザパァン!!
大きな水音を立てて、その姿が水の中に消える。
それを確認しようと欄干に上がった獣人の剣士は、フェイだった。
「追うです?」
「いや、いい。今の奴は暫く動けないだろう。他の追手に気をつけながら、ビトー達の処に戻ろう。」
答えたのは、オルジャソルの背に大ダメージを与えた、マルティンである。
フェイは頷いて、欄干から降りた。
「それにしても、爺さんの言う通りにヤバいのが来たな。張っておいて正解だった。」
「ジェリーは大丈夫ですかね?」
「そっちも爺さんの人脈に期待するしか、ないが……今は、ビトー達を守ろう。」
「はいです!」
橋から次の追手が来ない事を確認しつつ、二人は王都の街並みに消えた。
― ◆ ―
同じ頃、ビトーとアレッサンドラはバーロに連れられ、フランが治療を受けている法術士の家を訪れていた。
「陛下! よくぞ、ご無事で…」
「よい、そのままでおれ。」
女王の顔を見て、ベッドから起き上がり降りようとするフランを、押し止める。
それでも、流石に寝たまま会話する訳にはいかないので、半身起こした状態となった。
「一年ぶりだな、フランチェスカ。まさか、このような形で再会するとは思ってもみなかったぞ。」
「私もです。…しかし、王宮からどうやって出ていらっしゃったのですか?」
「それはまあ、のう?」
アレッサンドラがビトーに振り向き、目配せする。
女王を背負って飛んだなどと言えば、間違いなく叱責されるであろうビトーへの気遣いだった、が。
「ああ、えーと、二人だけの秘密? って事で。」
「な、なに? ビトーお前、畏れ多くも陛下に対し、無礼な事をしたのではあるまいな!?」
誤魔化し方が下手で、結局詰め寄られるビトーである。
溜め息を吐きつつ、間に入るアレッサンドラ。
「よい。そんな些末な事より、もっと大事な事があるだろう。」
「え?」
「ん?」
顔を見合わせるビトーとフラン。そこに、バーロが勢いよく部屋に入ってくる。
「陛下! お誕生日おめでとうございますぅ〜!!」
満面の笑みで、いつの間に準備したのかパンケーキまで手にしている。
既に日が変わり、アレッサンドラは十三歳となっていた。
「ああッ! これは失礼いたしました。おめでとうございます陛下!」
「そうだな、誕生日大事だな。おめでとう!」
バーロに続いて拍手でお祝いする二人に、アレッサンドラは頭を抱えた。
「そうではない! 王宮を、そして国を奸賊から取り返す事であろうが!」
女王の正論による剣幕に、慌てて頭を下げる。
「す、すみません!」
「ごめん!」
「それはそれとして誕生日も大事ですぞ〜。」
唯一、目下ずにケーキを押し出すバーロである。
アレッサンドラは呆れて、傍らに立つ旧知の法術士を見やる。
「ファービィ、この者は何とかならんのか?」
「申し訳ありません陛下。この人、女王陛下愛が強すぎて、ちょっと駄目になるんです。」
苦笑する元王宮法術士は、深々と頭を下げた。
その隣で反省のないバーロが、更に一歩前に出る。
「陛下、我々はメロメロ親衛隊ですので! ご容赦を!」
「な、なんだ、何親衛隊だと?」
「『女王陛下にメロメロ親衛隊』です! そこのフラン殿も隊員でして。」
アレッサンドラが厭そうな雰囲気で横目で見ると、フランは両手を振って否定する。
「ち、違います! いえ、女王陛下への忠心は違いませんが!」
「なんか、歌ってたよな。メロメロ〜って。」
「ビトー!!」
慌てて手を伸ばして、ビトーの口を塞ぐフラン。
いつも落ち着いた立ち居振る舞いをしていたフランのそんな姿は、アレッサンドラには新鮮だった。
それで、フランが変わった理由に思い至る。
「ああ、そなたとビトーは、そういう…」
「違います!」
「コラコラ、フラン殿。陛下の御言葉を遮るのは、不敬であるぞ。」
にやにやしているバーロを、歯を食いしばりながら睨みつけるが、言い返せないフラン。
「なあ、それよりフェイとマルティンは脱出出来たって聞いたけど、ジェリンピオは大丈夫かな?」
場の空気をいまいち読み切れていないビトーは、別の気に掛かっていた事をバーロに聞いた。
「ああ、問題ないぞい。王宮で、カナが匿ってくれとると法通紙で送ってきたからな。」
「バーロ、そなたメイド長とも繋がっておったのか。」
「ええ、カナはああ見えてとても情熱的でして。逢う度、初恋のような熱烈な口吻を……は!?」
何事かに気づいてバーロが顔を上げると、其処には能面のような顔をしたファービィがいた。
途端に、目を逸らし気味に言い訳を始める。
「い、いや違うんだ、話せば解るッ…!」
「……別に、バーロ様の浮気性など今に始まった事では御座いませんので、私は全っ然構わないのですが。ただ、陛下の御前で、そのようなお話はどうかと思いまして。」
全然構わなくなさそうな表情で抑揚無く言い切ったファービィは、最後に敢えて硬い笑顔をしてみせた。
その様子を見て、ビトーに小声を掛けるフラン。
「……ビトーは、ああはなるなよ。」
「うん?…うん。」
忠告の意味をあんまり理解はしていないが、ビトーはとりあえず頷いておいた。
自分が収拾着けるしかないと感じたアレッサンドラは、何度目かの溜め息の後、手を叩く。
「……
「はい、いつでも出立できるよう、整えて御座います。」
ファービィの睨みから逃げるように、バーロは女王に跪いて言った。
ご機嫌斜めのファービィも、女王陛下第一の動きに、文句を言う事は勿論、無い。
「おい、馬車で行くのか? 急いでこっそり王都を出た方がいいんじゃないのか?」
帰りも行きのようなルートを考えていたビトーが、大丈夫かと意見を言う。
だが、しかし。
「余は、この国の君主である。急ぐ事には異論は無いが、何故、こそこそする必要がある。」
アレッサンドラは動じず、女王然とした笑みを浮かべるのだった。
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