第115話 流星

 王宮の大廊下での戦いは、佳境を迎えていた。


水法ロマ・リアリカ!」


 まるで大砲の砲弾のような大きさと速さで、水の塊がジェリンピオの手から放たれる。

 

「ハハッ!」


 オルジャソルはその法術に敢えて高速で突っ込んでいき、寸前で僅かに体を傾けて躱す。


「!」


 そのままジェリンピオの懐に入ると、右腕を大きく振った。

 跳んで後退するジェリンピオだったが、オルジャソルの五本の指の先には鋭い魔法の爪が伸びており、完全には逃げ切れない。


「ぐッ!」


 胸の鎧が裂かれ、皮膚に五本の赤い筋が出来る。

 それで終わりでは無かった。追撃のオルジャソルが左の拳を突き出す。

 間一髪で剣で受け止めるが、魔力で形成された拳は強力で、勢いで跳ね飛ばされる。

 廊下を転がったジェリンピオは、柱にぶつかり漸く止まった。


「痛えな畜生…あ、剣も折れてやがる!」


 後頭部を擦りながら、立ち上がるジェリンピオ。

 それを見てオルジャソルは賛辞を送る。


「ギリギリで致命傷を避ける動きと勘の良さ、素晴らしいぞ。ここまでやるとは思わなかった。」

「あー、どーも。そうは言っても、こっちばかりボロボロですけどね。」


 未だ掠り傷程度のオルジャソルに対し、ジェリンピオは深手こそ無いものの、全身傷だらけであった。

 お互いの姿を見比べただけで解る実力差に、思わず舌打ちが出る。


『くそ、魔人ってのはこんなにヤバいのか。』


 ジェリンピオは、ロトリロに現在三人しかいない称号騎士だ。それをひけらかす訳ではないが、ロトリロの騎士のトップであり、大陸で見ても上位の騎士であろうと自負している。

 従って、相手が戦った事のない『魔人』という存在であっても、それなりにやれる目算ではあった。

 しかし蓋を開けてみれば、歯が立たない。こっちは必死に戦っているのに、相手にはまだまだ余裕がある。


『……ビトーは、砦で魔人を倒したんだったな。アイツもヤバいな。』


 自分の今まで培ってきた『強さ』をあっさり超える者が次々表れ、つい溜め息が漏れた。


「……どうした? もう諦めたのか?」

「いやあ、仲間が魔人に勝ったんだから、俺もせめてもう一本の腕くらい落とさなきゃな、って思っただけだ。」


 ジェリンピオは警戒しつつ少し歩き、落ちていた槍と小剣を拾う。先程まで自分が大立ち回りをしていたおかげで、そこら中に武器と兵士が転がっていた。


「やる気を失ったかと思って心配したぞ。」

「一応、これでもこの国の騎士の端くれなもんでね。あんまり好き勝手やられると……腹が立つってな!!」


 ジェリンピオの叫びと共に、オルジャソルの周りの床がめくれ上がり、尖った大きな氷柱が何本も飛び出してくる。

 武器を拾うまでの間に、足下から法術を忍ばせていたのだ。


「なに!?」


 躱す隙間も無い為、魔装を強めガードする。

 その魔装に阻まれ、氷柱がオルジャソルに突き刺さる手前で停止した。が、その瞬間氷は砕け、一気に水蒸気に変わる。


「目眩ましか!」


 その視界を遮る濃霧の向こうから、小剣が飛んでくる。

 視えたのは寸前だったが、オルジャソルは右手の爪で難なくそれを弾いた。


  ガキィィン!!


「う!?」


 その弾いた筈の小剣が、回転しながら跳ね返ってくる。オルジャソルが的確に弾くと予想し、前もってその方向へ移動していたジェリンピオが、槍で打ち返したのだ。

 咄嗟の為、魔装ではなく、反射的に跳んで躱す。


水法ロマ・リアリカ・トゥオーノ!!」


 空中の敵を狙い撃つように、巨大な水の塊が逆流する滝となって放たれる。

 さしものオルジャソルも回避出来ず、正面から喰らった。


「う、うおぉぉ!?……ぐぅ!」


 どんどん上昇する滝は、王宮の天井に衝突する。

 天井と滝に挟まれ、苦悶の表情を浮かべるオルジャソル。

 しかし、ジェリンピオは攻撃の手を休めない。


「もう一発、追加だぁぁぁ!!」


 同じ滝の水法がジェリンピオから撃たれ、先の滝に加わる。

 二倍の威力を受け、オルジャソルの前に天井が悲鳴を上げた。


  ゴ、バァァァァァン!!


 凡そ石が砕ける時としては聞いたことの無いような轟音が響き、王宮の硬い石造りの屋根を貫いた。


「うおおおおおおおおぉぉ!!?」


 砕けた石の欠片と共に、オルジャソルが逆流する滝によって外に弾き出されていった。


「ハァ、ハァ、ハァ……あーもう、空っぽだぁ!」


 その場に大の字にひっくり返るジェリンピオ。


「あれで、やられてくれたかなぁ…くれねぇだろうなぁ。」


 だが、もう反撃する力は無い。法術を使う魔力も、剣を振る力も、全て出し尽くしてしまった。敵が戻ってくれば、間違いなく殺されるだろう。


『まあ、十分やりきっただろ。後は、大将達に任せよう。』


 荒い呼吸の中、目を閉じて休んでいると、自分に近づく足音が聴こえてくる。


「もう戻ってきたのか。随分早いお帰りなこって。さあ、煮るなり焼くなり好きにしな。」

「私に、人を調理する趣味は御座いませんわ。」


 予想外の声に目を開けると、自分の顔を見下ろしていたのは、妙齢のメイドだった。


「あれ、あんた誰だ?」

「私は、王宮付きのメイドです。『鳴滝の騎士』様、ですわね。起き上がれますか?」


 どうも、とどめを刺しに来た敵では無さそうだ。ジェリンピオはすぐに立ち上がる。


「良かった、動けないならどうしようかと思いました。貴方、重そうですもの。…さ、どうぞこちらへ。」

「何処に行くんだ?」

「ある御方の命で、貴方を匿います。さ、早く!」

「あ、はい…。」


 ベテランメイドの有無を言わさぬ迫力に、大人しくついていくジェリンピオであった。



  ― ◆ ―


 ビトーは右腕でアレッサンドラを抱えて、天窓から外へ飛び出した。


「よっと。」


 そして精霊像の頭の上に着地する。

 アレッサンドラは初体験の超跳躍に、少し高揚していた。


「今のは中々、面白かったぞ。褒めて遣わす。」

「おう。ありがとう。」


 そしてビトーの顔を見上げると、その向こうに満天の星空があった。


「うわっ…」


 言葉を失う。今は、山頂の、その中でも一番高い精霊像の上だ。

 見上げれば、遮るものは何も無い。アレッサンドラはまるで自分が、星の海の真ん中にいるように思えた。

 その年相応の感動の表情に、ビトーが安心したように言った。


「やっぱり、アレッサも普通の女の子だな。」

「なに? 余に対して不敬な物言いをするでない。」


 ジロリと睨まれたが、ビトーは慌てない。


「いや、馬鹿にしてるんじゃなくてさ。…なんだろ、誰もいない今ぐらい、女王様を務めなくてもいいんじゃないか?」

「お主がいるではないか。」

「俺は、数えなくていいよ。」

「なんで?」

「なんでも。」


 ビトーは笑いつつ、しゃがんで背を向けた。


「? なんのつもりだ。」

「おんぶだよ。流石にさっきみたいな抱え方じゃ、ここから飛ぶのは無理だ。」

「飛ぶ!? ここから飛び降りるつもりなのか!!?」


 アレッサンドラは、その瑠璃色の美しい目を丸くさせた。脱出するという事で外に出たが、まさか飛び降りるというのは想像していなかった。


「そういう、法術があるのか?」


 恐る恐る聞いてみたが、ビトーは首を横に振る。


「俺、法術使えないんだ。だから、足に魔力篭めて、ジャンプする。」

「……ふ、ふは、あははははは!」


 シンプル過ぎるビトーの説明に、思わず笑い出すアレッサンドラ。

 吃驚したビトーだったが、楽しそうな少女の様子に、笑い終わるまでは待つ。

 そして、一頻り笑うと、アレッサンドラは意を決した顔となる。


「よし、一度『やってみせよ』と言った以上、女王として撤回はせぬ。存分に飛んでみせよ。」

「そうこなくっちゃ! 大丈夫、ちゃんと王宮の外まで連れて行くよ。」


 ビトーのその笑顔を見た者は、誰しも勇気が湧いてくる。アレッサンドラもその一人だった。

 背におぶさりながら、耳元で呟く。


「お主は、不思議な奴だな。」

「ハハ、よく言われる。…じゃあ行くぞアレッサ、覚悟はいいか?」


 アレッサンドラをおんぶして、ビトーが立ち上がった。

 顔だけ振り向いたビトーに、アレッサンドラは大きく頷く。


「余を誰だと思っておる。女王に二言は無い。」

「了解! そんじゃ、いっくぞぉぉぉぉぉぉぉ!」


 掛け声を上げ、ビトーは駆け出した。

 ティアラを超えて、精霊像の頭の端まで疾走する。

 普通なら目を閉じてしまいそうなそのスピードでも、アレッサンドラは見開いていた。


「全・力、ジャァァァァンプ!!」


 思い切り踏切り、ビトーは精霊像から飛び立った。


「!」


 大きな放物線を描きながら、二人は夜空をゆく。


『すごい……ッ。』


 まるで星空に吸い込まれていくような感覚。アレッサンドラは、その景色を目に焼き付けようと、必死に見ていた。


『私が、流れ星になったみたい。空が、こんなに近い……。』


 瑞々しい少女の感性を刺激され、アレッサンドラはその一時だけ、女王である事を忘れていた。

 激しく聞こえる筈の風切音も消え、静かな星の海を行く流星の舟になる。

 ――だが、永遠にも思えたその時間は、実際にはほんの僅かな間だった。


「一回、降りる! 舌噛まないように気をつけろ!」


 ビトーの声が聴こえ、アレッサンドラはしっかりと口を閉じる。

 落ちていく二人の目の前に迫るのは、王宮で一番高い塔だ。

 その上部のドーム状になっている部分に着地する。魔力で勢いを殺しているものの、それなりに強い衝撃が、アレッサンドラにも伝わった。


「!」

「それ、次いくぞ!!」


 ビトーはドーム状の屋根を嵐のように駆け抜けると、その端で再び飛んだ。

 一回目と同じような大ジャンプだが、少々スタートの高さが足りない。


「いっけぇぇぇぇぇ! なんとか、堀の外まで!」

「なに? 危ないのか?」

「ギリギリってとこかな!」


 ビトーの言葉に眼下を見ると、既に王宮を越え、大きな貯水池の上を飛んでいる。

 対岸は迫ってきてはいるのだが、辿り着けるか微妙なところだった。


「おい、なんとかしろ! このままじゃ落ちるぞ!?」

「まあ、落ちても水深いし、大丈夫大丈夫。」

「大丈夫じゃない!! 溺れるだろう!!」


 アレッサンドラが慌てだす。

 水の都の生まれではあるが、王族の姫として生まれ、蝶よ花よと慈しまれて育てられた。

 騎士達と違い、水中の訓練などしていない。つまりは、カナヅチである。


「あ、ごめん。届かないわ。」

「嘘だぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!」


   ザッパーーーーーーーーーーーーーーーン!!


 対岸まであと数歩届かず。

 アレッサンドラの絶叫と共に、大きな水柱が上がった。



  ― ◆ ―


 深い深い水の底へと沈みながら、アレッサンドラは昔懐かしい家族の事を思い出す。


『お父様すみません、アレッサはここまでのようです……あれ、今のはお母様かしら?』


 記憶の底に浮かんだのは、まだ赤ん坊の自分を抱き上げる前王の父と、その隣で微笑む女性――恐らく、自分が一歳の頃に亡くなった母だった。


『今迄顔も忘れていたのに、こんな時になって想い出すなんて…。』


「……アレッサ……アレッサ……」


 そうだ、自分を初めて「アレッサ」と呼んだのは母だった。そんな事も忘れていた自分に、腹が立つ。が、赤ん坊の頃では仕様がなかった。


「……アレッサ……アレッサ……」

『お母様…想い出せて良かった……今、参ります……』


 その呼び声に耳を傾けながら、アレッサンドラは今際の際であることを感じていた。


『……それにしても、お母様……随分と、雄々しい声でいらっしゃったのですね……』

「……アレッサ…アレッサ!…アレッサ!!」



  ― ◆ ―


「ぷえ?」

「アレッサ! 気がついたか、良かった!!」


 アレッサンドラが目を覚ましたのは、貯水池のほとりだ。全身ずぶ濡れで、自分が水の中に落ちたのだという事を認識する。


「ごめん、なんとか届くと思ったんだけど、予想以上に…」

「余が重かったとでも?」

「いや違う違う、予想以上に岸が離れてたんだ。リューベの貯水池って、でっかくって凄いよなぁ。流石、水の都!」


 睨むアレッサンドラを何とか躱そうと、王都をヨイショするビトー。

 その滑稽な様が可笑しくて、つい吹き出してしまう。


「ぷ、あはははは!……まあ、いいだろう。星を間近に感じるような経験も出来たし、大目にみよう。」

「は、はー、どうもありがとうーー。」

「それに、走馬灯も思ったより、悪くないものだったしな。」


 清々しい表情を浮かべ、アレッサンドラは立ち上がった。

 

「さて、これからどうするのだ。フランチェスカは何処だ?」

「あ、フランは怪我をして、仲間に託したんだ。」


 それを聞いて、アレッサンドラが顔色を変える。


「なんだと!? 無事なのだろうな!?」

「え、えーと、法術士が癒やしてくれるそうだから、大丈夫、だと…。」


 実際、それは靴屋の主人任せで、明確には絶対大丈夫だとは言えない。

 アレッサンドラが顰め面で腕組みをする。


「なんという適当さだ。フランチェスカに何かあったら、タダじゃおかんぞ。」

「フランは無事じゃぞい。」

「!」


 其処にひょっこり現れたのは、靴屋の老主人だった。


「今は、ワシの彼女ん家で寝とるよ。」

「そうか! 良かった。」


 喜ぶビトーに比べ、呆れた顔になるアレッサンドラ。

 その老主人に、見覚えがあった。


「……お主はこんな処で何をしておるのだ、ナンシーニェ侯。」

「え? ナンシーニェって、確か…」

「女王陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。あと、今は元・ナンシーニェ侯ですぞ。」


 帽子を取って挨拶する老主人は、悪戯っぽい笑顔を見せた。彼は、隠居して息子に代替わりした元侯爵であり、第三騎士団団長ポーリの父親、バーロ・ナンシーニェその人であった。



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