第110話 月明かりの下で

 ジェリンピオ達が起こした騒ぎに依って、ビトー達側の敵兵力は、かなり減っていた。

 それでも、橋を渡った際には門番が二人いたが、難なく倒す。そして閉まったままの門を破壊すること無く、ビトーの跳躍で越えていた。


「……跳び越えるのはいいが、跳ぶ前に一言、言ってから頼む。」


 人の気配の無い中庭を走りながら、フランが抗議する。


「いくぞ!って言っただろ。」

「その前だ!……だから、その、抱きかかえる前にだな…」

「む! 誰か来る!」


 腕を伸ばしフランの言葉と行く手を遮って、立ち止まるビトー。

 勢いでビトーの腕に突っ込んで絡みつつ、フランも止まる。


「あれは……」


 現れた黒装束の男達に、フランは反乱初日に自分を捕らえた者を思い出した。

 そして、ビトーも同じ格好をした者達と何度か戦っている。


「黒マスクだ! 気をつけろ、あいつら普通じゃないぞ!」


 大鋼を抜き、構えるビトー。前方は暗いが、魔力感知で数えた敵は五人。

 同じくサーベルを抜いたフランは、人数を聞いて想定以上に多い黒マスクに驚いていた。


『枢機卿の私軍の中でも、特に重要な戦力の筈…それがこっちに多数来ているということは、蒼衣を狙っているのが見破られている…?』


 だが、考えている時間は無かった。黒マスクが、次々と飛び掛かってくる。


「くるぞ!」

「任せろ! 水法ロマ・ラスヴェーナ!!」


 フランが叫びと共に左手を開いて突き出すと、その掌が青く光り、数本の細い水流が勢いよく放たれる。

 それが飛び掛かってきていた黒マスク達に激突し、ビトー達に届く前に、地に落とされた。

 そして、落とされて立ち上がろうとする前に、ビトーが間合いを詰める。


「竜斬剣、竜尾薙ぎ・連斬!」


 中段からの横薙ぎの剣を二連続で繰り出し、不意を突かれた黒マスクの二人が首から上を失う。

 その間に立ち上がった残りの三人が、やられた仲間に構わずビトーへと突進してくる。


「ぐッ!」


 大鋼で受け止めたが、並の人間では考えられない強度の体当たりで、その三人分の衝撃によりビトーでさえも弾き飛ばされる。


「ビトー!」


 更に押し込もうとする黒マスクに対し、水法の壁をビトーの前に作り牽制するフランだったが、黒マスクは壁に構わず突っ込んでいく。


「なんてパワー!?」


 水の壁は突き破られたが、それでも勢いを削ぐ事は出来た。

 体勢を立て直したビトーが、壁の向こうで待ち構える。


「竜角折り!!」


 斜めに斬られた男の頭の上半分が落ちる。その体を蹴って一人にぶつけ、もう一人の方へ向かう。


「竜腕断ち!」


 右腕ごと胴体の中程まで斜めに斬られ、崩れ落ちた。最後の一人が迫るが、一対一でのビトーには余裕すらあった。


「竜胴貫き!!」


 カウンター気味に繰り出された突きを喰らい、黒マスクは心臓を貫かれて動きを止めた。


「ビトー!」


 大鋼を敵の体から抜き去るビトーに、フランが駆け寄る。


「凄いな! 私は以前、一人にさえやられたというのに。」

「フランが手助けしてくれたおかげだよ。それに…」


 ビトーは訝しんで、黒マスクの亡骸を見る。


「……前に戦ったヤツは、もう少し戦い馴れた感じがしたけど、コイツらは突っ込んでくるだけだった。力だけは強かったけど、そういう意味での強さは全然だな。」

「そうなのか。…確かに、猪突猛進しているだけには見えたが。」


 言われてフランも亡骸を見るが、以前の黒マスクと外見上は大差無い。


「個性が無さそうに見えて、違いがあるのかもな。」

「ん、んーー。でも、なんか違和感があるんだよなぁ。」


 首を傾げるビトー。その時、異変に気付いた。

 頭や首を失い、心臓も貫かれた黒マスク達が、ゆっくりと起き上がったのだ。


「な、なんだこれは!?」


 フランも驚愕してサーベルを向けるが、相手のあまりの不気味さに思わず後退る。

 この大陸においてゾンビのような化け物モンスターは、お伽噺などでは出てくる事もあるが、実際には存在しない。……というのが一般的な認識だが、フランが見ているそれはゾンビとしか形容出来ないような姿だった。

 黒マスクがタフだとは言っても、これまでとは明らかに別物だ。


「なら、動けないくらい壊す!」


 ビトーにとっても未知の敵だが、怖気づいたりはしない。

 上段に剣を構え、必殺の一撃を放つ。


「竜斬剣・竜頭割り!」


 既に頭のない状態ではあったが、黒マスクの一人を真っ直ぐに振り下した大鋼で一刀両断する。真ん中から真っ二つにされては、ゾンビでも立ち上がることは出来ない。

 ビトーは続いて来る二体を竜頭割りで両断するべく構えるが、残りの二体はフランに迫っていた。


「く、寄るな化け物!」


 サーベルで繰り出される剣戟は鋭く、その突きは本来なら致命傷に及ぶ威力だ。だが、それを幾ら喰らっても、黒マスクは倒れない。

 落ち着いて法術を繰り出せればまだ良かったのだが、焦ったフランは剣での攻撃に終始する。

 傷だらけになり、血塗れになりながらも向かってくる敵の姿は、最早恐怖でしかない。


「う、うぅ、来るなァァ!」


 二体のゾンビの腕が遂にフランに届こうとしたその刹那。

 黒マスクの体が横に吹っ飛び、フランの視界から消えた。他の黒マスクを倒し終えたビトーが、左から魔力の篭った蹴りを加えたのだ。


「ガルァァァ!!」


 王宮の壁に重なってぶち当たったところを、ビトーが上段から斬り放つ。

 最大限の力で振り下ろした剣は、二人重なったままの黒マスクを同時に斬り裂いた。

 縦に半分に別れた二体が動かなくなったところで、ビトーが振り向いた。


「フラン、大丈夫か?」

「あ、ああ……助かったよ。」

 

 フランは肩で息をしながら、その場に座り込んでいた。

 近寄ったビトーが手を差し伸べ、それを掴み立ち上がる。


「済まないな。……それにしても、何なんだ此奴等は。」

「分からない。分からないけど、砦で戦った魔人と、似たような魔力を感じたな。」


 燐粉に魔力を帯びさせて自在に操ったメッフメトー。それに似た魔力の質を、ビトーは感じ取っていた。

 燐粉と人の躯では大きさはまるで違うが、『操る』という面では同じ系統なのかもしれない。


「では、此奴等は、死体を魔人に操作されていたって事か?」

「多分、な。そういう法術でも無いのなら、恐らく魔人の魔法だろうな。」


 ビトーの言葉に、フランはその端正な顔を顰めて、嫌そうにする。


「随分と、悪辣な魔法があるんだな。」

「アイツらは、人間を何とも思ってないからな。…それより、ここに魔人がいるってハッキリしたな。急いだ方が良さそうだ。」


 あまり長居をしていると、陽動組も危険だ。そう判断して、ビトーとフランは再び走り出す。精霊像はもう少し先だった。

 走りながら、フランは思う。

 ゾンビのような化け物に襲われながらも、冷静に対処し、魔人の魔法ならさもありなんと言い切って動じもしないビトー。

 また少し、ビトーが以前と変わってしまっているのではないかと、案ずるのであった。



  ― ◆ ―


「………やはり、あの程度の素体では無理か。」


 王宮の端、鉄格子の部屋で、椅子に深く腰掛けた男が溜め息を吐いた。


「やれやれ、仕様がない。仕込んだばかりの新作を、こんなに早く使う事になるとは。竜斬りめ、つくづく邪魔なヤツだ。」


 男は、目の前の卓上にある球体の水晶に、両手を伸ばし魔力を篭める。


「……廃縲傀儡メージリポゥ。」


 すると水晶は薄紫に光り、その中にある場所の景色を映し出す。まるで人間の目線からみたようなその映像には、精霊像の足先の部分、そしてその足と足の間に神殿の入り口が映っていた。


「新作でも、二人相手は厳しいからな。まずは、で分断しよう。さて、どっちが神殿に入ってくるかな?」


 フードを被った男のその表情は伺い知れないが、声色は少々楽しげではあった。

 そんな男の様子を見ているのかどうか、鉄格子の向こうで、壮年の男が微動だにせずにいた。それは以前この部屋で、フィリポがわざわざ出向いてまで面会した男だった。



  ― ◆ ―


 その部屋の主は、本来ならとっくに眠っている時間であったが、その夜は妙な胸騒ぎのせいで眠りにつくことが出来ていなかった。


「……これでも、明日を迎えるのを嫌がっているようだな。」


 自分の感情をまるで他人事にように呟くと、ベッドから起き上がる。

 見上げた天窓から差し込む月明かりは、いつものように柔らかく優しい。この光を知れたのだけが、この部屋に閉じ込められて良かったと思える事だった。


「ん? なにか足下が騒がしいな。」


 ベッドから離れ床に立った彼女は、その視線を向けた床の更に下に、蠢く無数の魔力を感じ取っていた。


「………ふぅむ。思っていた予定と違うな。まだ、来ないはず、なのだが……。」


 それでは、今起こっていることは、想定外の事なのだろう。

 彼女はそう冷静に判断し、侍女が明日用に準備してくれていた着替えを手に取る。


『春は近いが、まだ冷える…何事も、準備をするに越したことはない。』


 彼女のような身分の者には珍しく、一人でも手際良く着替えていく。

 ただ、流石に髪は普段通りに結い上げることは出来ない。

 そう離れていない部屋に控える侍女を呼ぶ事も出来たが、今、下手に起こすと侍女の身に危険が及ぶかと思い、その長く美しい暗青色の髪を下ろしたままにした。

 再び、天窓を見上げる。

 そこから見える月明かりに紛れてやってきたのは、天使か、それとも悪魔か。どちらにせよ、その者がこの国の命運を握っている事を、まだ彼女は知らなかった。


 

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