第99話 咆える

 東棟の階段を降りながら、空き部屋ばかりの階を素通りしていくビトー達。


「誰もいないですぅ。」

「法術対策の牢は、地下ですからね。……あと、尋問室も。」


 メレッテが言い難そうに口にした尋問室というのは、要するに拷問部屋である。

 開戦後に囚えた捕虜ならいざ知らず、王宮で反乱初日に囚えた捕虜から何かしらの情報を得るために拷問するような事は考え難い。だが、世の中には利益を得る為ではなく、己の性癖の為に拷問を行う輩も存在する。安心出来る状況では無かった。


「………!」


 黙って先頭を進んでいたビトーが、階段の途中で足を止め、後続の二人にも止まるように手で示す。

 次の階の廊下を、誰かが歩いている気配を感じたからだ。


『――上がってくる、か。』


 哨戒中の敵、にしては動きがシンプルに、こっちに向かってきている。

 恐らく、見張りの交替の為に東棟から上がるつもりだろう。階段を戻って隠れてやり過ごしたとしても、見張り台まで行かれてしまえば異変に気付かれてしまう。そう判断したビトーの行動は早かった。

 一っ飛びで階段を降りると、大鋼を抜く。


「! なんだ!?」


 着地の足音に反応した兵士が駆け寄ると、出会い頭に剣を振り、首を掻っ斬る。


「が、フ…」


 首を飛ばすほどではないが、確実に声と命を奪う斬撃だった。

 倒れかかる兵士を片手で止めて、静かにその場に横たえる。

 続いてフェイとメレッテが階段を降りてきて、絶命した兵士を目撃した。


「ひっ。」


 まさか大きな物音もなく、一瞬で敵を斬り殺していたとは思わず、声を上げそうになったメレッテが必死で自分の口を押さえる。

 彼も騎士である。敵を斬った事がない訳ではない。しかし、自分の常識からすればあまりにも尋常ならざる早業に、味方ながらビトーに恐ろしさを抱いた。

 それに対し、ビトーは気にする様子は全くない。フェイも同様である。


「ここが一階、だな。階段はここで終わりか。」

「地下は何処から行くです?」

「あ、ああ…えーと、地下への階段は、この先の廊下の突き当り、です。」


 メレッテの説明に頷いて、ビトーは再び歩み出す。

 階段から、角を曲がって廊下に出た。廊下には誰もいなかったが、中庭側の壁には窓がある。近くには気配はないが、中庭や中央棟から見られる位置だ。ビトーは身を低くして、窓枠より下を進み、フェイとメレッテも同じく続く。


『向こうに獣人がいたら、バレバレだったです。』


 屈んで歩きながらフェイは、視界から消えるだけで発見出来なくなる人間の五感に、物足りなさを感じていた。相手がもし獣人であったなら、音や匂いで見つかる事が前提で、屈むよりも高速で廊下を駆け抜け急ぐ作戦を取るだろう。

 そして、三人は難なく廊下を渡りきり、地下へ続く階段を前にしていた。


「あ、ちょっと待ってください。」


 早速降りようとしたビトーを小声で止めて、メレッテが小石を転がす。

 階段の中程まで転がったところで、小石が薄く黄色に輝き出した。


「あの段に、音の法術アラームが掛けられています。そこは絶対に踏まないでください。」


 そして、メレッテが先頭に替わり、小石が光っている手前の段まで来ると、また別の小石を転がした。

 数段転がると、再び光り出す。


「あそこも踏んでは駄目です。」

「ほへ〜。」


 降りていくメレッテに続きながら、フェイが感心したように息を吐いた。


「人族はこういうやり方で、侵入者を見つけるんですねぇ。」

「ああ、メレッテが来てくれてて助かったな。」


 ビトーも素直に有り難がっている。

 フェイは、先程安易に人間を能力不足に考えた事を恥じた。各々の人種に、各々のやり方、力があるのだ。

 階段を下りきると、地下室への扉がある。鍵は無さそうだ。

 メレッテに代わってビトーが前に出ると、そっと扉を押してみる。少々軋みながら、扉は開いていく。

 扉を潜ると、すぐに丁字路になっていた。


「右に行くと牢に続きます。左に行くと、牢番の待機部屋と、尋問室です。」


 メレッテの説明が終わる前から既に、ビトーは左側に知った気配を感じていた。フェイは臭いを感じ、青褪めている。


「ビトーさ……血の臭いが……。」

「……まずは、牢番からだ。牢の鍵がいる。」


 ビトーは震え出しそうになるくらいの怒りを抑え、努めて落ち着いた口調で言う。

 牢番部屋にも、確かに人がいる。緊急事態とはいえ、一人は残していたようだ。

 真っ直ぐに部屋の前まで歩いていくと、ビトーはそのまま止まらずに木戸を開けた。


「あ、え? だ、誰だ!?」


 部屋の中には兵士らしき軽装鎧の中年が一人、小さなテーブルについて飲み物の入ったカップを片手に寛いでいた。

 その兵士の問いに答えること無く、ビトーはテーブルを蹴り上げると、兵士が立ち上がるより早く首に剣を当てた。

 舞い上がったテーブルは床に落ち、激しく歪む。


「動くな。動けば斬る。手は上だ。大声を出しても斬る。こっちが聞いた事に、小声で喋るのだけ許す。いいな?」

「わ、わかった…」


 中年兵士は大量の冷や汗を流しながら、両手を上げた。一瞬で、命の瀬戸際に立たされていると理解した。

 続いて、メレッテが部屋に入る。フェイは見張りとして、部屋の外で警戒していた。


「尋問室の鍵と、牢の鍵は何処だ?」

「じ、尋問室に鍵は無い、立ち入り禁止の時は中から閂するだけだ。牢の鍵は、お、俺の鞄の中にある。」


 ビトーが目配せすると、メレッテが兵士の肩掛け鞄を探り、五つの鍵がついた輪を取り出した。


「よし。その鞄の紐で、コイツの両手を縛ってくれ。」

「あ、ああ。分かった。」


 メレッテは兵士に舐められないようにか口調を変えている。そして言われた通り、鞄と肩紐をナイフで切り離し、兵士の両手を後ろ手に縛った。


「立ち上がれ。お前が前を歩け。次は尋問室だ。さっさと歩けッ。」


 ビトーが兵士の背後を取り、背に剣を突き付ける。


「そ、そんなに脅さなくても言う事は聞くよ。」


 第二騎士団の兵士は、騎士ほど忠誠心や使命感に燃えている者は少ない。報酬も大事だが、命はもっと大事だ。

 再び部屋の外に出ると、兵士を前に歩かせ、隣の尋問室の前まで来る。


  ゴクリ……


 誰かの喉が鳴った気がしたが、気のせいかもしれない。もしくは、自分の喉だっただろうか?

 ビトーは異常な緊張感が支配するこの場で、自分も冷静さを失い始めているように感じた。


「フェイ、コイツを頼む。」

「はいです。」


 刀を抜いたフェイが、兵士の背後に付く。

 そしてビトーが離れ、尋問室の扉を開いた。


「!」


 暗闇で、メレッテには見えない。

 だが、ビトーは、魔力感知や嗅覚、触覚で、しっかりと見えた。


「ルカ!!」


 ビトーが部屋の中へと駆け入る。

 メレッテが通路の燭台にあった蝋燭を一本持ってくる。

 其処には、身体の至る所に傷を負った兎の獣人の少年が、両耳を縄で縛られ、天井から吊るされていた。



  ― ◆ ―


 片手でルカを優しく抱き止めながら、大鋼で頭の上の縄を切る。

 床に落ちないように気をつけて支えたその身体は、驚くほど軽かった。


「ルカ! しっかりしろ!」


 ゆっくりと床に寝かせ、ルカの口の前に自分の耳を持っていって、呼吸音を確認する。


「息はある…が、弱い……クソ!」


 改めてルカの身体を見る。体中に殴打された後があり、肋も折れているようだ。内蔵にも損傷があるかも知れない。

 何より、脚が酷い。骨が、砕かれている。ビトーが一目見ただけで、怪我が癒えても元のように走れるまでに治る事は無いだろう、と解るぐらい、酷い状態だった。


「何故だ! ここまで拷問して吐かせるような情報は無かった筈だ! 何故このようなむごい事を!」


 言葉も出ないビトーに代わって、メレッテが兵士に詰め寄る。


「お、俺じゃねぇ。若い騎士連中がやったんだ。なんでも、獣人のクセに別嬪の貴族様と一緒にいるのが気にいらねえんだと…」

「は? それだけで!?」


 第一騎士団のエースで、若き称号騎士のフランに憧れている騎士が多い事は、メレッテも知っている。そしてその分、常に伴にいる従者にも嫉妬が集まる。口さがない連中の中には、貴族のフランが中々結婚しないのは、少年の愛人を飼っているからだ等と揶揄する者もあった。

 しかし、フランの人となりを知っている者は、それは下らない嘘言だと分かっている。第三騎士団はポーリもジェリンピオも、フランと交流があり、誰もフランやその従者の陰口を叩くような者はいない。

 第二騎士団は、第一騎士団と離れた任務地である為、交流が少なく、余計に揶揄や嫉妬の生まれやすい空気があった。

 その上で、従者を囚えてみれば実は獣人だったと分かり、鬱憤は頂点に達した。

 それにしても、である。これは、あまりにも行き過ぎた暴力だった。


「なんて奴らだ、騎士の風上にも置けないッ!」

「お、俺もそう思ってたんだよ。でもな、こっち来てから段々、あいつら獰猛になってきちまって…止めたら、こっちが殴られそうだったんだよ。だから、見て見ぬふりをするしか無かったんだ。ホントは、牢番だってやりたく…」

「――もういい。」


 饒舌に、なんとか生き残ろうと言い訳を並べる中年兵士を、ビトーが怒気の孕んだ声で止めた。

 

「フェイ、コイツの手甲からルカの血の臭いがするのは、俺の勘違いか?」

「勘違いじゃないです! 最初からずっと臭ってたです!」


 フェイの眼が、肉食獣のそれのように闇夜に光る。

 兵士は自分の手甲に目を向ける。其処には、目立った血の痕など無い。並の人間なら、臭いも感じない筈だ。


「まさか、しっかり拭き取ってるのに……はっ!」


 兵士が自分の失言に気付いた時には、その身体は縦に両断されていた。

 途端に、けたたましい金属音が鳴り響く。

 驚いたメレッテが兵士の亡骸に蝋燭を近付ける。


「コイツ、鎧に音の法術アラームを仕込んでます!」


 法術の刻まれた鎧を踏み砕くと音は止んだが、敵が来るのは時間の問題だ。


「フェイ、これを使ってルカの手当をしてくれ。」


 ビトーが、リコから貰った傷薬を渡す。


「分かったです! ケネットさんの薬もあるです!」

「ああ、それはいいな…なんとか、助けてやってくれ。」


 敵の襲来を全く気にしないようなやり取りに、メレッテが焦りだす。


「そんな悠長な、まず脱出してからでしょう!?」

「今無理に動かせば、ルカっちの命が危ないです!」


 フェイが反論するのも分かる。それくらい、ルカは重傷だった。

 しかし、命を助けても敵に襲われれば元も子もない。


「それは分かりますが、逃げてからでも助かる可能性も…」

「心配いらない。この地下には誰も降りて来ない。」


 ビトーがゆっくりと、入り口へと歩き出す。


「――俺が、全て斬るからだ。」


 幾らビトーが強くても、一個中隊100人以上を相手にするのは無謀だ。そう言いかけたメレッテだったが、言葉が出ない。

 後ろ姿でその表情は見えないが、恐ろしい程の怒気が、ビトーから溢れている。その迫力の前に、何も言えなかった。

 そしてビトーは一人、部屋を後にした。


「……自殺行為だ。せめて、少しでも手助けに…。」


 誇りを持った一騎士として、共に行こうとしたメレッテの腕を掴んで、フェイが止める。


「行っちゃ駄目です。巻き込まれます。」

「ま、巻き込まれ…?」

「暫く地下から出ない方がいいです。ビトーさに斬られたく、ないです。」


 メレッテは驚愕した。

 フェイは、敵にやられる事も、ビトーが負ける事も、全く考えていない。

 危険なのは、外に出てビトーの剣に巻き込まれる事。それだけだと言っているのだ。

 足を止めたメレッテの腕を離すと、フェイはルカの側に座り込んで、手当を始める。

 まずはケネットの薬を噛み潰し、水を含んで、口移しでルカに飲ませた。


「良かった、飲み込めてるです。……メレッテは、今の内に牢から人を助けておいた方がいいです。もしかしたら、癒やしの法術が使える人がいるかも…。」


 ルカの胸の傷口を、水筒から流す水で洗いながら、振り返らずに言うフェイ。メレッテは、慌てて何度も頷いた。


「わ、分かりました! ちょっと行ってきます!」



  ― ◆ ―


 ビトーが階段を登りきると、音の法術に気付いた兵士が、東棟の中に入って来ようとしていた。

 廊下の先にその姿を見留めると、ビトーは一気に走り出す。


「な、何奴!? うぐ!」

「ぎゃあ!」

「ぐは!」


 最初に入って来た兵士三人は、走り寄るビトーが見えた瞬間に、斬られていた。

 倒れた兵士を踏み越えて、東棟から中庭へ出る。


「いたぞー、侵入者だ!」

「第三のやつか!?」

「殺せ、殺せーー!」


 既に中庭には多くの騎士や兵士が集まってきていた。更に追加で、中央棟からも続々と人員が出て来る。

 その様子を見て、敵の鼓動を、ビトーは全身で感じるように天を仰いだ。


「ガウァオオオオオオオオオォォォォォォォォォ!!!!」


 ビトーは、咆えた。それは、怒りに燃える獣の叫びだ。

 砦中に響き渡ったその咆哮に、周りにいた者達は動きと声を止め、一瞬、静寂が辺りを支配する。


「――ハハハァァ……!」


 見上げていた顔を正面に戻した時、その眼は、其処にいる全てを逃さず蹂躙するために、見開かれていた。

 第二騎士団シャラウ中隊の、運命は決まった。


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