第60話 魔龍

 リコはその場に膝から崩れ落ちていた。


「リコ、大丈夫か!」

「どうしました!?」


 触れて支える事も出来ず、しゃがみ込んで心配そうに顔を覗き込むフランとルカ。

 リコは、虚ろな目のまま、泣いていた。


「私、私は……たたかえない……あのひとを止められない…止めたいのに……。」

「!?」


 フランとルカは顔を見合わせ、そして敵の方を見る。

 魔人達に未だ動きがない。遠目ではあるが、明らかに混乱が生じているように見える。


『このリコの様子…あちらの喚巫女と何かあったのか?』


 しかし、考えている時間の余裕は無かった。

 魔人が動かないのであれば、ビトーに加勢するチャンスとなる。

 フランは意気を上げて、立ち上がり自分の身体を確認する。


「……凄いな、脚だけでなく、右肩まで動く。ありがとう、リコ。」

「……え? あ、私…」


 再び名前を呼ばれて、半覚醒したような状態のリコが顔を上げる。


「敵が動かない今しかない。私はビトーの処へ行くが、ルカはリコの傍に居てくれ。魔人に動きがあればすぐに知らせるんだ。」

「はい!」


 勢い込んでルカも立ち上がる。

 上位竜の強さは、人間とは比較にならない。まさしく、段違いだ。例え加勢したとしても勝ち目は分からない。

 だが、それは戦いをやめる理由にはならなかった。

 

「諦めはしない、あいつが諦めない限り!」



  ― ◆ ―


 ビトーはグレンデルの攻撃を紙一重で躱しながら、『先生』の教えを思い出していた。



「ビトー、おめえはもう竜斬剣は完璧に身につけやがった。これ以上言うことはねぇ。」


 そこは、鍾乳洞の奥の奥。広い地底湖だ。

 明かりはないが、先生とビトーにとっては、視覚が遮断されたくらいでは問題にならない。

 ここでの訓練による疲労でビトーは肩で息をしながら、必死でそれを整えようとしていた。


「これでおめえは、この大陸にいる野生の竜に負けるこたぁ無くなった。」

「……ほんと!? ありがとう!」

「だがな、竜の上澄みにゃあ、竜斬剣じゃあ斬れねぇ竜もいる。魔龍まりゅうって連中だ。人間は上位竜と呼んでたな。」

「魔龍…。」

「こっから先はおめえ次第だ。魔龍を斬れる剣も、ある。だがな、そりゃあこの里でも使えるのは俺だけだ。おめえの兄弟子達は、修行しても会得できなかった。」

「……」

「今のままでも、まあ、やれるだろう。だから、ここで終わって嬢ちゃんのところへ行っちまってもイイ。だが、もしおめえが――」

「やる! 魔龍を斬れる剣を覚える!」


 食い気味に意思を叫んだビトーに、先生が苦笑する。


「おめえがこれ以上修行を続けても、他の連中と同じで覚えられねぇかもしれねぇ。時間の無駄になるかもしれねぇ。それに、魔龍なんてレアなもんは召喚されねぇかもしれねぇ。それでもやるか?」

「やる! 無駄にはならないよ、俺は必ず覚えてみせる!」

「……まあ、そう言うだろうとは思ってたけどよ。」


 先生は、少し呆れながらも満足げに笑っていた。


「なら教えてやる。『真技』の真髄を。」



  ― ◆ ―


『――今の俺の体力スタミナも、大鋼の耐久も、全力の『真技』を放てるのは恐らく一回だけ。必ず、仕留める隙をつかないと…』


 走りながら竜の猛攻を避けるビトー。闇雲に技を繰り出しても、一撃で仕留める事は出来ない。少ない隙を見極めるため、ビトーは集中を高めていく。


「感覚を拡げろ! 意識の牙を剥け!」


 魔力感知と五感を最大限に拡大し、相手の動きの全てを掴もうとする。

 そのビトーの感覚が、グレンデルの魔力の妙な動きを察知する。


「……なんだ? 輝く息じゃない……」


 するとグレンデルの口の前に、青い三角形の光が生じる。それは、魔芒星だった。


「Muuuuuuuuuuu…」

 

 一瞬口を閉じて唸ると、一気に大口を開くグレンデル。

 その口から視えない魔力が押し出され、三角形に当たると、そこで氷に変換された。


「な!? 法術の一種か!?」


 氷は無数の氷柱つららのような形状となって、ビトーへと矢のように降り注ぐ。


「ぐ!」


 必死になって、大鋼で弾き落とす。

 輝く息のような破壊力は無いが、スピードは氷柱の方が速い。なんとか喰らわないように剣を振って弾き続けるが、そこにグレンデルの長い尾の一撃が迫る。


「こんにゃろ!」


 最後の氷を跳ね返しつつ、跳躍して尾を躱す。

 その空中のビトーに対し、また氷柱が放たれる。


『速っ!』


 だが、氷柱が突き刺さるよりも早く、ビトーは下から湧き上がった水の勢いに押され、更に上空へと舞い上がった。氷柱は何もない空を飛んでいく。


「水……フランか!助かった!」


 ビトーが地上を見ると、法術を唱えたフランが構えていた。

 しかしグレンデルはフランに目もくれず、再びビトーに向けて三芒星を発動する。


「魔法も法術も使えて鱗は硬いんじゃ、ホントに最強生物だな。」


 ビトーはむしろ自分だけを狙ってくれる事に安堵する。この竜の力が、仲間達に向けられると思うと、ゾッとする。

 それはそうと、狙われて逃げ続けるだけではいけない。

 ビトーはフランに目配せする。自分一人では無理でも、仲間の力を借りればグレンデルに肉薄出来る。

 その意図を、フランは理解した。何故、意図が明確に伝わったか疑問に思わないくらい、スムーズに理解した。


「よし任せろ。……水法ロマ・ディアッティヴァ!」


 上空にいるビトーの足元まで湧き上がっていた水の柱が、更にうねるように伸びてグレンデルへと向かっていった。

 


  ― ◆ ―


「おいティエーネ、しっかりしろ!」


 自分を呼ぶ声に、ティエーネの朧げな意識が、まるで焦点が段々と定まっていくようになり、記憶の中の男と、眼の前の現実の男が重なる。


「あ、カデル…?」

「良かった、正気に戻ったか。」


 心底ホッとしたようなカデルの顔に、ティエーネは堪らなく愛おしさを感じ、その頬に手を伸ばして抱きしめる。


「カデル、ああカデル…そうよ、私は貴方だけでいいの。貴方だけでいいんだったわ。」

「……ああ、そうだな。俺がいる。安心しろ。」


 まだティエーネの不安定さが気になりはしたが、とりあえず落ち着かせる為に話を合わせる。

 何しろ、倒さなくてはならない敵がいるのだ。まずは、それからだ。


「ティエーネ、グレンデルに倒させるのは竜斬りだけでいい。」

「……どうして? あんな奴ら、皆死んでしまえばいいのに。」


 竜への命令を変える意図が解らない、と首を傾げる。

 いつものティエーネであれば、『商団』の為に『竜の喚巫女』であるリコを生かして確保する事をすぐに理解し、或いは思い出した筈だ。だが、今はやはり感情が先走っている。

 それを説明して混乱させるのは得策ではない。カデルは簡単に言い換えた。


「ああ、その通りだ。だが、他の連中を殺す仕事は、俺達にとっておいてくれよ。」

「そう? 分かったわ。カデルがそう言うなら。」


 愛しい男の言葉ならばと、ティエーネはにこやかに微笑んで、了承する。

 そこに、ゴッソーの焦った声が響く。


「カデル様、竜斬りが!」

「なに?」


 振り返ったカデルが見たのは、水流の道を高速で滑り、グレンデルの首へと迫るビトーの姿だった。

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