第61話 眼②
空を畝りながらもグレンデルへ向かっていく水の道。その速度に加え、その道の上を走っているため、ビトーのスピードは倍加する。
そして、一気にグレンデルの眼前にまで迫る。
「グラァァァァ!!」
グレンデルは法術を使う時間は無いと判断したのか、輝く息を放つ。
だがビトーはその直前に水の道から上空へ飛び出していた。残った水が、輝く息を受けて蒸発していく。
「竜斬剣・
竜の頭上に跳んだビトーが、その三本の角目掛けて大鋼を振り下ろす。
大鋼と角はぶつかり合い、お互いに強い衝撃が伝わる。
しかし、角は折れない。それは、ビトーも織り込み済みだった。
「うおおおおおお!!」
角と大鋼のぶつかった箇所を支点にして、ビトーはそのまま前方宙返りのように回る。
一回転した勢いそのままに再び刃を向けたのは、グレンデルの鬣の伸びた首だ。ビトーは初めて、グレンデルの背後を取る事に成功したのだ。
チャンスは一度きり、ここしかない。
「真技龍斬剣!
「グガッ!?」
青白い光を放ちながら繰り出された大鋼は、竜鱗とぶつかり、互いの魔力が激しくスパークする。
が、それは一瞬だった。大鋼は完全に振り切られ、ビトーは見事にグレンデルの首を落としていた。
「あの竜を、一撃で…!」
フランは、自身の協力の結果だとはいえ、その光景を信じられないような心持ちで見上げていた。
だが、一撃で倒したとはいえ、ビトーにとってもグレンデルは決して弱い敵ではない。むしろ、恐るべき難敵だ。この一撃で決めなければならなかった、という方が正しい。
短時間で決着したが、それは紙一重の勝利だった。
― ◆ ―
離れた位置から見ていた魔人達も、その勝敗の結果に驚愕していた。
「馬鹿な!」
「人間が、上位竜を斬りやがった…!!」
そもそもカデルが『人間では上位竜に勝てない』と言っていたのには、明確な根拠がある。
上位竜の竜鱗はただ強固なだけではない。竜の持つ絶大な魔力量によって、その鱗には常に魔力が漲っている。自然に魔装を纏っているのと同じ状態だ。
それもただの魔装ではない。物理攻撃は全く刃が立たず、耐熱耐冷にも優れるため地水火風雷を主とする攻撃法術も通らない。上位魔人の強大な魔法でもない限り、その魔装を破ることは敵わない。だから、人間には打つ手がない……筈だった。
「…そうか、魔力刃か! それで、ディーディエがやられたのか…」
ディーディエの『魔力大全開』は上位竜の竜鱗に匹敵する。してやられたとは言っても、切り札の『魔力大全開』を使う前にだろう、とカデルは思っていた。
「なんのことはない、俺も皆と一緒で竜斬りを舐めていたんだな…」
「カデル、どうしたの?」
竜が倒されたにも拘らず、不思議そうな顔で見上げてくるティエーネは、やはり何処か情緒不安定だ。
カデルは彼女の頭を優しく撫でる。
「ティエーネ、ちょっと仕事してくるから、大人しくしていてくれるか?」
「ん、いーよ。」
「よし、いい子だ。」
そして、部下二人に指示を出す。
「竜はやられたがヤツは相当消耗している筈だ。今ならやれる! ソルバン、ティエーネを頼む。ゴッソー行くぞ!」
「は!」
カデルはゴッソーを伴い、竜を倒したばかりのビトーを強襲するべく走り出した。
― ◆ ―
グレンデルを斬って着地し片膝ついたビトーに、フランが駆け寄る。
「ビトーやったな!……ビトー?」
気は失ってはいないが、返事がない。
目は開いたままで、微かに唸っている。
「………ぐるるる……」
「ど、どうしたビトー。……はッ!」
尋常ではない様子のビトーに声を掛けるが、すぐ傍まで魔人達が迫ってきていることに気付く。
ゴッソーの魔法の斬撃が、フランに飛んでくる。虚を突かれた為に転がって躱すのがやっとで、ビトーを庇う余裕が無かった。
「しまった、ビトー!……ビトー?」
ビトーは、その場から消えていた。
斬撃と同じく突進してビトー狙ってきたカデルの魔槍が、何もない空を切る。
「な、なに?」
「ハァァァ…」
いつの間にか、ビトーはカデルの背後に移動していた。
『は、はや…』
「ガルゥア!!」
強力なビトーの蹴りを喰らい、カデルが積もった雪を舞い上げながら地を転がる。
「カデル様! くそ、『
しかしその高速の斬撃も、ビトーは軽々と躱していた。
そして魔法を放ったゴッソーを無視し、カデルに向かって跳ぶ。
「く、こいつ…」
「ガルァァァ!!」
起き上がろうとしていたカデルに膝蹴りをお見舞いするが、魔槍で受け止められる。が、その膝蹴りは魔槍を砕いた。
「な!? ぐはっ!!」
膝蹴りはそのままカデルの胸に入る。ダメージを受けつつも、今度は倒れない。
だが、ビトーは着地するとすぐに両拳で連打を繰り返す。
その魔力の篭もった重い拳が、カデルに確実にヒットしていく。
「が、ぐ、ぐうぅっ!」
「ハァァァッァァァ!!」
相手に魔法を使う暇を与えない、接近戦による連撃だった。
『真技』を使った事による大鋼のダメージを考え、ビトーは剣で戦う事をやめた。
そして獣人の体術を最大限発揮する為に、理性を敢えて抑えて、意識を本能の方に大きくシフトしていた。『先生』に教わった、剣を失った時の為の奥の手だ。
それでも、本来なら通常の状態で剣を使った方が強い。ビトーが今カデルを押しているのは、残った魔力を使い切る勢いで消費しているからだ。つまり、早期決着しなければ形勢逆転、となる。
しかし意表を突いた分、そして武闘の実力で上回る分、ビトーの方が優位だった。
助太刀に向かおうとするゴッソーだったが、その前にフランの水の壁が立ちはだかる。
「やらせない!」
「く、邪魔するなァァ!!」
フランに目掛けて
「なんだ、脚をやったはず…」
フランの脚の回復は、瞬間的に高まったリコの治癒力の賜物だが、ゴッソーはそこまで強力な治癒術を知らない分、対応に遅れた。
その隙を突いて間を詰めたフランの剣を、なんとか魔装を濃くして受け止める。
そのやり取りの間にも、連撃を受け過ぎたカデルは地を背にして倒れる。
すかさず、その上に馬乗りになったビトーが左手で首を絞めた。
「ぐ、あ…」
「ガァァルァァァ!!」
振りかぶった右の拳を最後の一撃にするべく、全霊の魔力を篭める。
それを喰らえば、恐らく頭蓋骨も粉砕されるだろう。カデルは己の死を覚悟した。
「やめて、お願い!!」
「待って、ビトー!!」
二人の女の声が、ビトーの頭に同時に響く。それは、抑えていた理性を急速に呼び覚ますだけの力強さがあった。
「……リコ?」
ビトーの眼の色が普段と同じに戻っていく。
リコとティエーネ、二人の声が聴こえたが、ビトーが動きを止めたのはリコの声を強く認識したからだ。ティエーネの声だけでは止まってはいなかっただろう。
左手でカデルの首を押さえたまま、振りかぶった右腕を下ろす。
そこに、リコが駆けつける。追いかけてきたルカも一緒だ。
反対側からはティエーネとソルバンも急いで来る。
リコも、ティエーネも、先程までの虚ろな状態から完全に覚醒していた。ビトーとカデルの命懸けで闘う姿が、二人の意識を戻す契機となっていた。
「カデル! ねぇ、私はどうなってもいいから、カデルを…」
「それ以上寄るな!コイツの首を切るぞ!」
カデルに駆け寄ろうとするティエーネを一喝し、剣を抜いてみせるビトー。
流石にティエーネも立ち止まり、ボスを人質にされたソルバンとゴッソーも動けない。
反対側からフランが寄ってきて合流する。
その状況を見て、魔人達への警戒をフランとルカに任せ、ビトーはリコの方を向いた。
真っ直ぐに自分を見つめるビトーに、リコは落ち着いて願いを伝える。
「ビトー、お願い…その人を殺さないで。その人は、ティエーネの……私にとってのビトーなの。」
「分かった。」
「え?」
リコの懇願に、ビトーはあっさり了承する。それは、フラン達は勿論、ティエーネや捕まっているカデルでさえも、予想外の驚きであった。
「俺は、リコを狙ってこないなら、殺すつもりはない。他の無関係な『竜の喚巫女』にも手を出すな。…誓えるか?」
「………。」
「カデル、お願い。」
『商団』としての責務から、答えられないカデルに、今度はティエーネが懇願する。
それは、愛する者の望みの為に、自らの所属する組織や魔人の仲間達を裏切る行為である。
それでも。ティエーネの泣き顔を見つめ、カデルは選択した。
「……分かった、誓おう。お前らは二度と狙わない。……『商団』も、去ろう。」
首を掴みながらその脈を確認するビトーは、カデルが本心で言っていると判断した。
その手を離し、立ち上がる。
入れ替わりに、ティエーネが負傷でボロボロのカデルの胸に縋りついた。
「カデル! ああカデル……」
「ティエーネ…」
抱き合う二人を見て、ビトーは思う。
ティエーネにとって、カデルは確かに救いなのだろう。そういう意味では、リコの言葉も理解出来る。
ただ、たった一つ、ビトーとカデルとは、大きな違いがあった。
「……俺は、リコを利用したりしない。絶対に。」
「!」
その呟きはカデルにだけ届いた。
ビトーは踵を返すと、リコに向かって歩いていく。
「行こうか、リコ。」
「……ありがとう、ビトー。」
リコは申し訳なさそうに、だけれど少し嬉しそうに微笑み、ビトーもまた笑顔を返す。
伴って歩き出す二人を、フランとルカも魔人達に一瞥くれて、追いかけた。
ソルバンとゴッソーは、黙って見送るしかなかった。
横たわるカデルと泣きじゃくるティエーネ。
そして、数体の竜の躯が雪原に残された。また降り始めた雪が、その姿を覆い隠していく――
― ◆ ―
「良かったんですか、許して。大罪人ですよ?」
フランの腕に包帯を巻きながら、ルカが問う。
雪原を進み、森に入ったところで、ビトー達は小休止していた。疲労もあり、フランの治療もまだ完全ではなかったからだ。
「それはこの国や、
沸かしたお湯で茶を飲みながら、ビトーが答える。
「それは、そうですけど…」
「それにしても、前はもっと魔人に容赦しなかっただろう。今回は、手緩い……というか優しかったな、ビトー。」
そのフランの疑問に、ビトーは少し黙る。
聖戦剣のゼップと不可侵の約束をしたのとは、訳が違う。相手は、因縁のある『商団』の魔人だ。
それでもカデルを殺さなかったのは、リコが止めたから、ではある。でも、それだけでは無かった。
「……あの喚巫女は、この世の地獄を見た眼をしていた。だから、とてつもなく人を恨んでるのも解る。その恨みを捨てて、人を殺すなとは、俺には言えないよ。」
「ビトーも、あの人の記憶を見たの?」
リコが驚きをもってビトーを見つめるが、ビトーは首を横に振った。
「何があったのかは知らない。でも、何かがあったのは解るよ。……あの眼は、俺と同じだったから。」
それを聞いて、リコは息を呑む。
並大抵のことでは、その『眼』にはならないと、ビトーは知っていた。そしてそのビトーの経験を、リコは知っていた。
かつて、ビトーの心も壊れた。
しかしその壊れた欠片を、リコの存在が再び組み上げてくれたのだ。少しずつ、少しずつ。粉々のガラス細工を、拾い集めて、くっつけて、治していくように。
リコは、ティエーネに対するカデルの事を、『自分にとってのビトー』と言った。
だがビトーからすれば、『自分にとってのリコ』なのかもしれない、と思った。
そう思ったら、殺せなかった。カデルの為ではない。ティエーネの為だ。
そこにはカデルが魔人である事や、罪人である事は一切関係がない。そして自分達に害を
そういう意味では、葛藤があるのはリコの方だった。
ティエーネの過去を視たリコは、ティエーネに深く同情し、共感し、彼女と彼女の救いを、死なせたくなくなった。
だが、竜を召喚する為に、彼女達に今まで殺されてきた人間達を、ビトーのように『無関係』だと割り切る事は、リコには難しかった。
しかし、ビトーが魔人を殺す事を止めたのは自分だ。
その矛盾が、リコの心の大きな負担になっていることに、まだリコ自身も気づけていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます