竜斬りと竜の喚巫女
矢乃 順(やの したごう)
序章 再会
第1話 ある街の情景
もう間もなく、日も落ちそうな橙色の空の下。
その街一番の大通りの人々は、家路に急いだり、商店の果実を奥へと引き込んだり、終わらない仕事に苛立ったりと、それぞれの時間を過ごす。
ありふれた
身に纏った黒いマントは、目立って汚れてはいないものの、よく見れば長年使い古したものと分かる。そのマントに付属したフードを深く被り、その表情は覗い知れない。
足元まで伸びるマントではあるが、夕暮れの緩い風がそれを体に纏わりつかせ、その華奢な体付きが女性であることを示していた。
彼女が景色から浮いているのは、その風体のためだけではない。多くの人が急ぎ歩く大通りでありながら、彼女の周りには一定の空間があった。
ある者は彼女に気付くと大袈裟に避けて道をあけ、ある者は目に入れば視線さえ逸し、またある者たちは横目にしながらひそひそと噂話をする。全員に共通しているのは、彼女に出来るだけ近づかないようにしていることだ。
そして通りを行く彼女も、勿論それを知っている。だが、今更人目を気にして裏路地を歩くようなこともない。そんなことはとうに卒業していた。
ただ、彼女が少し急ぎ足なのは、別の理由があるからだ。
やがて大通りを抜け、小さな民家の立ち並ぶ区域に入る。
手書きの簡素な地図を見ながら、路地を行く。似たような家が続き、立ち止まり、少し迷う。
「おねえちゃんお医者さん?」
「え?」
急に声を掛けられ、驚いて振り向いた。
ボールを持った女の子が、こちらを見つめてくる。
「お熱が出ると、黒い服の人が来るんだよ―ってパパ言ってた。お医者さんなんでしょ?」
「……まあ、似たようなものかな。」
「あのお家に病気のお友達がいるの。治せる?」
女の子が指し示した青い屋根の小さな家は、奇しくも探している依頼主の家だった。
「……診てみるわね。」
「ホント!?ありがとう!」
屈託なく笑う女の子は、恐らく『黒い服の女の事』を詳しくは知らないのだろう。
なるべく近寄らないように気をつけて、間合いを取る。
「ニッキ―、暗くなるからお家に入りなさい!」
「はーい!」
近くの家の窓から聞こえた母親らしき声に、女の子は元気よく返事をした。そして、手を振る。
「ばいばーい。」
黒いマントの隙間から手を出して振り返してやると、女の子は満足気に笑って帰っていった。
少しだけホッと息を吐き、彼女は依頼主のところへ向かった。
― ◆ ―
「はぁ、はぁ…」
簡素なベッドの上で、荒い息を立てる少女。額に浮かぶ玉の汗と、頬の赤さが、高熱に苦しんでいることを示していた。
その幼い少女の胸に『触れないようにして』、右手を翳すのは、先程通りを抜けてきた黒いフードマントの彼女だ。彼女から少し離れた寝室の入り口あたりで、少女の両親らしい男女が心配そうに見つめていた。
やがて、翳した右手の平が薄く淡い光を放ち出す。
少しの後、
「……ふぅ、ふぅ……」
少女の呼吸が安定してくる。
「な、治ったのか?」
少女の父親が、彼女に問い掛ける。
「…私の法術では、病を取り除くことはできません。少しの癒やしのみです。ただ…」
抑揚なく言いながら、懐から手のひら大の麻袋を取り出す。
「…目が醒めたらこの薬を飲ませてください。三日分あります。そうすれば、徐々に熱は下がっていくでしょう…」
彼女が枕元に袋を置いて、ベッドから数歩離れる。と、同時に母親が少女に縋りつく。まるで、少女と彼女の間に割って入るように。
「ああ、ナニー、良かった…」
「すまない、助かったよ。」
泣く母親に比べ、流石に父親は冷静であった。が、
「……代金は居間のテーブルの上だ。持っていってくれ。」
早く出ていって欲しいという感情を隠しはしなかった。
彼女も気にする様子ではなく、
「…わかりました。お大事に…」
それだけ言うと、寝室を後にした。
それは、この街ではありふれた光景だった。
― ◆ ―
その街は、国の首都から地方へと繋ぐいくつかの街道のひとつにあり、中央から北西に向かう道の途中に位置していた。街道を行く旅人は主に商人、農作物を首都へと運ぶ農民、護衛として雇われたツワモノたち、稀に狩人もいた。
その街にある商人の護衛としてやってきた戦士二人。彼らは安宿の出す食事では足らず、通りに面した酒場に来ていた。通りには何件かの酒場があり、小さいながらも賑わった街であることが見て取れた。
既に日も落ち、二人の入った酒場の中は彼らと同じような旅人が多くいたが、半分は地元の人間らしいと、その服装で分かる。
「……ここの連中は、ぼちぼちいい暮らししてんだな。」
二人のうち、大柄の方の男が手にした麦酒を煽りながら言った。
彼が旅してきた街の酒場では、客は殆ど旅人で、地元の人間が飲みに来ている街は多くない。せいぜい地方都市ぐらいだ。それだけで、この小さな街の潤った経済事情が見えてくる。
「コッペル辺境伯領に向かう旅路だからな。あっちで儲けてくる商人も多いし、街道沿いに落とすカネも多いんだろう。」
相方の中肉中背の男が答える。彼らを雇った商人も、辺境伯領の鉱山で取れる宝石を、首都に持ち帰って売り、それなりの儲けを出していた。
「いくらカネがあっても、使い道が酒くらいじゃなあ。退屈は敵だぜ。」
「まあなぁ。」
普段は首都で暮らす男達にとって、賭場もなければ色街もない小さな街では、住む気にはなれない。ここ数日同じような街が続いて、刺激のない旅に辟易していた。
そもそも、この国の街道は比較的整備が進んでおり、危険な動物もめったに現れない。野盗もリスクを犯して、人の往来の多い道は狙うことは少ない。
「……あんたらなら、面白い話あるんじゃねぇか?」
と、隣のテーブルの四人組に話しかけた。彼らは、毛皮の上着を着込んでいる。旅の狩人だ。
急に見知らぬ男に話を振られた狩人達だが、大衆酒場の気安さで愛想よく答える。
「いやー、そうでもねぇよ。俺達は南から来たんだが、あっちじゃあんまり竜が出なくなってな。こっちで出るって聞いたから来たんだが、今んとこゼロだぜ。」
狩人のリーダーらしき髭面の男がやれやれと肩を竦める。
「あんたら、竜狩りだったのか。そりゃすげえ。」
竜。この世界で人類の驚異となる野生動物は、竜ぐらいだ。所謂モンスターのような存在は、他には無い。
「まあ俺達は、罠狩りの走竜狙いだから、大したことねえよ。」
一口に竜と言ってもその種類は多く、大型のワニ程度の亜竜や、馬程度の大きさの二足歩行の走竜、翼を持った翼竜、四足ながら巨大な地竜など、多岐に渡る。
ただ、もっとも狩りやすいとされる走竜でも、他の動物に比べれば遥かに強く、硬い鱗を持ち、簡単には殺せない。
竜狩りは命がけの仕事である。それでも、旅をして獲物を求めるほど、見返りのある仕事でもある。その牙、鱗、骨、肉。どれを取っても高値で売れる。
森から出てきて人里を襲うような竜が出れば、討伐するだけで報酬を貰えたりもする。
竜の種類があれば、狩りの方法も同じく様々で、彼らの言う罠狩りは、草原や森に出没する走竜を狙い、前もって罠を仕掛けるタイプのやり方だ。
その他にも法術や、数名の部隊を組んで弓矢や槍で追い込んでいくなど、異なった狩りの方法をリーダーが話し、戦士達はそれを酒の肴にして、大いに楽しんだ。
「噂じゃあ剣一本で狩るような奴もいるらしいが。」
別の狩人が言いながら、信じられないというような顔をする。
「ああ、竜斬りだろ。鎧竜や地竜も斬れるっていう。」
狩人の話を聞いて、戦士達は顔を見合わせた。
「ホントかよ、とんでもねぇな。」
「まあ、実際見たわけじゃあないけどな。あの恐ろしい竜に斬りかかるなんて、想像もできんよ。」
それは、竜を目の前にする機会の多い竜狩りの、実感の籠もった言葉だった。
罠狩りといえど、他の野生動物に比べ遥かに危険が多い。竜とは、それほどに手強い相手であった。
「その分、実入りも多いんだろ?」
「まあ、上手くかかれば、高値で売れるがな。」
「見つけるまでが旅の連続だからなあ。」
また別の狩人が大きな溜め息をついた。竜は、個体数がそこまで多くはない。それを捕らえるためには、竜出没の情報を聞きつけてその地へ向かうしかない。行ってみたは良いものの、既に竜が移動していたり、他の誰かに狩られていることも多い。
ハイリスクハイリターン、その上命の危険もある。中々に厳しい仕事ではある。
「俺らもそろそろ職替えかねぇ。」
「そういえば、あんたら護衛の用心棒だろ?そっちの稼ぎはどうなのよ?」
「や、俺達なんて、もっと大したことねぇよ?」
「そんなこと言って、その屈強そうな身体!結構な腕前なんだろう?」
そう言われると、
暫くの間戦士二人は、当初とは逆に、狩人達から仕事の話を聞かれることとなった。
― ◆ ―
「…うーん、よく飲んだあ。」
大男が機嫌よく手を広げる。夜の風が、酔った体に心地よい。
「なかなか美味い酒だったな。」
相方も、赤い顔で嗤った。狩人のお世辞に乗せられて、話も酒もかなり進んだ。
「これでいい女でも居れば文句ないんだがな。」
「無理言うなよ、こんな田舎町じゃ、さっきの給仕の
それもそうかと、大男が店の女の子を思い出す。まあ可愛かったが、彼の趣味ではない。
「…俺はもっとこう、大人の女がいいんだよなぁ。しっとりした、っていうか。」
「はは、そりゃ俺もそのほうがいいが…」
二人は話しながら、通りを行く人々を眺める。夜になって人通りも減った大通り。そもそも女性自体が出歩くことの少ない時間だ。
その二人の目の前を、黒い影が通り過ぎる。何かと思ってよく見れば頭からすっぽり被った黒いマントだった。
「なんだ、ありゃ。」
その時、冷たい夜風が少し強くなる。黒いフードが煽られ、彼女の顔が顕になる。
「!」
彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにフードを被り直し、足早に去っていく。
「……おい。」
大男が生唾を飲む。相方も頷いた。
「ああ、あれは上物だったな。」
「ちょっと遊んでもらおうぜ。」
いきり立つ大男に、相方は呆れた。
「おいおい、この時間からナンパかよ。」
「仕方ねえだろ、この時間まで美人に会わなかったんだから。嫌なら先帰ってろよ。」
言いながら、大男は小走りで彼女を追いかける。余程見失うのが嫌なようだ。
「ったく。あんまり遅くなるなよ。」
相方の言葉に背を向けたまま、片手を上げて応えた。
― ◆ ―
足早に歩くマントの女を、大男が追いかける。
「おおい、ちょっと待ってくれよ!」
その声に女は、歩きながら振り返る。が、すぐに向き直ると更に足を早めていく。
「あ、おいおい…」
普段なら脈無しとしてすぐに諦めるところだが、酒の勢いと、相方への啖呵もあり、大男は追いかけることを止めない。何より、先程見た横顔が、彼を走らせた。
そして、女に追いつくとその眼前に回り込む。
「へへ、追いついた!」
「!」
女は一度立ち止まり、斜めに男をすり抜けようとする。
しかし男は、その腕を掴み女を立ち止めた。勢い、女のフードが取れる。
「まあ待てよ、乱暴しようってじゃねぇんだ、一杯付き合ってくれれば…」
そこまで言って、息を呑む。大男は初めてその女の顔を正面から見た。
日に当たったことがあるのかと疑うほどの、上質な陶器のようなきめ細やかな白い肌。
濡れたような漆黒の髪、同じく漆黒の長い睫毛と、彼を睨みつける切れ長の目。その中の、憂いの色を湛える瞳。
若さと落ち着きを兼ね備えたその整った顔立ちは、陶器の肌と相俟って、まるでこの世の者ではないかのように感じられた。
『上物、どころじゃないなこりゃ…』
大男が
「離しなさい!」
その声は、儚げな印象とは相反する、厳しい怒気を孕んでいた。
が、男の方もその手を離さない。離せない。
「いやちょっと、話を聞いてくれよ。」
なるべく、優しい声色に努めた。男はただ、彼女を見つめる時間を少しでも伸ばしたかっただけだ。
だが、彼女の様子は変わらない。むしろ、より強く離れようとする。
「早く、早く離しなさい!あなたのために言ってるの!」
「は?」
「いいからっ」
女は空いていた左手で男の腕に爪を立てた。
痛みは僅かだったが、あまりの必死さに男は手を離す。
一瞬の、間。
「な、なんだ!?」
二人の間の地面が紅く輝き、十八の角を持つ星の文様が浮かび上がる。
「逃げて!」
絶望的な表情を浮かべながらも、彼女はそう叫ばずにはいられなかった。
「は?逃げ?……わ、うわああ!!」
大男が見たのは、星の中から這い出してきた、巨大なワニような顎を持つ化け物だった。
「へ、ヘルリザード!?こんな大きな…」
大男を超える体長を持つその亜竜は、吠えもせず、大きな口を開けて喰らいついてきた。
「が、ぐわ…」
的確に頭に噛みつき、喰いちぎる。腰の剣を抜くことも出来なかった。
「ああ…」
両手で顔を覆う彼女の目の前で、悠々と残った首から下を平らげていく。
やがてその足元に、紫光を放つ十五の角を持つ星の文様が現れると、ヘルリザードはその光に包まれ消えていった。
残されたのは、喰い切れなかった剣と、衣服の断片、大量の血。
そして、泣き崩れる一人の美しい女だった。
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