黒薔薇と白薔薇

山藤

第1話 炎

 燃え盛る城内は、さながら地獄のようだった。

 悲鳴や怒号が飛び交い、人々はパニックになり逃げ惑う。

 

 そんな中、静かに二人の少女は対峙していた。

 二人だけが、時間に取り残されたかのようだった。


 マデリーンは炎に包まれる陛下の肖像画を見上げたまま、ぼうっと突っ立っていた。


(ジョルジュ様)


 誇らしげに微笑む絵画の彼は、無惨にも焼け焦げで溶け落ちていく。ツンと鼻につく、嫌な匂いがした。


 気高く美しい陛下を、マデリーンは愛していた。

 自信と誇りをもって彼の隣に立ち支えるべく努力した日々は、もう遠い。


(……努力が足りなかったのかしら)


 自分が悪かったのだろうか。できうる限りの努力はしてきたつもりだが、それでもマデリーンは彼にとって魅力的ではなかったのだろう。

 それは、まあわからなくもない。可愛げのない女だと自分でも思うからだ。


 それでも、彼だってわかっていた筈だ。己の意思関係なく、必要な結婚だったということを。


(だって、正妃に可愛げなんて)


 国母に必要なのは、知識や処世術、冷静で動じぬ姿の筈だ。そうでなければ、陛下の剣になれない。

 確かにジョルジュはマデリーンに笑顔を向けてくれていたのに、どうしてこうなってしまったのだろう。


(最初から、嘘だったの?)


 いつのまに、芽は摘み取られてしまったのか。いくら考えてもわからなかった。

 課せられたものをこなすことに精いっぱいで、周りに目を配る余裕が無かったことは認めよう。


(このまま、ここで命を落としたら……少しは、わたくしを想って下さるかしら)


 女々しいことを考えしまい、力なく首を振る。

 そんな図々しいこと、期待してはいけない。

 いくら愛していたからといって、こんな風にみっともなく縋るようなこと――いや、本当は愛してはいなかったのかもしれない。


 だって婚約破棄を言い渡された時、すこしも心が動かなかった。

 ただ、凍えるような感情が体に残っただけ。


(……ご無事ならば、良いのですけれど)


 彼の身を案じてしまって、くッと自嘲気味に嗤う。無事に決まっているではないか。第一皇子だ。周りの者に守られて、脱出しただろう。


 呆然と立ち尽くすマデリーンを、その場に残したままで。


 もう婚約者でも何でもないのに、なぜ安否を気にかけねばならないのか。

 体に染みついた癖のように、まだマデリーンの中に残るつもりか。

 それも、もうおしまいだ。何もかも燃えていくのだから。


(ああ……)


 ここにいれば危ないことは頭ではわかっているのに、動く気にはなれなかった。炎のせいで部屋中が熱いはずなのに、体が動こうとはしない。

 ただただ、気だるかった。


(……もし、神がいるのなら……最期に)


 ひとめでいいから、最期に会いたい。


 いや、会いたくない。こんな危険な場所では、彼女も無事では済まないだろうから。こんなことに、大事な彼女を巻き込みたくはなかった。


 いつでも安全な場所で、守られて、笑っていて欲しい。私の愛しい――


「マデリーン!! 早くこっちへ!!!」


 叫ぶような声が聞こえて、マデリーンはようやく我に返った。


 聞きなれた声。

 ずっと聞きたかった声。


「お姉さま……」


 ゆらりと振り返れば、怒った顔のミアが、ずんずんとマデリーンに駆け寄ってくるのが見えた。


「マデリーン! 崩れるわ!」


 ミアがマデリーンの腕をつかんだと同時に、メキメキと壁が嫌な音をたて始める。


「……! お姉さま!」


 轟音が周囲に響く。マデリーンは咄嗟に姉を庇っていた。

 危ういところで、二人は下敷きこそ免れた――が、状況は一切良くなっていない。

 ぶわっと誇りが舞い、二人して咳き込む。熱気と埃っぽさで息苦しく、二人は涙目になった。


「ミアお姉さ」

「マデリーン」


 大丈夫よ、とミアはマデリーンを抱きしめた。背中を撫でる手は、幼いころのまま、ずっと変わらず優しい。

 マデリーンは、ぎゅっとミアを抱きしめ返した。鈍かった心が、ようやく温かさを取り戻していく。

 愛しく優しい、自慢の姉。


(ああ、なんて綺麗)


 激しい炎の中にあっても、その美しい輝きは一層増している。息をのむほど、ミアは美しい。完璧なお姫様を地でいくようなミアは、まるで騎士のように、マデリーンのもとへ駆けつけてくれる。


「……お姉さま……」

「……ねえ、マデリーン」


 視線をかわすだけで、互いに通じるものがある。

 いっそこのまま、二人で自滅してしまおうか――それでもいいかもしれない、とマデリーンは思った。


 もう、疲れてしまったから。


 でも、ミアを道連れになんてできやしない。どうにかミアだけでも逃がしてあげなければ――最後の力を振り絞れば、ミア一人くらいなら――。


「お姉さま……生きて下さい」


 マデリーンは転移魔法を唱え始め――しかし、ミアはマデリーンの唇を指でおさえた。


「っ……お姉さま! どうして」


 ミアは、力強く微笑んだ。

 煤で汚れた顔、振り乱してぼさついた髪。それでもなお光り輝く、大輪の花のようだった。


「わたくしたち、最強よね」

「……」


 笑って言い切るミアを見て、マデリーンはスッと落ちつきを取り戻した。いつだって、この姉にはかなわない。


 そう、何を悲観的になっていたのか。馬鹿らしい。


「……そう。そうでしたわね、お姉さま」


 マデリーンは美しく微笑むと、宝物に触れるかのように、ミアの手を取った。二人の顔には、気高く美しい笑顔があった。

 狂ったように燃え盛る炎の中でも、薔薇たちの輝きは失われることはなかった。


 これは、薔薇たちの物語である。




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