第1章
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先に少し、ぼくの幼い頃の話をしようと思う。
自分で言うのも妙だとは思うのだけど、とにかくぼくはいろんな意味で目立つ子供——小学生——だった。その理由の一つとして、まず単純に外見が派手だったということがあるのかもしれない。ぼくは肌の色が他人と比べるととても白く、西洋人のような顔つきをしていたし——実際に母方の祖父がイギリス人で、ぼくはその血を四分の一受け継いでいるクォーターだった——、身長も周りの同学年の子供に比べるとかなり高い方で、いつも二学年くらい上には間違われていたからだ。
それに加えて学校の成績もトップではないけれど、六年間を通して常に上位に入っていて、足も常にクラスで一番か二番目に速く、水泳も同じくらいに速かった。英語も幼稚園の頃から母親に習っていて、その頃には片言だけど話せるようになっていたし、そして他の何をやってもたいていのことを、そこまでの努力をせずに、すぐに人並み以上にこなすことができた。つまり、ぼくは世間で言うところの優等生だった。そのこともあってか、否が応でも周りより目立つことになったのかもしれない。
でも、それはぼくの望んでいたことではなかった。全然違った。その頃ぼくが望んでいたのは、まったくの逆の状態だった。はっきり言って、ぼくは少しも目立ちたくなんてなかったのだ。
ないものねだりなのかどうかはわからないけれど、その頃のぼくは心からそう望んでいたように思う。小学校高学年の頃だ。そしてその頃、ぼくはいつも一人きりになりたいと思っていた。その頃のぼくにはただ、TVゲームと漫画本がありさえすればそれでよかった。TVゲームをするか漫画本を読んでさえいられれば、ぼくは幸せだったのだ。
だけどもちろんそういうわけにはいかなかった。なぜなら学校に行かなければならなかったからだ。こんなことを言うと、だったら行かなければよかったと君は言うかもしれない。それにもし本当に行きたくなかったのなら、実際に行かなかったはずだとも言うかもしれない。だとしたら、それはそうかもしれない。でもとにかくその時のぼくにはなぜか、「行かない」という選択肢を思いつくことができなかった。行きたくない行きたくないと思いつつも、「行かない」という選択肢を、はなから除外してしまっていたのだ。それくらい学校に行かないということはぼくにとって、特別で奇異な行動だったから。
とは言ってもその感覚は何もぼくだけではなくて、他のみんなも同じように抱いていたと思う。少なくともぼくの通っていた小学校においては、みんなそういう感じだった。いじめっ子もいじめられっ子も、勉強ができる子もそうでない子も、まるで遺伝子に刻み込まれてでもいるかのように、毎日毎日きちんと登校していた。不思議と言えば不思議なんだけど。それは一九八〇年代前半の話だ。とそう考えると、その頃は確かに今とは少し違う時代だったかもしれない。
そしてそれ——目立つこと——が原因なのかどうかはわからないけれど、ぼくには少し変わった小学生の頃の思い出が三つほどある。せっかくだからこの機会に、その三つも簡単に話しておこうと思う。
まず一つめは、一年生の時に、宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュを読んで書いた感想文が、全国の読書感想文コンクールで最優秀賞を受賞したことだ。でもこんな話をして、ぼくは何も自分に文章を書く才能があったということを言いたいわけではない。むしろ逆だ。なぜならその時に最優秀賞を受賞したぼくの感想文は、ぼくにではなく、当時の担任の教師によって書かれたものだったからだ。
だけど実際にすべてをその担任の教師が書いたというわけではない。基本的にはもちろん全部、ぼく自身の手によって書かれたことには何ら間違いなんてない。でも、肝心な部分は、すべて彼が書いた。正確に言うと、この通りに書き直しなさい、と、彼がぼくに命じた。「ちょっとだけ直しといたから、この通りに書き直しなさい」。優しくそう言いながら彼がぼくに返した二枚の原稿用紙は、赤いボールペンで訂正された文字でびっしりと埋められていた。いいのかな? そう思いながらもぼくは言われた通りにせっせと訂正された通りに書き直した。教師にそう指示されてその通りにしない小学一年生が、一体どこにいるというのだ?
二つめは、三年生の時に通っていた習字教室での出来事だった。ぼくは週に一度、一年生から三年生までの間、家の近所の習字教室に通わされていたのだ。
その日、ぼくはいつものように毛筆の練習を始めようとしていた。正坐をして、墨のついた筆を右手に持ったまま、黒いフェルトでできた下敷きの上に錆びた文鎮で固定した、まだ何も書かれていない半紙をじっと睨みつけていた。そこへみんなの席を順番にまわっていた先生——それは女の先生だった——がやって来て、おもむろにぼくの右手を取ると、半紙に「桜島」と書きつけたのだ。そしてそのあとにその先生が、他のみんなにも聞こえるような大きな声でこう言ったことを今でもはっきりと憶えている。「まあ菊池君、上手に書けたわねえ」。そしてそれがぼくの知らないうちに県の書道コンクールに応募されていて、最高の賞を受賞したのだ。
ぼくには何が何なのか、まったくわけがわからなかった。まったくわけがわからないまま、春のとても天気のいい日曜日に学校の制服を着せられて、市内で行われた書道コンクールの受賞式会場にその先生に連れて行かれ、まったくわけがわからないまま自分の名前が書かれた賞状と、自分の背丈ほどもある立派なトロフィーを受け取った。でもその時のぼくが、まったくわけがわからなかったのも無理はなかった。なぜならぼくが一人で半紙に書いたのは、自分の学年と名前だけだったのだから。
最後は五年生の時の出来事だ。図工の時間で、読書感想画がその時の課題だった。その頃のぼくは三国志の漫画に夢中になっていて、中でも特に張飛(ちょうひ)という武将が好きだった。だから彼が満月の夜に当陽(とうよう)という県にある長坂橋(ちょうはんばし)という橋の上で、たった一人で大勢の曹操(そうそう)軍を迎え撃つ有名な場面を、漫画の絵を真似て画用紙の下に小さく描き、そして丸い月を右上に、同じように小さく描いていた。ぼくは絵だけは人並み以下にまずかったのだけれど、絵を描くという行為はけっこう好きだったから、その時も下手くそながら、鼻唄交じりで愉しんで描いていた。そこへ担任の教師がふらっとやって来て、「その月を画用紙いっぱいの大きさにしてみろ」、と、そっと耳打ちをしたのだ。周りの誰にも聞こえないほどのものすごく小さな声で。
それはみんなから嫌われていた教師だった。もちろんぼくも嫌いだった。なぜなら彼は少しでも気に入らないことがあると、すぐに暴力を振るう教師だったからだ。だからあまり気が進まなかったのだけど、ぼくは彼の言う通りにした。殴られるのが怖かったからだ。そうしたらその絵がなんと、市の読書感想画コンクールで特選を受賞したのだ。「構図が斬新だ」という理由で。
さすがにその時は、またか、とぼくは思った。思いながら、真冬の月曜の朝礼時に名前を呼ばれて台に上がり、指が切れそうなほどにぱりっとした賞状と、ひんやりと冷えた記念の盾を、みんなの前で校長から受け取ったのだ。
——その時、ぼくは心の中で何度も自分にこう問いかけていた。本当におれにはこれを受け取る資格があるんだろうか、と。その疑問を打ち消そうとして、ぼくは心の中で何度も自分にこう言い聞かせた。大丈夫、あるんだよと。でも、答えははっきりとしていた。
ノーだ。
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