08 赤い家



 通っている学校の、一つの教室の中。


 顧問で監督でもある男性教師が、俺に厳しい目を向けていた。


「お前なら俺がしたことの意味がわかるだろ? うちの学校が上にのし上がるには、汚い手を使うしかなかったんだよ」


 俺は拳を握って言い返す。


「怪我をしたのは俺の友達です!」

「別の学校のだ、ライバルの心配なんて意味がないぞ」


 その言葉を聞いた時、俺は相手を殴りつけようかと思った。


 数日前、サッカーの部活で試合があった。


 それは、ちょっと名前のある大会の出場権がかかった試合だった。


 本当なら実力で勝ちたかったけど、顧問の教師が卑怯な指示を出したのだ。


 それで相手の選手が怪我をしてしまった。


 エース選手だったから、その脱落は一気に状況を傾けた。


 結果、俺達が勝ったけど、こんなの納得できない。


 お金を持って、審判や相手の監督と交渉する顧問の姿を見てしまったから、なおさら。


「幸いにも明日は休みの日だ、頭を冷やすには十分な時間があるはずだ」

「……」


 乱暴な手つきで扉を開けてその部屋から出ていく。


 ちょうど近くに通りかかったメンバーにそのことを言ってみたけど。


「いや、監督の言うことの方が正しいよ。きっと皆そう思っているはずだ」


 そう言われてショックだった。


 今度の休日は、確か死んだじいさんの家に行くんだったか。


 こんなことがあったから、あんまり乗り気にはなれないだろうな。


 せめて、じいさんが生きていたら良かったのに。


 そしたら、色々な事が相談できたはずだ。








 俺は今、両親に連れられて、奇妙な家を訪れていた。


 数年ぶりだ。


 前来た時はいつだっただろう。


 でも、そこは確かに俺のじいさんの家らしいんだけど、なんか変なんだよな。


「げっ、なんだこの家! 気味悪ぃー!」


 外から見たときは普通の家だったのに、中に入ると家じゅうが真っ赤だったのだ。


 床も壁も天井も、どこもかしこも真っ赤っか。


 家具や窓ガラスや、お風呂だってそう。


 正気を疑うよ。


 じいさんはこの家を何でこんな風にしちまったんだ?


 一緒に来た母ちゃんと父ちゃんも、眉をひそめながらぶつくさ何かを言ってる。


 二人の話を聞く限り、前はこうじゃなかったみたいだ。


 じいさんが一年前に死んでから、家の中がこうなったらしい。


 ペンキとかで塗ったわけじゃないって言ってるけど、だったら何で塗ったんだ?


 まさか血とか?


 そんなわけないか。


「これじゃあ、誰かが住むわけにはいかないわね」

「ああ、まったくだ! 家を売ろうと思ったのに、大きな誤算だな」


 母ちゃんと父ちゃんはずっとそんな風に文句を言いながら、家の中を見てまわっている。


 一か月くらい見て来てなかったから、そのあいだ誰かに荒らされたり、動物がどこかから入り込んだりしてないかチェックしているみたいだ。


 俺達には俺たちの家があるから、売ることには文句はない。

 俺も別にこの家に愛着があるわけじゃないけど。


 じいさんが今の二人のやり取り聞いてたら、複雑だっただろうな。


 だってじいさん『この家はばあさんと一緒に苦労して建てた大切な家なんだ』ってよく言ってたし。


 うちのじいさんとばあさんは建築士だったから、なおさらなんだろうな。


 そう思うと、両親の会話を聞いてるのがなんだか嫌になってくる。


 二人から離れて、家をぶらぶらする事にした。






 見た目は異様だったけど、荒らされてる所はどこもない。


 それどころか、埃もゴミもなかった。


 真っ赤な色さえなければ、問題なく売れただろうな。


 何の気なしに、お風呂や台所、客間とかを覗いていく。


 そういえば、じいさんに体を洗ってもらいながら、シャンプーが目にしみないコツを教えてもらったな。


 ばあさんは、近所の人から分けてもらった野菜でよく漬物を作ってたっけ。俺も手伝った。そのせいで、子供のくせに漬物好きになったんだ。


 じいさんもばあさんも知り合いが多かったから、客間にはお客さんがいる事が多かった。俺はよくその人たちから可愛がられて、お菓子とかお小遣いとかもらったてたんだっけ。


 なんだ。


 思い出してみるとあらためて考えちまうな。


 割とこの家に愛着あったかもしれない。


 近くの柱に視線をむけると、何本もの傷がついている。


 背が伸びるたびにつけてもらったんだっけ。


 あの頃は、線が増えていくたびに、大人に近づいていってるようで少し嬉しい気持ちになった。


 でも今は……。


 なあ、じいさん。大人になるってどういう事なんだ?


 人のことより自分の事を優先する事?


 生きていたら聞きたかったよ。







 柱に刻まれた線を見つめながらしんみりしていると、急に目の前に幻が表れた。


 驚いたけど、不思議とその場から離れようとは思わなかった。


 目の前にあるのは、じいさんと、知らない男の幻だ。


 じいさん、記憶にある姿より全然若いな。


『どうか、この土地を我々に売って下さい。ここに店を建てれば多くの人が喜ぶはずです!』

『この前も言っただろう。その他の人間より、ばあさんの方が大切なんだ』


 どうやら家をめぐる、過去のやり取りらしい。

 少し再生された後、その幻は消えて、また次の幻が出てくる。


『見てられないんだ。ここから立ち退いてくれよ。多くの人がこの土地を狙っているし、嫌がらせだってされているじゃないか』

『お前が俺のために言ってくれているのは分かるが、これだけは譲れん』


 次に現れたのは、じいさんと箒とごみ袋を持った男の人だ。


 この人は知っている。


 爺さんの友達だから、この家に遊びに来た子供の頃はよく相手をしてもらったな。


 その次に現れたのはじいさんと、眼鏡をかけた女の人の幻だ。


『おじいさんの老後の生活のためにも、どうか一度考えてみてください。ここの地下には歴史的な価値が』

『やけに親切をしてくると思ったらそれが狙いか、帰ってくれ!』


 怒りで目の前が真っ赤になってくる。


 どうして誰も彼も、じいさんの気持ちを分かってやれないんだ。


 お金とか歴史とかそんなに大事なのか?


 じいさんが大事にしてるものは、そいつらにとってどうでもいいものに見えるのか。


 少し前の自分にあった出来事を思い出してしまって、なおさらムカついてくる。


 でもそこまで考えて、分かった。


 この家は、じいさんの心だ。


 真っ赤な怒りがこの家に現れたんだ。


 真っ赤に染まった柱に触れると、誰にも理解してもらえない怒りが、自分の思いを否定される怒りが伝わってくるようだ。


『おお、お前はこの気持ちを分かってくれるか』


 その瞬間、じいさんの声が聞こえてきた。


 けれど、懐かしいと感じる暇もなかった。


 地鳴りのような音がして、真っ赤な炎が家じゅうから噴き出したのだ。


 本物の炎のようには熱くはないけど、それでもじりじりと肌を熱するものを感じた。


 家の中のどこかから、両親の悲鳴が聞こえてきた。


 パニックになって何かを叫んでる。


「じいちゃん! この炎じいちゃんがやってるのか!」


『あいつらは、この家をなくそうとしてるんだ。これはお仕置きだよ。お前ならわかってくれるだろう?」


「それはっ、じいちゃんの気持ちはわかるけど! でも」


 両親が何かを叩いている音がする。


 窓か、それとも玄関か。


 熱い、という叫びが聞こえて、たまらず走り出した。


 もしかして両親は俺より熱を感じているのかもしれない。


 この家に来た時の二人の会話を思い出す。


 この家を売ろうとしてるから? じいさんの敵だから?


 それでも家族なのに!!


 でも行く手を遮るように、扉がしまった。


 手をかけても、びくともしない。


「開けて! 開けてよじいちゃん! どうしてこんなことをするんだよ!」

「大丈夫だ。ここにいなさい。すぐに終わるからな」

「そんなの駄目だ! 優しかったじいちゃんに戻ってよ! ばあちゃんも悲しよこんなの!」


 気づいたら俺の姿は、子供のころの姿に戻っていた。


 周りの火がだんだんと熱くなってくるけど、口を閉じるわけにはいかない。


「じいちゃんは自分の気持ちを分かってくれる人がいなくて辛かったんだよな。ごめんじいちゃん、気づいてあげられなくて、この家にずっとこれなくて! 俺がじいちゃんを分かってるから! この家だって、俺ができる限り守るから!」


 すると燃えさかっていた日が徐々にきえはじめていった。


『そうか、分かってくれる人はちゃんといたんだな。それなのにじいちゃんは勝手に絶望していて、お前の立派なじいちゃんでいてやれなくてごめんな』


 昔みたいに穏やかな声で話しかけられてほっとする。


 もう大丈夫だと、そう思ったら。


『お前ももう一度周りをよく見てみなさい。何か悩み事があるんだろう』


 あたたかな手のひらで頭を撫でられる感覚がした。


 懐かしいそのふれあいに涙がこぼれてくる。


『お前は見かけよりずっと優しいから、その気持ちを分かってくれる人が必ずいるさ』


 その言葉を最後に炎は完全に消え去った。




 



 休み明け、寝ぼけ頭で学校に投稿していく。


 じいちゃんの家のことで両親を説得するのは骨が折れたけど、怖い経験したのと他の県に進学した時の事とかで何とかなった。


 あと残っているのは顧問のことだけど………。


「よう、今日はどこそこ元気そうだな。この間見かけたときは暗い顔してたからどうしたのかとお持ったんだぜ」

「いろいろあってな」

「何だ何だ。いってみろよ! 恋愛か? それとも親との間になんかあったとかか? 相談なら乗るぜ」


 話しかけてきた友達の顔を見ながら思った。


 じいさんの言葉を信じてみよう、と。


 だってじいさんはいつでも俺に的確なアドバイスをくれたんだから。


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