第1楽章 星の命の役目と魔女の役目

 ちらり、ちらり。

「今日も、星が綺麗ね」

 星の光に髪を煌めかせながら魔女は言った。

「あれは星が死んで朽ちて還っていく姿なの」

「どこへ?」

 ちらり、ちらり。消えていく流れ星の最期の瞬きを映す琥珀色の瞳は無垢だ。

 その無垢に浸け入るように、魔女は妖しく瞳を瞬かせ、夜色のルージュが艶めく唇に人差し指を当てた。

「知りたい?」

 妖艶な仕草、匂い立つような囁き。誘惑をふんだんに纏った魔女の言葉に少女は引き込まれた。

 ──女の子は秘密が好きだ。

 誰にも知られていないような、神秘で未知な出来事のことを女の子は愛おしげに抱きしめる。その秘密を抱えることが、幼子を慈しむような得難い出来事だからだ。

 だから、シェロは答えた。

 瞳にたくさんの星たちを走らせて。

「教えて」



 第1楽章



「星には星の命が

 人には人の命が

 在ると云う

 在ると云う

 いつか共に眠り就く」

 星光の魔女の声が明るい夜空に吸い込まれていく。その声は不思議と耳に残り、よく通り、きっとどこまでも届いているような気がした。

 シェロは自分の置かれている状況が未だに信じられなかった。あの神秘のヴェールに包まれた星光の魔女という存在が、自分の目の前で唄っているのだ。最前列、特等席である。憧れの存在が、夢見た存在が、少し手を伸ばせば届くところにいるのだ。

 けれど、触れるのは躊躇った。もしかしたらこれは夢で、そうと気づいてしまった途端、この胸の高鳴りが虚しいものになってしまうような気がしたのだ。

 それでも、この鼓膜を震わせる唄は確かに今この空気から伝播している。やはり、星光の魔女はシェロの隣にいる彼女なのだ。空で口ずさめるほど、幾度となく懸命に聴いた唄が、魔女の口から夜空に放たれていく。絵本で読む魔法のように不思議なことが起こったりはしない。ただ星がいつもより綺麗に降り注いでいるような気がした。

 流れ落ちていく星たちに照らされる魔女はとても綺麗だった。ベージュのロングストレートの髪は星光を纏うように煌めき、彼女こそが星光の魔女なのだ、と表していた。

「今日はこんな感じでいいかしら」

 唄い終わると、星空に向けられていた瞳がシェロを移す。琥珀とオリーブがばちりと合わさった瞬間、シェロはとんでもなく心拍が上がるのを感じた。もう耳を澄まさなくても、心音が聞こえてしまうのではないかというくらい。

 こんなにどきどきするのは、生まれて初めてだ。無理もない。ずっと憧れだった存在が目の前にいるばかりか、それと言葉を交わしているのである。やはり夢なのではないか、とシェロは何度も疑ったが、これを夢と笑うには、高鳴る鼓動は生々しかった。

 魔女はそんなシェロのどきどきをまるで感じていないかのようにさらりと笑う。出会ったときは妖艶に感じられた彼女も、唄が終わればシェロとそう年の変わらない普通の少女のようだった。魔女らしい格好をしているだけの女の子。……まあ、少し年上に見えるが。

「さて、星光に導かれた女の子、あなたのお名前は?」

「しぇ、シェロです」

 星光に導かれた女の子、という響きがとても素敵で、シェロの目はそれこそ星の光のように煌めいていた。まるで、星光の魔女に由縁があるような響きだ。他の女の子たちを差し置いて、抜け駆けしたような背徳感と、星光の魔女一歩に近づけたような高揚感とでシェロの胸はいっぱいになった。

 そんなシェロに魔女はにこりと微笑む。少し年上のお姉さんのような笑みだ。語られるほど星光の魔女というものは俗世から解離していないのだとシェロは思った。

「私はアーゼロッテ。ロティと呼んでちょうだい、シェロ」

「……ロティ……」

 シェロが噛みしめるように復唱すると、魔女──アーゼロッテはいいこ、と静かにシェロの頭を撫でた。黒く、肘上まである手袋に覆われた手は柔らかく、思うより小さい。

 シェロはアーゼロッテを見上げた。頭の先から爪先まで、夜に溶けてしまいそうな真っ黒な衣装に身を包んでいる。肩出しドレスを着ているが、露出は肩のみで、それは、淡く紫がかっていなければまるで……

「喪服みたいでしょう?」

「え」

 アーゼロッテの言葉にシェロは驚く。まさしくシェロが考えたそのままを口にしたからだ。

 魔女だから、心を読む力でもあるのかしら、と処理しきれない未知の予感に、シェロは胸を弾ませた。

 アーゼロッテはその期待を感じ取ってか、苦笑した。それから、ドレスのスカート部分を軽く持ち上げ、挨拶でもするように続ける。

「喪服なの」

 シェロはその言葉に、昼間の話を思い出した。

 星光の魔女はやがて星光になる。それを星光の魔女の死と捉え、あの空に捧げられる唄は鎮魂歌なのだ、と。

 喪服。それは人が死んだときに着るものだ。頭の先から爪先まで、なるべく黒いものを選んで故人を悼む。そういう風習の服。

 シェロがかける言葉に悩んでいると、アーゼロッテはからからと笑った。

「そんなに重く考えなくていいわ。喪服というのは半分で、元々はそういう慣習なの」

「慣習……」

「そう、星光ほしひかりの魔女の慣習」

 大いに興味をそそられる話題だ。それに、アーゼロッテが星光ほしひかりの魔女と言ったのも気になる。昼間の話が本当なら、ここでは星光せいこうの魔女と呼ぶのが正しいのかもしれないのに。

 その真偽を見定められることが嬉しく感じた。シェロは好奇心の赴くままに問いかける。

星光ほしひかりの魔女の慣習って?」

 そうねえ、とアーゼロッテは少し悩むように空中でくるくると人差し指を回した。それから何かを思い出したかのようにあっと声を上げる。

 シェロがなんだろう、と首を傾げると、アーゼロッテは下を指差した。座りましょう、と。

 シェロは屋根の上に座った。星の綺麗な夜は少し肌寒くて、屋根もひんやりとしていたが、その冷たさが心地よく感じるくらい、シェロは興奮していた。憧れの存在がここにいて、話をしているのだ。夢でも嬉しい。

 アーゼロッテも足を伸ばして座る。随分とヒールの高い靴を履いているようだった。

「まずはこの服のことから話しましょうか。これは代々、星光ほしひかりの魔女が纏ってきた服よ。黒いドレスに黒いブーツ、黒い帽子。長手袋。まあ、各々の好みでドレスの形を変えたりするけれど、基本的にはこうね」

 衣装をなぞりながら、アーゼロッテは説明していく。

「黒いのは『魔女だから』ではなく、『喪服だから』よ。星光の魔女は常に喪に服してるの」

「……誰の?」

 シェロが問うと、アーゼロッテはすっと空を指差した。

「星のよ」

「星……?」

 アーゼロッテはす、と星空を見上げ、懐かしむように目を細めた。

「星は命なの。人も、動物も、草花も、命を持って、生きている。星の輝きは多くの命たちが集まって燃えることでできているの。流れ星は星が落ちて、土に還る様子なのよ。またどこか別の星に落ちて、新しい命のための苗床になるの」

 星が落ちて、死んでいくことで、新たな命が芽吹き、新しい星を育んでいく。そういう循環で世界は成り立っているのだ、とアーゼロッテは説明した。それはシェロには少し難しい話だったが、学校で受ける授業よりも数段価値のあるものだ。

 人はどうして生まれるか、どこから来たのか。生殖活動的な意味合いの説明はされるが、こういう概念のようなぼんやりとしたものを明瞭にする説明は、誰もしてくれない。ぼんやりとしているからかもしれないが、それでも不思議や神秘に興味のある女の子たちは知りたくて知りたくて答えを求める。おとぎ話のようなものでもいい。正解じゃなくてもいい。その人にとっての世界の有り様をこうして語ってほしいのだ。

 アーゼロッテの言うことが、正しいことなのかはシェロには知りようがない。けれど、間違いなのかもわからない。それなら、胸がときめく方を信じてみたい。星が死んで命が生まれるなんて、壮大でありながら身近で、明日にでも起こりそうでわくわくしてしまう。それが星光の魔女という神秘の存在から語られたのなら尚のこと。

 故に、シェロはアーゼロッテの話に耳を傾けた。

「星光の魔女の役目は簡単に言うと、落ちてきた星に『おかえり』『おやすみ』を言うことなの。星を迎え入れて、眠らせる。お疲れさまって」

「素敵な役目ね。だから子守唄なの?」

「やっぱり、気づいていたのね」

 聡い子、と頭を撫でられる。シェロは褒められて嬉しかった。アーゼロッテは、なぜだか切なそうな顔をしていたが。

「そう、子守唄。鎮魂歌じゃないの。星と共にこれからも一緒に眠るよっていう唄なの。私はそう、前の星光ほしひかりの魔女から教わったわ」

「前の……やっぱり、星光ほしひかりの魔女は代替わりするのね。その前の魔女は今どうしているの?」

 無垢な問いに、アーゼロッテは笑みをこぼした。


「死んだわ。もう何百年も昔に」

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