Traeumerei~第14楽章~
九JACK
第0楽章 一つの歯車で全てが動き出すような
星が綺麗な夜、ふわふわと雲のように漂う小さな影があれば、それは魔女だ。箒に乗って、星空に唄を捧げる
星光の魔女が唄う夜は、星たちが世界を祝福してくれるのだという。その証のように、ちらり、またちらり。星がきらりと夜空を駆け抜けていく。
何故魔女が唄うと流れ星が降るのか、何故魔女は星空に唄うのか、何故星光の魔女は世界の救世主なのか。人々は何も知らない。星光の魔女の真実は星光の魔女に選ばれた者だけの秘密なのだ。
私たちは、何も知らない。
第0楽章
シェロは赤紫の髪の毛を緩く波打たせて、空に手を伸ばした。その琥珀色の瞳には、胸の透くような青空が映り、煌めいている。
空に手を伸ばしたのは、憧れだった。
星光の魔女。この世界で最も謎に包まれ、艶やかで、神秘な存在。
女の子は秘密と神秘が好きだ。子どもなら、ちょっと背伸びした、大人の艶やかさにいっそう憧れる。故に謎めいた存在である星光の魔女に憧れる少女は少なくなかった。もちろんシェロもその一人である。
星光の魔女は箒で夜空を飛び、星のために唄う。それくらいしか知られておらず、謎を多く纏うその存在は「知られていない」からこその魅力に溢れていた。
少女たちは夢想するのだ。星光の魔女とはどんな存在なのか、と。
もしかしたら私たちの中の誰かかもしれないだとか、美人な近所のお花屋さんかもしれないだとか、教会のシスターだとか。星光の魔女の正体について予想をしたり。そもそも星光の魔女は秘密を守るために俗世に関わらないのではないか、などと仮説を立てたり。箒で空を飛ぶ以外にも様々な魔法が使えるなんて夢を見る。
シェロはそんな中で、誰も唱えない説を胸に秘めている。
「実は星光の魔女は魔法を使うわけでもなんでもなく、世界の救世主であるわけでもなく、ただ星たちに讃美歌を贈るだけの存在」
言わないのは、夢見る少女たちに怒られるからだ。そんな夢のないことを言わないで、ときっと糾弾される。別に星に唄うというだけで、充分に神秘的だとシェロは思うのだけれど。
シェロの手は空を掴み、ぽすんと下に降ろされた。焦げ茶色のチュニックの袖についたリボンがぴょこんと揺れる。淡いピンク色の主張は控えめで、少し勝ち気そうなシェロの瞳とは対照的だった。
シェロはいつか、空を飛びたいと願っている。変わりない日々を送る地上での生活は少し退屈だ。空でも飛んで、星を間近で見ながら、ホットミルクを啜ったなら、どんなにロマンティックだろう。星空の中での出来事は、星光の魔女しか知らないのだ。自分だけの夜の秘密だなんて、ちょっと大人っぽくて、いけないことをしているみたいで、わくわくしてしまう。
そんなことを考えて、今日もシェロは学校への道を歩いていく。
ここでは、女の子だけが通える学校が存在する。男の子が通える学校もあるけれど、それは男女混合だ。女の子だけの学校は華やかで、神秘的で、どこか仄暗い。
どうしたって生まれる「陰」の部分がシェロは好きだった。見ていて面白いから。そういうシェロはシェロで陰の気質を持っているのかもしれないけれど、シェロが好む陰とは別種のものだ。
シェロは少女たちの生み出す、この年代ならではで、女の子でなければ生まれない陰が好きなのだ。それを第三者、もしくは真っ赤な他人として眺めるのが好きなのだ。愛憎渦巻き、心が掻き乱され、落っことしたケーキみたいに、ぐちゃぐちゃのどろどろになっていく少女たちの様を見るのは、ティータイムにちょっと高価なお茶菓子をつまむような気分になるのである。友達のいない、シェロだけの特権だ。
故にシェロは友達がいないことを寂しいだとか、つまらないだとか思ったことがない。自分の嗜好と思考は理解されなくてもいいと思っている。理解されてしまったら、自分だけの楽しみではなくなってしまうのだ。その方がひどくつまらない。
故に星光の魔女についての見解も誰にも語ったことはない。いつか自分が星光の魔女に会って確かめて、一人で真実を噛みしめればいい。
シェロはそういう、個人主義で秘密主義な女の子だった。
「次はいつ、星が降るのかしら。楽しみだわ」
空を飛べなくても、家の屋根に登れる。いつか星光の魔女に届きたくて、パルクールの練習をした。だから、夜に魔女の影を追いかけて、ステップを踏もうと思っていた。
魔女の清廉な歌声に合わせて、愉快なステップをタッタララ。それはもう楽しくて楽しくて、魔女の時間に介入できて嬉しいことだろう。
シェロは魔女になることではなく、魔女に会うことを夢見ていた。もちろん、なれるものなら魔女になりたい。自分だけの秘密を持ちたいから。
選べるのなら、魔女になったときは、俗世に溶け込んで、自分が魔女だということを隠し通して生きるのだ。秘め事は淑女の嗜みである。
今夜は会えるだろうか。ここはほとんど雲がかからない。故に昼の空も夜の空も綺麗に見える。流れ星が流れて、箒に乗った魔女が漂ってきたらすぐにわかる。そういう期待に、いつだって胸を膨らませられるのだ。
シェロがそうやって、今夜あるかもしれない邂逅に思いを馳せていると、学校が見えてきた。私服で女の子たちが通う学校に向かう人の群れは色とりどりで、路面からひた向きに太陽を見つめる花のよう。シェロは焦げ茶色と地味な色だが、青赤黄色、紫に緑、様々な花に溢れた中で落ち着きを感じさせる色となっている。
世界は人々の個性によってバランスが保たれている。これはシェロの通う学校の教えだ。個性を披露し合い、互いの個性を尊重しつつ、自分の個性を生かすことでバランスが保たれる。いくら種があっても土や水がなければ花は育てられない。確かな土壌があるからこそ、花の美しさは保たれる。それが個性でバランスを取るということだ、という校訓はなかなか面白い。
シェロは他の
控えめに、目立たないように。そっと自然に溶け込む様は世界の理に沿っているようで、一時ばかり、シェロは星光の魔女になったような気分になる。あの魔女も世界の理と共に存在している。そう思うからだ。
校舎に入れば、姦しい少女たちの挨拶が飛び交う。おはよう、という溌剌とした声。ごきげんよう、とちょっと澄ました声。おはようございます、と落ち着いた声。様々な声が少女たちそれぞれの色を表していた。
挨拶が済めば、なんでもない話が始まる。それは歯牙にかける価値もない噂話だったり、陰口だったり、星光の魔女への見解だったり、様々だ。
今日、シェロが耳を傾けたのは、星光の魔女に関する話だった。
「ねえ、知ってる?
「? 何か違うの?」
その呼び名はシェロも聞いたことがなかったので、興味をそそられた。
「おばあさまから聞いた昔話だから曖昧なのだけれどね」
おさげの少女が声を潜める。星光の魔女は神秘の存在。その秘密の一端を暴くようで憚られたのだろう。潜められる声がよりいっそうシェロの好奇心を煽った。
「
「役目を果たしたら、星になる……じゃあ、私たちが見上げる空の中にある星は、かつて星光の魔女だったのかもしれないわね。かつての魔女を眺めながら今の魔女が唄を届けるなんて、素敵だわ」
「もしかしたら、役目を果たした魔女たちへの感謝と鎮魂を届けるのが星光の魔女の役目の一つなのかもしれませんわね……」
過去から連なる系譜を感じて、少女たちはうっとりと目を細める。ロマンティックなことは大好きなのだ。
鎮魂を唄う魔女。確かに、そういう系譜はシェロもときめく。だが、そうだろうか、とシェロは疑問に思った。
魔女の旋律を思い出す。夜に溶けるような、優しい歌声。確か……
「星には星の命が
人には人の命が
在ると云う
在ると云う
いつか共に眠り就く」
そんな歌詞だった気がする。これは鎮魂というより、子守唄に近いような気がした。
けれど、流れ星というのは、その星の最期の輝きだ。星の命の終わりに鎮魂の唄を唄うのは別におかしなことではない。
「今夜は、流星雨が降るから、きっと魔女が唄うわ」
そんな期待に満ちた声がす、と耳に入った。
それはもしかしたら、という期待に過ぎない。けれど、胸がとくんと鳴るような、何かが起きる予感がしたのだ。
だからシェロは、夜な夜な部屋を出て、屋根の上から空を見上げた。
それは偶然か、必然か。
その屋根の上に、女性が降り立つ。星光に照らされて、淡く金色に光を返す茶髪は艶やかに腰まで伸びており、全身真っ黒の衣装を身に纏い、黒い魔女らしい先がふにゃんとなった大きな鐔付き帽を被った彼女は、優雅な仕草で箒を一振りして手元から消した。黒いブーツで、寝間着姿のシェロに歩み寄る。
「こんばんは、お嬢さん。素敵な夜ね」
それは流れ星が運んできた運命を変えるような出会いだった。
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