きみとつなぐ縁〈えにし〉~交通事故にあった俺が異世界で英雄となり、女の子だらけのパーティとチート能力で王国を救い、元いた世界に帰るまで

くろゐつむぎ

1.白髪少女との出会い

 頭が真っ白になる。


 青木紅葉がそう表現するしかない事態に巻き込まれたのは、その日が生まれて初めてだった。


 彼は今、見知らぬ谷底にいた。地元の高校からの帰り道から、どうやってこのような場所に来たのか皆目見当もつかない。


 道幅はだいたい軽自動車がぎりぎりすれ違えるかどうかくらい。ほぼ垂直に切り立った崖に挟まれているせいか、かなりの圧迫感がある。


 高さはどれくらいだろうか。五、六階建てのマンションくらいだとは思うのだが、崖の縁があまりに遠いので上手く距離感が掴めない。


 すがすがしいくらいの青空はほとんど岩陰に隠れ、天気の良さとは裏腹に、じめじめとした湿っぽい空気が薄暗い谷底全体に広がっている。


 そんな彼の目の前では、一匹の大蛇が鎌首をもたげこちらを見つめていた。見た目こそ普通の蛇とそう大きく変わりはしないのだが、紅葉が知っている蛇とは比べ物にならないほどサイズが大きい。


 大蛇の頭は四、五メートルほど見上げたところにあり、金の瞳がまっすぐに紅葉を見下している。胴回りは巨木のように太く、その後ろにあるはずの尻尾が隠れているせいで、全長がどれくらいかまるで見当もつかない。卵どころか牛すらも余裕で丸呑みできそうな口からは、息の漏れ出る音が絶えず聞こえ続けていた。


 ぬめりとした光沢のある黒い鱗がなまめかしく光る。


 薄暗い谷底に、紅葉と大蛇以外の生物の気配はない。


 そして、大蛇が紅葉を見つめている理由は、獲物を品定めしている以外に他ならない。


 見晴らしは悪いが一本道の谷底に、隠れられるような場所はない。


 両側の崖は高くそびえ立ち、到底登って逃げられるようなものでもない。


 体格差がありすぎて後ろに逃げてもすぐに追いつかれる。


 なら逆に、大蛇に向かっていくのはどうだろう?


 距離を詰めた分数秒早く死ねるだけだ。


 詰んだ。


 まさにその一言がふさわしい。


 その事実が、紅葉の思考を真っ白に消し飛ばした。


「は、はは、は――」


 死への恐怖を受け止めきれずに、紅葉はこの悪夢のような現実を前に薄ら笑いを浮かべ始めた。


 そうしている間にも、大蛇は視線を紅葉から外さないままゆっくりとこちらに這ってくる。


 やがて、お互いの距離は三メートルほどのところまで近づいていた。


 あとはただ、大蛇に飲み込まれるのを待つばかり――。


「……まったく、何をしているのですか」


 どこからともなく聞こえてきた声が紅葉の耳に届いたその瞬間、彼の視界のすべては赤に染め上げられた。


 熱を感じない炎は湿った空気を瞬く間に吹き飛ばし、まるで太陽が落ちてきたかのように谷底を明るく照らし出す。


 紅葉を巻き込んで燃え盛る炎は大蛇にまとわりつき、黒い鱗をさらに黒く焦がし始めた。生きたまま体を焼かれる苦しみにのたうち回る大蛇は、もがき苦しんでその巨体を崖に打ち付け始める。


 それでもなお消えることのない業火と、崩れた岩が落ちてくる音、そして大蛇の上げる金切り声に静寂は破られ、さながら映画館の立体音響ばりの大音響がこだました。


 そんな炎の海の中で、紅葉はただ茫然と立ち尽くしていた。熱を感じることもなければ、息苦しさもほとんどない炎は、紅葉を守るようにして燃え続けている。


 ここでようやく紅葉は、自分が助かったのだと遅れて理解した。


 だが、それでも疑問は消えるどころか、ますます増えていく。


 結局、この谷と大蛇はなんだったのか。


 自分を燃やさず、大蛇だけを燃やすこの炎はなんなのか。


 そして、何より――。


(今の声は、誰のものだ?)


 渦巻く炎の中で紅葉が背後を振り返る。


 その先にいたのは、一人の少女だった。


 ショートヘアの白い髪はまるで熱を感じない熱風になびき、炎の色を吸い込んで赤みを帯びている。ぼろぼろのワンピースとローブは黒一色で統一され、そこから伸びる細い手足の白さをより一層際立たせた。


 先端に赤い宝石のついた木製の杖を振るうその姿は、まるで漫画かゲームに登場する魔法使いそのものだ。


 そして、何より紅葉を驚かせたのは、その少女があまりにも幼い姿をしていたことだった。


 背丈は大体紅葉の胸くらいまでしかなく、中学生、下手をすれば小学校高学年くらいにしか見えない。そんな少女は臆することなく紅葉の元へと歩みより、彼の前に立つと、目線をまっすぐに捉えて言った。


「あなたが今回の英雄様、ですね」

「え? えっと、何のことですか?」

「色々と聴きたいことはあるでしょうが後にしてください。グウィン渓谷には先ほどの大蛇以外にも多くの魔獣が生息していますから、ここにとどまり続けるのは危険です。私が来た方向、この谷を反対方向に抜けた先に私が使っている小屋がありますので、まずはそこまで着いてきてください」

「あ、ああ、はい」


 すらすらと語る少女は紅葉の手を取り、さっさと彼を先導して歩き始める。


 紅葉は彼女に気圧され、されるがままになって彼女に合わせて歩き始めた。


 ふと、紅葉が振り返ると、あれほど脅威に感じていた大蛇はとっくに消し炭となって息絶えていた。あれほど豪勢に燃え盛っていた炎はいつの間にか消えており、ぷすぷすと焦げる音と煙を残すばかりだ。


 ありえない大きさの蛇に、熱を感じない炎に、まるで図ったかのようなタイミングで現れた謎の少女。


 ああ、これはきっと夢なんだなと思うには十分すぎるくらい、あまりに現実味のない出来事だった。


 だが、少女の小さな手の温もりは、確かな現実として紅葉に伝わっていった。

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