第8話
「……先輩……」
ジェスからキャリサの抱える事情を聞いたアルフレートは、急いでキャリサの走り去った方角へ足を向けた。
キャリサは、抱える事情から人気の少ない、すっぽりと全身を隠せるような――例えば茂みだとかがある場所へ逃げ込んだ可能性が高いという。
『おまえには、覚悟があるか? その覚悟を失わない自信はあるか、彼女から逃げないと彼女に誓えるか?』
――ジェスがアルフレートに問うたのは、覚悟だった。
アルフレートは、まだ年若い十代だ。十五で成人とはいえ、世間ではまだまだ若造だ。婚儀を迎え、妻帯者となれる年齢であれど、その意識はまだまだ甘い。
若者特有のただの「ごっこ」じみた恋愛ではなく、ともに先を見据えて、病めるときも健やかなときも、最期のその時までキャリサの側に添い続ける覚悟を。
ジェスがアルフレートに向ける眼差しは、甘ったれたはっきりしない答えなど求めていなかった。
『答えろ。答えない、もしくは暢気な覚悟など上っ面の答えなら、おまえにキャリサは任せられない』
アルフレートは選んだ答えをジェスに告げた。最初から答えなんて決まっている。
アルフレートは、ジェスを睨み返した。動物の群れで、ボスに向かって抗うオスのような――挑む目だった。
いまここにいるのは、王宮に勤める官僚の先輩後輩などではなく、同じ女性に恋情を抱くふたりの男だった。
アルフレートは敬語や目上への態度をかなぐり捨てた――いまは、どちらが好いた女性にふさわしいかを、自分がどれだけふさわしいかを相手に知らしめる時だ。
『俺は――先輩のすべてが欲しい。先輩の隣に俺以外の男がいるなんて、たえられない。許せない。年齢なんて関係ない』
アルフレートの抱く恋情は、強い執着が感じられるものだった。ジェスの眉がつり上がり、剣呑な暗い光が宿る。彼としては、そんな濃い執着を抱く相手にキャリサを渡すつもりはない。
彼はキャリサにとって、世間でいう幼なじみだ。彼女の失恋をいつも近くで見てきた。バカ兄がキャリサへした仕打ちも知っている。だからこそ、もう二度とバカを近づかせはしない。
ぎり、とふたりの視線が交差した。
『でも』
アルフレートの双眸がふと緩む。ジェスはそのことに驚いた。猛り狂うほどの強くも熱い恋情が一瞬でおさまるなど、いったい何がそうさせるのか。
確かに緩んだアルフレートの目はまだ強い意思を秘めている。けれどもそこには、ジェスが忌避したい、剣呑さを覚えた濃い執着はない。
『選ぶのは先輩だ。だから、俺は先輩が選んだ相手だったら許せる。そいつが先輩を笑顔にしてくれるのなら』
アルフレートの偽りない心境の吐露に、ジェスは目から鱗が落ちる錯覚に陥った。
――アルフレートの想いは、ジェスと同じであった。
好いた女性が自分以外を選んでも、その選んだ相手が、好いた女性をより幸せに――笑顔にすることができるならば。好いた女性のために、身を引くことができる。
そしてその考えは、好いた女性を強引に自分のものにしないということだ。――例え執着は強く濃けれども、好いた女性を不幸せにはさせないと。
『ならば、先に行け』
ジェスはにやりと笑った。自信に溢れた、挑発する肉食動物の獰猛な笑み。
『キャリサに選ばれるならば良し、選ばなければこちらが有利になるだけだ』
――そうして、アルフレートはいま走っている。
『……ただし。先に見つけられたら、だがな?』
アルフレートには先に探し始められたハンデがあるが、これは先に動けるメリット以外に致命的なデメリットもある。
アルフレートよりも、ジェスの方が何倍も何倍も、たくさんキャリサのことを知っているのだ。それだけ長い間、キャリサの側にいたのだ。
「チャンスはある」
そう、チャンスはある。
長い間側にいたのに、いまだ親しい親戚のままのジェスと、ジェスにしてみればぽっと出てきただけのアルフレート。どちらもキャリサから意識されていないようで、違う。
「先輩の側で、これからも支えるのは、俺だ」
――たった半年、されど半年。
一番近い、直近の時を一番側で、かつ一緒にいたのはアルフレートなのだから。
かたや親戚で幼なじみで、小さい時から一番近くでともに過ごす機会が多く、キャリサの考え方や失恋の歴史、そして抱える事情をよく知り、かつ理解する弟分のジェス・F・ホフマン。
かたや半年だけの期間しかいないけれど、休務日以外は同じ室内の隣り合わせの席で朝から晩まですごし、接する濃密度が高い部下で、キャリサが手取り足取り教え導く立場のアルフレート・サリーズ。
どちらもキャリサを異性と意識し、将来をともに過ごしたいパートナーに選んだ。彼らはいま、時間差があるとはいえ――ともにキャリサのもとへ向かっている。
「ここなら……」
アルフレートは、しばらく街並みを慎重に見ながら走っていた。道を挟み、左右は石造りの建物が連なるまっすぐな通り。ところどころ建物と建物の間を、街路樹のある整理されたプロムナードが走る。
プロムナードには木々が等間隔に植樹されてはいるし、時折ベンチや花壇もあれど、身を隠すには適していない。建物ひとつひとつにも、それらしき遮蔽物も見当たらない。
――ならば、付近で身を隠すに適している場所は自ずと限られる。
人目を避けることができ、かつこの時間帯で人気のない、しばらく身を隠せる場所はといえば。
「――自然公園だ」
昼下がりにはあたりの住民たちが昼寝をしたり、日中に子供たちの遊び場になりそうな自然公園。都市計画に辺り、住民が過ごす憩いの場として、または都会のオアシスとして意図的に残され整備された場所。そこには木々が密集した林もあるし、背の高い茂みもある。
「……これは」
ジェスより先に目的地に到着できたらしいアルフレートは、入り口付近に停車する馬車を見て当たりを確信した。停車する馬車は、マックライン子爵家の家紋が施されていたのだ。
「……先輩」
アルフレートは、公園の内部でもとくに入り口付近の茂みへと足を運んだ。
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