第5話



「氷の女といわれる美女がいるらしい」




 そういったのは、同じ時期に王宮に入った見習い仲間だった。王宮は毎年数名の見習いを試験で採用する。一年間見習い期間を経て、後に本採用となる。


 アルフレートは、仲間内で話題に上がった、氷の女と形容される噂の美女の下に配属された。美女の助手的立場になったのだ。


 先輩となったキャリサ・マックライン子爵令嬢は噂に違わず怜悧な雰囲気の美女で、噂に違わず無表情だった。


 アルフレートは、彼女を最初に見たとき思った。なるほど、あだ名にふさわしい人だと。


 まとう色彩も薄かった。色素の薄い、まるで銀のような髪色と冬の晴れた日の空のように澄み渡った水色の瞳が、余計に冷たさを助長させているように見えた。


 彼女には、様々な憶測が囁かれていた。


 いわく無表情以外を見たら良いことが起きるとか、いわく悪魔に願いを叶えるための代償で無表情だとか、いわく願掛けのためだとか。


 彼が彼女を観察し始めたのは、彼女を初めて見たときから気になっていたから。


 まるでおとぎ話の冷たい冬の女王のような彼女が、感情を浮かべるときどんな顔をするのか、興味があったのだ。つまり好奇心だった。


 日ごとに彼女を目で追う毎日が続くと、いつしかそれが日課になった。


 そしてある夏の日、アルフレートはついに目撃した。


 ――遅い昼食を誰もいない中庭でとっていたときのことだった。軽食を手にした彼女がやって来たのだ。


 彼女は、アルフレートに気がつかないままベンチに座った。アルフレートは声をかけようと迷ったが、ちょうど木陰にいたアルフレートは、向こうにいる上司の死角になっていたらしい。最後まで彼女はアルフレートに気がつかなかった。


 アルフレートも、最初は挨拶をしようとしていた。だって、気づかれていなくとも彼女は上司、挨拶は当たり前だからだ。


 けれどもアルフレートは挨拶をしなかった。いや、正確にはできなかった。タイミングを逃してしまったのだ。


 ――足元によってきた小鳥に、軽食のサンドイッチの角をちぎって与える彼女を見たから。


 彼女は、微笑んでいた。小鳥に慈しむ笑みを向け、非常に幸せな表情ででれっと。


 彼は、可愛いと思った。それは、彼が恋に落ちた瞬間だった。初恋だった。


 普段は絶対に感情を出さない、仕事ができる氷の美女が、動物に餌付けするときだけでれっと笑み崩れる。


 彼は以降わざと昼食を調整して、彼女の笑み崩れるその表情を見ることが毎日の楽しみになった。


 そんな楽しみを半年も続けていると、彼女が普段氷の仮面を意識して被っていることに気がつき始めた。


 それに気づけば、もうあとははやかった。彼女の他の表情を見たい、独占したいと思うようになった。


 ――そして、アルフレートの恋患いがだんだん強くなっていったとき、アルフレートは彼女が見合いをするらしいと聞いた。


 見合いの発案者は、アレス次官補、宰相の右腕と呼ばれる人だった。彼に「マックラインを連れてこい」といわれた日には、アルフレートは燃え滾る嫉妬心をおさえるだけで精一杯だった。


 彼女にアレス次官補の言葉を伝え、彼女がアレス次官補の執務室にいくときも、どれだけ行かないでと叫びたかったか。どれだけその背を振り向かせて止めたかったか。


 おとなしく彼女の背を見送ることもできず、アルフレートは結局彼女の後を追った。


 そして追い付いた先で、彼女が人事担当が連れだってとアレス次官補の執務室から出ていくのを見てしまった。


 彼女が力を抜いて会話をし、表情をコロコロ転がすように変えていく様を見て、アルフレートは呆然とし、心中がざわついていくのを感じた。


 ――他の人とそんな顔して話さないで。他の男にそんな顔見せないで。


 どろりとした沼のような嫉妬心に、彼は自己嫌悪を感じながらも「やっぱり彼女が欲しい」とさらに強く願う自分をより実感した。




「ならば、追いかけるかい?」




 アルフレートは、執務室から出てきたニヤニヤ顔のアレス次官補にせっつかれて、ふたりの後を追った。








 追い付いた先で、アルフレートは彼女と人事担当の男がある店の前で立ち往生をしていることに出くわした。


 人事担当の男は、いとおしげに彼女を見ていた。アルフレートは焦った。あの店は、若い恋人たちに人気のある店だ。


 あの店のあるメニューをふたりで食べると、必ずふたりは最期までともに添い遂げることができるのだという。アレス次官補、お恨み申し上げますとアルフレートは天を仰いだ。


 アルフレートは、立ち往生するふたりに和って入ることにした。


 外は雪だ。このままでは、薄着の彼女が風を召してしまう。それは駄目だ。




「……寒いことですし。入りますか?」




 それは駄目だ。このままでは、きっとなし崩し的に彼女は頷く。


 駄目だ、頷かないで。他の男と一緒に行かないで。


 彼女がくしゃみをした。人事担当の男がこちらに気づき、睨んできた。




「マックライン先輩」




 ――アルフレートは、彼女が欲しい。


 だから、彼女をめぐる戦いの場に躍り出た。

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