第3話


(――ああ、神様! なんてことにっ……!)




 キャリサは、どうしてこうなったと天を仰ぎたくなった。


 いま、キャリサとホフマンは馬車に揺られてある場所へと向かっている。


 この馬車は、キャリサにとってとんでもない発言をしたアレス次官補の手配した馬車だ。ふたりをくっつけたいアレス次官補が手配した馬車は、彼の思惑があからさまに反映されたものだった。




(何でふたり乗りぃいっー!?)




 婚約者や恋人、愛人といちゃつきたいがために、開発されたというふたり乗りの馬車は、もちろん愛し合うふたりが更にいちゃつくために設計されている。愛し合うふたりの間にお邪魔虫が入り込まないように、ふたりがより密着できる、何ともお節介設計だったのだ。――つまり、狭い。




「…………」




 左を見れば自動的にホフマンが視界に入るため、キャリサは反対側の窓の外を見ていた。


 この馬車に乗せられる際――にこにこ微笑む上司の手前、乗り込むしかなかった――女性をエスコートするためとかの理由で、キャリサは奥へとやられたのである。キャリサは自分に合掌したくなった。


 ……狭い馬車で、密着ふたりっきり。なんてキャリサにとってヤバい仕様だろう。


 家族ぐるみで付き合いがあり、かつ幼友達で又従兄弟といった気が置けない間柄とはいえ、ついうっかりときめいてしまったらどうしろというのだろう。


 ぐぬぬ、とキャリサは唇を噛み締めた。隣がホフマンだからこそできることだった。これが別の人物なら、無表情のままこっそり歯軋りでもしていただろう。


 そんなキャリサの耳に、砕けた調子のホフマンの声が届く。




「ねえ、キャリサ。びっくりしたでしょう」




 王宮内とは違い、昔のように呼び捨てでホフマンはキャリサを呼ぶ。


 ホフマンは、キャリサとひとつ違いで、キャリサにとっては弟同然だ。年が近いからか、よく互いを名前で敬称もなく呼びあっていた――ホフマンが王宮へ官僚として出仕するまでは。




「びっくりしたも、何も」




 キャリサの視線が空をさ迷う。


 キャリサは嬉しいような、悲しいような複雑な表情と、ぎこちない声音で返答した。


 久々に名前を呼ばれ、久々に表情を作ることなく会話もできるこの状況は、キャリサにはとても危うかった。


 いつもなら、キャリサにはストレスを感じることなく話せる、かつ羽ものばせる時間を過ごせただろう。


 けれども、もはやいつものようには屈託なく話などできそうにもなかった。


 ホフマンは今、「見合い相手」としてここにいる。




『ホフマン、とですか』




 アレス次官補の爆弾発言に、絶句していたキャリサはどうにか口に問いをのせた。




『年齢もちょうどいいだろう? なあ、ホフマン君』




 助けを求める意を込めた視線でホフマンを見るキャリサに、ホフマンはキャリサの望まない答えを口にした。冗談などといわせない強い意志と真剣さでもって。




『自分は喜んで』




 あの言葉を聞いてしまえば、ギクシャクとなっても仕方がないとキャリサは思う。


 その距離にキャリサ自身がわだかまりを覚え、そんな自分にショックを受けても。そんな反応にホフマンが悲しそうに笑っても。




「でもキャリサ。僕はあなたをひとりにしたくない。貴女のそばに寄り添いたいんです」




 反対側を向いているキャリサの手をホフマンの手が優しく包む。




「……ジェス」




 ホフマン――ジェスは、キャリサの事情をよく知っている。キャリサが無表情で己を縛っているその理由を知っている。




「……でも」




 キャリサは、ジェスの手をとることに躊躇する。ジェスがいま向けてくれている気持ちに気付いていても、ジェスの優しさに身を委ねることに躊躇する。


 ジェスに身を任せたら楽だろう。彼はキャリサに気持ちを向けてくれているし、何よりキャリサの事情を知った上で声をかけてくれている。キャリサの背負う重荷をも一緒に受け入れるといってくれている。


 でも、でも。


 お一人様でいることを選ばざるを得ないキャリサは、お一人様でいないといけないことは理解していても、やっぱり求めてしまうのだ。誰かの隣にずっといたいことを。


 いまだって脳裏にその誰かがちらついている。もしお一人様でいないことを許されるなら、胸に抱くこの気持ちを伝えたい相手が。


 その相手は、ジェス・ホフマンではなかった。


 本当ならば、キャリサは選べる立場にいないのだろう。ジェスの手も、誰の手もとることは許されない。


 でも、でも。ひとりは、寂しい。その気持ちがキャリサを迷わせる。




「……いますぐとはいいません。でも、貴方をひとりにしたくない男もいることは忘れないでくださいよ?」




 ――頼ってください、と切なそうにジェスは言葉を紡ぐ。


 その言葉を聞き、キャリサの脳裏に浮かぶのはやはりジェスではなかった。








 ――しばらく馬車は王都の町並みを走り続けた。馬車の中では、ジェスがキャリサの手を握り続け、ふたりは沈黙したままであった。


 無表情になって考え込むキャリサ、そんなキャリサを見つめるジェス。


 馬車の御者はそんなふたりにお構いなしに、アレス次官補の命の通りに、ある店の前で停車した。


 停車した店は、いま若い世代の貴族たちが懇意にしている流行りのレストランであった。




「……追い付いた」




 停車した馬車の後ろで、別の馬車も停車していた。その馬車に記された家紋は、奇しくもキャリサの脳裏から離れない少年の家のもの――サリーズ辺境伯家の家紋だった。

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