マエストロと機械人形

桜百合

第1話 マエストロの機械人形(1)

特異な美術史を歩んできた国、キューブ。その郊外の森には一つの屋敷があった。

辺りを木々に囲まれた、開けた敷地。綺麗に整備されたプライベートプール。ガレージにはいかにもな黒塗りの高級車。

どれをとってもここに住まう者の持つ財力に想像を掻き立てられるようなものであふれている。

画家の八月朔日統香ほずみとうかとメイド兼機械人形マシンドール一宮いちのみや は、そんな屋敷で暮らしていた。



春の静かな朝、暖かな陽が雑に開かれたベッドの天蓋の隙間から、二人に射していた。

一宮はベッドの傍に立ち、寝穢いぎたなく眠る統香へ声をかける。


「マエストロ」


と。


「んん…あと二時間…」


寝返りを打ちながらそう答える”マエストロ”こと統香に起き上がる気が1ミリもないことを一宮は知っていた。彼女はこれがただの友人であったなら、そもそも起こさない選択をするぐらいにはこの時間を無駄に思っていたのだが、立場がそれを許さないため”早く起きろ”と圧を放ちながら優しく続ける。


「駄目ですよ。ほら」


「にゃむり…ひゃくにじゅっぷん…」


優しさ空しく、返ってきたのは表現を少し変えただけの希望睡眠時間の申請であった。


「起きてくださいマエストロ。もう十時ですよ」


三度優しく語り掛け、肩をゆすろうと手を伸ばす。


「うるさい」


統香はそう言うと頭から布団をかぶり、再度寝息を立て出した。

仏の顔も三度まで。


「はぁ…ヒキニート」


それは統香の最も嫌う言葉であった。


「ムッ!誰がヒキニートだ!!私午前中に起きるの無理だっつってんでしょ!!昨日遅くまで絵描いてたし!作品収入だってあるからニートじゃない!!

わかったら二度とこんな朝早くに私を起こすな!!」


案の定飛び起きた統香はのべつ幕無しに反論を立ててきたが、一宮は淡々と返す。


「起きてくれたらそれでいいんですよ。

 本日は十一時より[[rb:元春菊 > もとしゅんぎく]]様がいらっしゃいますので、そろそろ身支度をしませんと」


「具合悪いって言っといて」


統香は再び布団に潜ると、その温さに思わず目を閉じてしまった。

しかし一宮に肩を強くゆすられながら


「駄目です。急ぎですので」


と言われ、泣く泣く目を開く。


「えぇもう…はぁ…要件とか言ってなかった?」


「かなり慌てた様子でして、伺う前に切れてしまいました」


それを聞いた統香は小さく鼻を鳴らす。


「ってことはやっとかな」


統香は目を瞑り頷く一宮を一瞥すると、彼女のポケットが四角く膨らんでいる事に気が付いた。

喧しく起こされたため目覚めの一本が吸いたくなった統香は、自身の煙草を取ろうとサイドテーブルを探った。


「…あれ、私のタバコどこ?」


「新箱でしたらそこの文机に祀ってませんでした?」


一宮が指さした先の文机の上、彫刻刀で掘られた意味のない魔方陣の中には、確かに未開封の箱が置かれていた。


「うえぇめんどくさ…」


「しょうがないですね…私ので良ければあげますよ」


「貰う!ピース?」


「どうぞ。ハイライトです」


「そういやそうだったね、あんがと。一宮も吸いな」


「ありがとうございます」


一宮から借りたジッポライターを慣れた手つきで弄びながら、統香は言った。


「しっかし、なんであんなただの庭が最優秀賞なんだろうね」


それは先日開催されたコンテストで最優秀賞を受賞した庭の風景画のことで、なんでも構図から、色使いから、遠近感から、何から何までが完璧だったそうだ。


「”完璧”とか、もはや浅いだろ。逆に」


「芸術はわかりませんね」


そう口では統香に同調するように言った一宮であったが、本心では全く逆のことを思っていた。

彼女から見た八月朔日統香という画家の描く作品への印象は、その審査結果と全く同じであったのだ。


本当に綺麗。


一宮は自身のスマートフォンの壁紙に設定された件の風景画を賞翫しょうがんしながら、フッと統香に向けて煙を吐いた。



「人間国宝の娘にして現代最高峰の画家

若くして元春菊をも凌ぐ才

込められたメッセージはまるで純文学

…ですって」


一宮はベッドに腰をかけると、咥え煙草でスマートフォンの画面をスクロールしながら言った。

百科事典サイト、ヴィキペディア内での八月朔日統香の人物像は、フィクションのように徳の高そうな”最高の画家”であった。


「いやもう重いわ。作品だって別に、もっとすごい人いくらでもいるじゃんね。

そのヴィキ編集しといて。”社会につまずいた冴えない喪女”って」


「承知しました。

”ヒ、キ、ニ、ー、ト”っと」


「作品収入あるっつってんだろ!!」


「ちょ、声が大きいです。そんな叫ばなくても聞こえてますよ」


「禁句。言うほうが悪い」


「ちょっとした茶目っ気じゃないですか」


「クソデカ悪気だろ」


「ふふっ。

でも私、マエストロの作品好きですよ」


「んぁ?…あぁ、あんがと。

…吸い終わったね。行こ」


「はい」


マエストロは、作品を褒められると表情が暗くなる。私の知る限り、あの人以外からの賛美でマエストロが笑顔になったことは一度もない。

どんなに素晴らしい絵画を描き上げても、常にどこか浮かない顔をしている。まるで雨の降る中、自分だけが傘を差しているような、それでも他人に傘を渡せない、傘に入れてあげられない立場にいるような…そんな複雑な顔。



* * *



「マエストロ…」


「やめろ。言うな」


「言うなったってこれ…ファスナー…」


「やめろ!!」



* * *



白のトップスにベージュのバイアスチェックスカート、首元には赤いリボン。中学時代の芋ジャージから、いかにもお嬢様な恰好に着替えた統香は、衣装部屋の全身鏡に映る自分をまじまじと見ていた。


「普段ジャージだから忘れがちだけどさ、私って結構イケてない?」


凛と澄ました表情を作り、背後で自身の脱ぎ捨てたジャージを拾う一宮へと語りかけるこの女、スカートのファスナーは破裂寸前である。


「お似合いですね。馬子にも衣装って感じで」


「お前…主人に何てこと言うんだ…」


「冗談です。

似合ってますよ。とても」


「ふふん。こりゃーモデルとしても食っていけそうだな」


「それは無理です。だってファスナーが…」


「やめろ!!」



二人は衣装部屋を後にすると、元春菊との待ち合わせ場所である庭のテラスへと、軽口を叩きながら向かっていた。


「てか一宮はずっとそのメイド服だけど、たまにはこういうのも着たら?多分似合うでしょ」


「これといって着てみたいものもないですからね…

あぁでも、マエストロのジャージには少し興味があります」


「お、じゃあ着てみなよ今」


「結構です」


「え~…あっ、じゃあ今夜にでも着てみてよ」


「業務後でしたら…考えておきます。

そんなことより私はマエストロが心配ですよ」


「ん?何で?」


「家の中に籠ってばかりいては、着れる服も着れなくなってしまいますよ」


一宮の恨めしそうな視線の先を追うと、そこには自身の下っ腹があった。


「いやまだ若いから…大丈夫だから…いけるいける…」


「老いなんて、気付いてからじゃ遅いんですからね」


「わーかったって…って、元春菊もういんじゃん。

…あれ、なんか警護多くね?」


軽口を叩きながら向かっていたため、テラスへ着いたのは予定時刻の五分前。


「いつもよりかなり多いですね。何かあったのかも…」


二人に気付いた元春菊は、開口一番に声を張り上げた。


「遅い![[rb:統悟 > とうご]]から教わっただろう!」


時間に厳格なこの男にとって、それは最早遅刻と同義であったのだ。

普段は比較的温厚な上に大柄な体格も相まって、意外とちびっ子人気の高いこの男だが、こと時間に関しては人が変わってしまう。それは、無二の親友であった八月朔日統悟からの影響であった。

自身を完璧なスケジュールで管理し、常に高いパフォーマンスを発揮していた彼に、元春菊は尊敬と憧れの念を抱いていた。

当然、その娘にも同じ画家として期待せずにはいられない。


「ジュップンマエコードー?だっけ?別に約束より五分も早いんだしよくない?」


しかし当の娘はその影響を全く受けず、一宮がいなければ遅刻常習犯となっていたことが想像に難くないほど、時間にルーズであった。


「はぁ…まぁいい。掛けよう」


いつもならもう二言三言四の五のと時間を守ることの大切さを説くのだが、今日の彼は少し様子が違っていた。


「やけに大人しいですね」


「裏あるなこりゃ」


二人がひそひそと話をしていても、気にする素振りすら見せなかった。

統香の脳内に先ほど一宮から聞いた、電話口での元春菊の慌てた様子が思い出される。

散歩の途中夕立ちに降られ、雨宿りにと寄り添った木に雷が落ちても動じなかったこの男が、こうして直接出向いてまで伝えたいこととは一体何なのか。


「急で悪いがな、やはりこういうことは直接伝えんと」


”こういうこと”そして”直接”に反応した統香は思わず尋ねた。


「えっ、引退すんの?」


「違う!」


「あぁ、ようやく」


ふぅ、と息を吐くようにそう言い、少し安堵したような表情を浮かべる統香に、元春菊は顔を強張らせながら言った。


絵描狩えかきがりが動いたぞ」


「あ、やっぱり?」


絵描狩りとは、ここ数か月ほどキューブを騒がせている犯罪者の通り名である。名の通り絵描きを狩る者で、所謂人攫いの類だ。

有名無名を問わず、アトリエで制作に励む者から街の似顔絵師、果ては美術部や漫研に所属している学生まで選り好みをしない。また、手段も選ばないため「量産型の機械人形十機以上に詰められた人がいる」「絵を描けないのに連れて行かれた人がいる」など、その噂にも枚挙に暇がなかった。

元春菊も攫われこそしなかったが、絵描き狩りによる確かな被害を受けていたのだった。


「昨日、ワシが若い頃に使っていたアトリエが燃やされた。

幸い作品は一点も置いていなかったが、このままではいずれ…」


「あ~、それで?別荘とかどっかに行くの?」


「ああ。画材や作品を守らんといかん」


「ふーん。

…あ、私にも来いってことか」


「そういうことだ。お前のことは統悟から頼まれとるしな」


それは統香の父、統悟が他人にした唯一の頼み事であった。

親友との約束を果たすため、万が一にも統香を失うわけにはいかない。


そうか。だから慌ててたのか。


統香は気づいた。

そして元春菊の表情から”もし統香に何かあればその時は自分が身代わりになる”という覚悟も。


「ん~まぁでも大丈夫よ。そういう時のための一宮だし」


「しかしそれでも統悟は…」


「いーの!あの人はあの人!私は私!」


強く言い切る統香の瞳を見て、テコでも動かないと察したのか、


「…わかった。何かあったら連絡しろ。使いを送る」


そう統香の決意を認め、引き下がることにした。


「ん。朝早くからあんがとね」


「お前…十一時はもう昼だぞ」


「マジ?」


「マエストロにとって午前は早朝と変わらないですからね」


「はぁ…頼んだぞ一宮。

そんなでも、一応は国の宝だからな」


頭を軽く抱えながら元春菊はそう言うと


「お任せください」


「あぁ。くれぐれも、攫さらわれてはいかんぞ。

…こんなふうにな」


どろりと機械人形の迷彩ステルスを解いた。


「えっ」


突然の出来事に反応こそすれ、対応の間に合わなかった一宮と自身の間に機械人形を呼び、元春菊に成りすましていたその男はそのまま統香を脇に抱きかかえると、彼女のこめかみに銃を突きつけた。


「は?ちょっ、何アンタ!!」


「初めまして。先程ご紹介に与りました、絵描狩りでございます」


マジシャンのような格好をした狐顔のその男は、下卑た笑みを浮かべながら巻き舌気味にそう名乗った。

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