霜月文書

28:『タイツ転生』

(2023/11/04・タイッツー)



 灰色で無機質な空間に「ひとを五百人殺めました」という風貌の男が立っている。

 白装束を身に纏い、頸に頑丈な縄をかけた彼の様子は、容姿に反して酷く凪いだものだった。後ろ手に拘束された腕も指先まで脱力している。僅かに俯いた顔に表情はない。けれど、しっかり閉じられた目蓋と、両方の口角が上がった唇の形が、まるで微笑んでいるようだ。

 それは何もかもを諦めたように見えた。或いは、数分と経たず己に訪れる「死」を受け入れてるようにも見えた。若しくは、生の終わりに幸福を見出しているようにも。


 男の背面——分厚いコンクリートの壁の向こう側に職員が三人、並び立つ。彼らの表情もまた、無であった。けれど男とは違い、皆硬かった。皮膚は強張り、唇は一文字に結ばれている。瞳には抑えきれない怯えがある。その色を上官に見られるのを厭い、ひとりが制服の帽子を目深に被りなおす。つばが作り出す陰で覆い隠すように。

 上官が合図を出す。三人は一歩、壁に近付く。

 壁にはボタンが三つ並んでいる。赤色の、拇指大ほどのそれはプラスチック製の箱に収まっている。万が一にも間違って押さないためだ。二回目の合図で蓋が開けられる。三度目の合図は「ボタンに親指をかけろ」の指示だ。三人の動きに乱れはない。プロのパフォーマーのように。訓練された軍人のように。はたまたボタンを押すロボットみたいに、ぴったり揃った動きで赤色に親指を重ねた。

 四度目。ボタンを強く押し込む。


 男の立つ床が、ぱかりと開く。









「いや〜、ごめんね! 本当はきみ、百五十歳まで生きる予定だったんだけど。こっちの手違いっていうか、うっかりミスっていうか。兎に角、かくかくしかじかで六〇で死んじゃったんだよね! マジめんご!」


 真っ白い空間に座り込んだ男は、己の身に起こったことを何ひとつ理解できずにいる。ただ唖然として眼前の人物を見るしかない。


 そいつは純白のスーツを着た美丈夫だった。

 日焼け知らずの白い肌。金色に輝く細い髪。すらりとした四肢は長く、身長も高い。まさにイケメンと呼ぶに相応しいビジュアルだが、薄ピンク色の唇から飛び出す言には知性が感じられない。

 男は思ったまま「は?」と不機嫌な声を出す。

「え、誰?」

「ぼく? ぼくは神様です。よろしく!」

「は? なに?」

「だから、神様! めっちゃ長い肩書きと役職名があるんだけど、そこんとこは省略で! まーじで長過ぎて口が疲れる前に噛んじゃうんだよね。ま、神には違いないから気にしないで!」

「いや、気にしないでって……」

 男が気にしたのは神を名乗るイケメンの頭のイカれ具合だったのだが、疑問と混乱が大渋滞を起こして何も言葉に出来なかった。命の危険を感じると身体が硬直してしまうひとがいると聞くが、混乱が極まると言葉が喉に詰まって何も言えなくなってしまうことを男は知った。もう死んでしまったのに。


 そう、男は死んだのだ。


 男は死刑に処された。

 五百人の無辜の民を殺した罪で。千の猫をあらゆる方法で殺した罪で。男は極刑になった。戦後最悪で残虐で猟奇的なサディストの称号を与えられた男の人生は、古き良き絞首刑で幕が下されたのだ。

 それはとても不本意な結末だった。

 否、不本意なんてものじゃない。納得なんて出来るはずがない。何故なら男は何の罪も犯していないのだ。

 冤罪だった。

 確かに男は不気味な人相をしている。頬骨が浮き出た長細い輪郭。歪んだ鷲鼻。目尻が吊り上がった鋭い目付き。三白眼。髪は豊富なのに眉毛は薄く、唇の両端は常に上向き。そのつもりは一切ないのに「なんだ、その目付きは」「ガン飛ばしてんじゃねぇ」「にやにやすんな」と言われた。

 顔の細さに比例しない太った体型も醜さに拍車をかけた。人見知り故に友達が作れず、同僚との仲も上手くいかず、近所づき合いを疎かにしたのも、謂れない嫌疑を濃厚にさせたようだった。世界で唯一、男の無実を心から信じてくれた母親は、男の極刑が確定した年に亡くなった。父親はいない。母曰く、男が産まれる前に死んだらしい。真相を知るのは亡き母のみである。

(そうだ、あの世へ逝けば母さんや、顔を知らない父親に会えると思っていたのに)

 男は、へらへらと笑うイケメンを睨んだ。

「ここは何処だ。あなたは誰だ。おれは死んだはずだ。死刑で。なのに、なんでここにいる」

「いっぺんに質問されちゃうと困っちゃうな」

 へらへら笑いに少し苦味を加えたイケメンは、折り畳んだ指を一本ずつ立てながら言葉を続ける。

「ここは何処かって言うとー……そうだなぁ、簡単に言っちゃえば『地獄と天国の中間地点』ってとこかな。地球でいう大気圏的な。で、さっきも言ったけど、ぼくは神様。これまたさっきも言ったけど、きみは確かに死にました。絞首刑の執行により頸の骨が景気よく折れて享年六〇歳。

 本来なら屍人の魂はアッチの裁判所——地獄行きか天国送りかを決める場所に直行なんだけど、三度これまたさっき言った通り、本当は百五十歳まで生きる予定だったんだよね。化学の叡智により禁断の園へ足を踏み入れたマッドサイエンティストのラットとして。

 でも、かくかくしかじかで死んじゃって。そもそも、死刑確定自体が予定外の想定外っていうか。大きな間違いだったので『こりゃあ、どげんかせんといかん。お詫びせなアカン』ってわけで、ここに連行したわけです。お判り?」

「判らない」

「要は『別世界で人生やり直させてあげよう!』ってこと!」

 雄叫びを上げてハイテンションで謎のダンスを披露するイケメンを、男は呆然と見ることしか出来ない。

「ま、バイオなハザードのゲームに登場するヤベェクリーチャーみないな見た目になる前に、人間として逝けただけでも感謝してくれて良いんだけどね。でも、それって完全に棚ぼただから。『落とし前はきちんとつけとこーぜ』ってこと」

「は、あ……?」

「あぁん?」ダンスを止めたイケメンが、怪訝そうな表情を男へ向ける。

「納得できねーって顔してんなぁ」

「納得どころか何ひとつ理解してないです」

「なんで!? 夢の『異世界転生』だよ!? もっと喜べよ!!」

 それ以前の問題なんだが、と男が発言するより早く、イケメンの口が動く。

「そんなに理解力と判断力が遅かったら、またすぐ死んじゃうよぉ! 鬼の頸を刎ねたり異能力でバトったり出来ないよぉ! まーたマッドサイエンティストによるクリーチャー化一択だよぉ!」

 ってことで、と言うが早いかイケメンが指を鳴らした。

 未だ座り込んだままの男の頭上に、魔法陣が現れる。

 それは最初、薄い灰色をしていた。が、忽ち色を濃くしていった。時折、稲妻のような光が複雑怪奇な模様を撫でるように走る。頭上で繰り広げられるファンタジーな光景を目にし、男は動けずにいる。もう全く、わけが判らない。

 思考が完全に止まった男の身体が不意に、ふわりと浮き上がる。

 そして慌てる間もなく光の粒子となり、魔法陣へ吸い込まれていった。










 異世界へ転生してから四ヶ月。

 男は至極平穏な生活を送っている。

 容姿のことで、とやかく言われることはなくなった。言いようがなかった。ほとんど皆、同じ姿形をしているのだ。大きな違いといえば色ぐらいだ。黒、白、赤、ピンクに青、緑、黄色、紫。個性派はグラデーションだったり、ラメを散りばめていたりする。どんな狙いがあるのか、はたまた余程自分に自信があるのか、あみあみで露出の高いやつもいる。

 男は灰色だ。あの日の魔法陣と同じ色。けれど、心は晴天の青だった。時々、うっとりするほど美しい夕暮れ色になる時もある。

 この世界は誰もが優しい気持ちになれる。偶には、気分がくさくさする日もある。

 最初の一週間、男は塞ぎ込んだ。例のイケメンが「夢の異世界転生」だなんて言うから期待したのだ。もしかしたら、自称神様レベルの容姿になれるんじゃないか。転生特典でチートになれるんじゃないか……。

 しかし、現実はタイツだった。

 まさかのタイツ。人外へ転生するパターンはあっても——そして無機物転生があったとしても——タイツはない。クリーチャーに較べれば何千兆倍もマシだけど。男は酷く落ち込んだ。

 しかし三日と経たずして、男の気分は上向いた。タイツ最高。この世界の住人は仲良しで、けれど程よく互いに無関心なようだった。否、無関心でも許される空気だった。それが人見知りである男には有難い。容姿を気にする必要がないのと同じぐらいに。


 灰色のタイツは猫を飼っている。

 ミルクのように白く滑らかな毛並みと、金色の瞳を持った猫を優しく撫でながら、タイツは瞳を閉じて小さく微笑む。それは真の安らぎを得た本当の微笑みだった。



(終)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る