長月文書

27:「ごめんね、おまたせ」

(2023/09/30・Prologue)



 或る果樹園に、特別なりんごの木があります。

 その木は大層立派です。幹は太く、空を受け止めるように広げられた枝は力強く繊細で、葉の緑は濃い。可憐な白い花は純真で無垢な赤ん坊のように輝き、真っ赤な実は艶やか。芳醇な甘い香りを放ちながら「わたしを食べて」と誘う。木の周辺にはスノードロップが群生し、季節になると可愛らしい小さな花が咲き乱れるのです。

 その光景を目にした人々は、みな口を揃えて言います。

「まるで天国のようだ」と。

 実際、わたしも思いました。魅せられました。天国の片隅に佇む、ほっそりとした妖精のようにも見えました。

 まるで此の世のものとは思えない……もしくは何かの間違いで、現世に根を張ってしまった憐れな木。

 賞賛する一方で、わたしは首を傾げます。

「どうして、こんなに美しいのだろう?」



 わたしは不思議の探求に乗り出しました。

 まず、持ち主に話を聞きます。

 果樹園の所有者は、わたしの父です。父の話によると、りんごの木は、彼が幼い頃には既に存在していました。全く変わらぬ美しさのままで。

 果樹園の所有権と管理の仕事は代々長男に引き継がれました。高祖父から曽祖父へ。曽祖父から祖父へ。祖父から父へ。記録とは呼べない日記によれば、高祖父より上の代もそうだったようです。

 栽培方法は通常の木と同じに見えます。

 しかし、日記を読みながら、わたしは引っ掛かりを覚えました。

 高祖父の達筆過ぎる字を解読していた時のことです。唐突に「妻の死」の記述が出てきたのです。

 わたしは戸惑いました。それまで、りんごの木の観察日記みたいな内容ばかりでしたから、突然「妻が死んだ。」と言われ(正確には書かれ)狼狽えてしまったのです。

 四苦八苦しながら読み進めたところ、高祖父の妻(つまり高祖母)は至極美しい女性だったようです。そして身体が弱かった。高祖母は物凄く若い頃に亡くなりました。死因までは明記されていませんでした。

「妻の死」は曽祖父の日記にも記されていました。

 曽祖父は二人、妻を持ったようです。どちらも絶世の美女で、最初の妻は風邪を拗らせた末に命を落としました。二番目の妻は肺炎を患い亡くなっています。

 そこまで読んで「あれ?」と首を捻ったのです。

 確か、祖母も若くして亡くなったのです。それとなく父に確認したところ、享年十八歳でした。

 そして。

 わたしの母も、二十二歳で死んでいます。わたしが四歳の時です。台所で転倒し、頭の打ち所が悪くて集中治療室へ入り、そのまま……と、父から聞いています。

 果樹園の……りんごの木の所有者は、みな妻を亡くしている。とても若く、美しい妻を。

 厭な共通点です。

 不吉な予感がしました。


 けれど、その予感を事実として証明する勇気はありませんでした。

 スノードロップに囲まれた美しいりんごの木を目にするたび、わたしは祈りました。「どうか悪い想像であれ」

 深紅の皮を纏った瑞々しい果肉に歯を突き立て、齧り取り、爽やかな甘味を味わいながら願いました。「どうか悪趣味な妄想であれ」

 しかし、現実は残酷です。

 わたしは気付いてしまいました。高祖母の、曽祖母の、祖母の、母の墓参りに、一度も行っていないことを。父が母の墓へ足を運ばないことを。その代わり、りんごの木へ足繁く通うことを。

 母や祖母の墓へ、一度も連れて行かれたことがないことを。

 そもそも墓の場所さえ知らないことを。

 一度も教えられていないことを。



 真実を受け入れる覚悟が出来たのは、父が亡くなって五年後の冬です。

 果樹園の継承は父の代で絶たれました。幾人もの恋人が居りましたが、再婚には漕ぎ着けなかったのです。娘である「わたし」の存在が障害となったことは否定しません。果樹園の所有権は一族の嫡男しか承継できません。が、父の実子は「わたし」だけでしたから、結局、相続税云々の問題で、わたしが受け継ぎました。

 意を決して、わたしは業者に依頼しました。「土地を掘り返してください」

 りんごの木を中心に、スノードロップが群生する範囲を全て。


 不吉な予感は的中しました。

 遺体が出てきたのです。


 いいえ、あの四体を「遺体」と呼んで良いのか。わたしには判りません。

 彼女たちは確かに、生命活動を止めています。目蓋を閉じ、胸の下あたりで重ね合わせた両手は固く、肌は何処もかしこも蝋のようです。が、それだけなのです。

 腐った部分はなく、ミイラ化もしていない。ただ地中で穏やかに眠っていただけの人形のような母たち。

 特別なりんごの木とスノードロップの美しさを維持し続けた、美しすぎる祖先。わたしは母の滑らかな頬に手を添え、そっと囁きました。



(終)

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