19:怪原稿
『文豪のついた嘘』(2023/04/23・monogayary)
この原稿が読まれている時、わたくしの姿は何処にもないでしょう。塵ひとつなく、髪の毛一本、切った爪の破片さえ見つからない。まるで、わたくしが存在していなかったかのように。
しかし、存在していたことは事実です。覆しようのない、揺るぎない事実。その証拠は部屋の本棚に詰まっています。図書館や書店の棚にも。一部はネット上にもあります。
知っての通り、わたくしは作家。物を書くのが仕事でしたから。そして有り難いことに、わたくしの仕事は高く評価されていましたので。喩え普段、読書をしない、年に一冊読めばよい方な方でも、わたくしの名前と作品名を聞けば「あぁ、知ってる」と仰って頂けるはず。自惚れなどではなく、わたくしは自信を持ってそう言えます。
わたくしの名と作品は知られておりますが、わたくし自身を知る人は、殆ど居ません。否、まったく居ないと言ってもよいでしょう。お恥ずかしいことに、わたくしは友達を持っておりません。初等教育を受ける時分から独りぼっち。
……誤解のないよう書き加えておきますが、わたくしに友達が居ないのは、決して周囲の人間が悪いのではありません。昨今、何かと「周りが悪い」「自分が不幸なのは社会の所為」と責任を転嫁する者が居ります。それは誠に愚かで恥ずかしい主張です。行動には責任が伴います。ならば、結果にも責任が付き纏うと、わたくしは考えます。
友達をひとりも持っていないのは、わたくしに理由があります。原因も何もかもすべて。わたくしの所為。
理由や原因については後で説明致します。
いま知って頂きたいのは、わたくしの本質を誰も知らない、ということ。
別段、隠していたつもりはありません。……いいえ、もしかしたら隠していたのかも。「友達が居ないから」なんて言い訳は通用しません。わたくしの主義にも反します。仕事の繋がりで知り合った方々も、両親でさえ知らないのですから、オープンなつもりで実際は無意識のうちに秘匿していたのです。
わたくしの作品を少しでも読んだことのある方なら、どんな作風であるか。どのようなモチーフを用いるか、よくご存知のはず。ふんわりと柔らかく、蕩けるように甘い。時々スパイシー。甘酸っぱさと仄かな苦味があり、香り豊かで芳しい。満開の花々。緑滴る青葉。瑞々しい果物。陽の光で煌めく川のせせらぎ。しっとりと露で濡れた土。小鳥の囀り。焼き立てのパンやケーキが食卓を彩り、えも言われぬ幸福。
そういう満ち足りた(時に牧歌的な)作品を世に送り出したわけですけれど、本心を明かしますと、これらはまったく“わたくしの世界”ではないのです。“わたくしの世界”はパステルカラーではありません。細いリボンが閃き、繊細なレースが飾られ、マカロンみたいな可愛いお菓子がたっぷりと並び、純白のユニコーンが寄り添ってくれるメルヘンさもありません。それらは文字通り幻想です。
では、真の“わたくしの世界”とはどんなものか。
それは暗く、泥に塗れ、血腥い。何処まで進んでもトンネルの出口は見えず、光の届かない濁った空気が肺を汚す。雑草の一本さえ生えない地表。ヘドロの池。空には不気味な鳴き声が響き渡り、食物には黴が生え、蛆が涌く。絶望で満たされた世界こそ、“わたくしの世界”なのであります。
わたくしは嘘をついてきました。
わたくしが友を持てない理由と原因。それは、身体の奥底からふつふつと湧き立つ残虐性です。頭では常に妄想しています。あれの腹を切り裂きたい。プレゼントの箱を開けるように頭蓋を開きたい。血潮の温度は如何ほどか? 口に含んだら、どんな味がするのかしら。
そんな妄想を四六時中しているわけですので、他人とまともな交流が出来るわけありません。うっかり腕を切り落としても冗句では済まないでしょうし。
実際、ある子供の頸を捻り切ったら問題になりました。幸い子供は子供でも、インコの子供でしたので、開け放っていた窓から這入り込んだ猫の仕業とされましたけれど。あれは、わたくしの仕業なのです。わたくしの両親に訊いてみてください。小学四年生の頃の出来事です。
それから妹の家出。両親も彼女の友人も、周囲の者も、妹は自ら失踪したと思っています。妹は所謂『不良娘』で、無断外泊なんてしょっちゅう。早過ぎる反抗期を永遠に引き摺るんじゃないか、などと笑われていた娘でしたから。未だに誰も家出だと信じ、一抹の疑念も抱いていません。
しかし、真実は違います。
わたくしは憶えています。妹の体温。皮膚の柔らかさ。温もり。悲鳴。懇願の台詞。骨が砕ける音。震え。頸の細さ。恐怖の宿った瞳から、ふっと光が消えた瞬間。舌に転がる血液の味。
妹は、わたくしの中で生き続けています。わたくしが死に絶えるまで永遠に。下腹部を撫でれば、ほんのりと体温が上昇致します。まるで応えるような反応を感じると、筆舌に尽くしがたい感情が全身を駆け巡るのです。わたくしはそれに『愛おしい』というラベルをつけました。『愛おしい』は、物語を作り上げる中で大いに役立ちました。喩えば、エレーナ女王が妖精の国へ嫁ぐ娘に対し、恒久的で忠実な愛を捧げた時。彼女の心理的描写は、わたくしの実体験です。
嘘をつき続けるのは大変疲れる行為です。
わたくしは草臥れました。心身ともにへとへとです。もう、偽りたくない。今後の人生、社会にも世界にも自分にも正直でありたい。
だから、この原稿を最後に生まれ変わろうと思います。偽りだらけの嘘つきな『わたくし』から、何処までも真っ直ぐで正直な『俺』へ。
心配なさらないで下さい。俺は元気です。否、元気過ぎるぐらいです。枷から解放された幸福で、なんでも成し得てしまえそうな程度に。俺独自の表現方法で皆様の前に再び現れる日を、今から心待ちにしています。そして、偽りであり事実でもある“わたくしの世界”を、末永くも愛して頂けると嬉しいです。
(終)
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