流星追いかけて

ハヤシカレー

流星追いかけて《前編》



 緑と紅が揺れている。

 命思わせる緑は、段々と、端から赤に成り行き、やがて落ちる。

「朱に交われば赤くなる——かな」

 僕と同じく、紅葉成りかけの葉を眺めながら、彼女はなんだか楽しげに、薄ら笑いを浮かべながら呟く。

 黒髪は白にまみれた病室の中でハッキリと浮かび上がり、患者服はまるで死装束のようである——それを纏う彼女は、見た者に白衣の霊を想起させる。

「葉に心は無い——から、他人に影響されたりしないだろ」

「ツッコんでくれるなよ流星君、ちょっとばかし言葉のあやとりをしてみたくなっただけさ」

 彼女は両手を見せつけて、

「この手じゃ、あんな器用な遊びは出来ないからね」

 またも微笑しながら言う。

 仮面の様な笑顔。

 演技じみた口調。

 模型の様に——動かない、手。


 亡心ナキゴコロ時雨シグレ——十四歳、少女、名前の由来は知らない。

 趣味は窓越しに、季節と共にその様相を変える木々を眺める事らしい。他にこれと言った趣味は無い——彼女の言ったあやとりを初めとして、読書や絵描き、ゲームなんかもしないらしい。

 否、出来ないらしいのだ。

 Don’t ではなく Can’t。

 その原因というのが——彼女の見せ付ける手である。彼女の手は、というか指はまともな動作を示さない。

 彼女の患っている病のせいで、神経の伝達なんかが上手くいかないらしい。

 病の名などは知らない——けれど、それに侵された者に訪れる末路だけは知っている。

 それは死だ。

 他に形容のしようがない、紛れもなく、事実そのまま死ぬらしい——尤も、時雨自身はその事を知らないらしいが。

「…………前から思ってたけど、なんというか——飽きないの? 木ばっか眺めててさ」

「他に娯楽と呼べる娯楽が無いからね、私のブレインさんは木の変化を楽しむ事に最適化されているのだよ」

 わざとらしく、大きく目を見開いて言う——が、その瞼は段々と下ろされる。

 彼女は哀れむ様な、それと同時に羨む様な目を、紅混じりの緑に向けながら口を開く。

「紅葉すれば葉は散る——死ぬ。死に行く星みたいに赤くなる、死を美化する様にして鮮やかになる」

 時雨はよく、一人でいる時に考えた事を語ってくれる。本人は木を見るだけでも楽しいとか言っていたけれど、やはり退屈しているのだろう。

「美化……か。まるでそれが悪いみたいな言い方をするんだな」

「私はそう思ってるね。死ってのは所詮終焉で、来るはずの明日が来なくなるだけの事——それを尊びたり、美しい物として描いたり、なんてのは……残酷過ぎるだろう?」

 しかしね——と、彼女は言葉を続ける。

「落葉には木を枯らさない——という役割がある。葉の死にはしっかりと、後に続く……明日に続く意味があるのだよ」

「ふうん、死に意味が無いように見せかけて、そこから有意義だと示す——そうしてこの世の全てには意味があると、そう言いたい訳だ」

「全く違うね。今の台詞こそが無意味そのものだよ……」

「ありゃ」

 違ったらしい。

 見透かした風に、少しばかりカッコづけて語ったから恥ずかしい。

 時雨はニヤニヤと、心底楽しそうに笑みを浮かべながら僕の姿を眺める——いい性格をしてやがる。

「おマヌケ鑑賞会はこれくらいにして——存外、死には意味があるのだ。クジラの亡骸は海底を栄えさせる。そもそも生物というのは他者の死を喰らって生きる物だ、死は明日への肥料となる」

「さっきと言ってる事が真逆じゃないか。ほら——死とは来るはずの明日が来なくなる事、ってさ」

「全ての死に対して言った訳じゃあないよ。まあ、そうだと誤解させるように誘導はしたが、ね」

 誤解というか……そうは言っていない、というだけで、ほとんど全ての死に対しての言葉だった気がする。僕が騙される前提で話していたのか、それとも語る最中で考えを変えたのか。

 まあ……どちらにしたって関係無い。

 僕は彼女の言葉を聞くだけだ。

 それだけが彼女にとっての、僕という人間の役割だ。

「全ての死に対してじゃないって事はつまり、何か特定の死に対しての発言だったのか」

「《つまり》でまとめる必要があったのかは分からないけれど……まあ、そういう事になるね」

「なら、何の死に対する言葉だったんだ?」

 僕は問う。

 時雨は答える。

 やはり微笑を浮かべながら、されども乾いた声で——

「人の死だよ」

 呟くみたいに、言う。

 潤いの無い声は、微かに震えている風に僕の耳に届く。

 人の死——一体全体どうしてそんな事を語り出したのだろうか?

 ただ単に紅混じりの葉を眺めて思い付いて、それをそのまま語ったに過ぎないのかもしれない。

 けれど、枯れ果てるようなか細い声で、他ならない時雨が言ってしまえば、それじゃあまるで——

「……なあ時雨、もしかして自分が——」

「流星君」

 《この先長くないって知ってるのか?》という台詞は時雨の言葉に防がれる。

 少し焦ってしまったが、仮に彼女が自身の死を悟っていたとしてもそれについて言及すべきではないだろう——言わなくて、言えなくてよかったと安堵する。

「どうかしたか……?」

「いや…………」

 時雨は閉口する。いつもならすぐに僕を言いくるめてくれるのだが——何か、僕の方から言葉を掛けた方がいいのだろうか。

 時雨という語る者に対する聴衆としての役割しか果たしてこなかったけれど……

「なあ時雨……」

「君には感謝してるよ」

 何かを言おうとして、また時雨に防がれる。

「うん、本当に感謝してるよ、本当に、本当に……」

 時雨は繰り返す。

 その言葉は明らかに僕に向けられた物だった。が、その視線は窓の先の木々に向けられている。僕なんて眼中に無いように、僕なんて——見たくもないと、そう言うように。

「ほんと——」

 掠れ……ほとんど消え去ってしまうような声で、


 うらやましいよ


 一言、呟く。

 その一言に対して僕は——やはり、僕は一言も返せない。遮られるまでもなく、何一つとして意志を伝えられない。

 そこからはもう、ただただ沈黙が、重たく、冷たく——心の臓を締め付けられるような空気が流れた。

 僕は耐えきれず——病室から逃げ出した。

 時雨も一人、置き去りにした。

 独りぼっちにした。

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