第32話 80点を90点に

 かくして俺と白雪による白雪希美打倒計画は始まったわけだが、具体的にどう戦えばいいのかについては暗中模索といったところだった。

 ただ、勝ち筋が全くないというわけではない。

 月日は大分経過してしまっていたが、その分、時間をかけた分だけ、白雪は結果を出していたからだ。


「これで全教科の平均が八十点台……よくやったな、白雪」

「……は、はい……」

「……俺の作ったテストがどこまで当てになるかはわからんが、確実に進歩はしている。それだけは間違いない」


 結果は出ている。そしてそれは、いい方向に向かっている。

 要素を抜き出してみればプラスに転じているといえるだろうし、白雪の頑張りは誰よりも近くで見てきたからこそわかるつもりだ。

 だが、本当の地獄はここから先だ。


 極端な話、六十点を八十点にすることはそんなに難しいことじゃない。

 そんなことを人前で言ってのけたら、全国の教師やら家庭教師やら塾講師に全力で石を投げられそうなものだが、あくまでもこれは極論で、そして比較論という前提での話だといえば、わかってもらえるかもしれない。

 なぜなら、六十点を八十点にする「だけ」なら、基礎をとにかく押さえていればいいからだ。


 基礎をひたすら反復していれば、抜け漏れやケアレスミスを換算しても期待値として七十点ぐらいは取れるだろう。

 学校のテストは生徒をふるい落とすのが目的ではなく、あくまでも習熟度を測るためのものだ。ゆえに、基礎さえ押さえていれば解ける問題の方が圧倒的に多い。

 共通テストだとか大学の入試とかになってくれば話は変わってくるが、少なくとも中間試験クラスの問題でふるいにかけるような応用問題を出してくる教師は少数派に違いないだろう。あの国語教師とかはやってきそうだがな。


 話が逸れたか。

 要するに、八十点台までは勉強に費やした時間に比例して伸び代が大きいということだ。

 問題はそこから先、八十点を九十点に、九十点を百点に近づけていくプロセスは全体的に伸び代が少ない上、基礎を応用する力が求められる。つまり、暗記に近い手法が通用しなくなってくるという話だった。


 一旦は休憩時間ということにして、白雪が席を離れている間、俺は自作の模擬試験に記された丸文字をひたすら眺めていた。

 八十点の壁には到達できたが、白雪希美と勝負するのなら「そこから先」に行かなければ、おそらく話にならないだろう。

 あるいは白雪希美の苦手な教科をピンポイントで割り出してそれを狙い撃つ手段もあるが、白雪希美の苦手教科が、白雪祈里の得意教科である保証はどこにもない。


 そして、残りの時間にも余裕はない。

 頑張ってくれている分、白雪には申し訳ない限りなのだが、このまま満遍なく全教科に手をつけていくスタイルでは、とても追いつけない。

 特に数学がウィークポイントだ。俺もあまり得意じゃないから偉そうなことはいえんが、白雪が唯一、八十点台を取れない教科がそれだった。


「八十点を九十点に、九十点を百点に、か……」

「なに難しそうな顔してんの、京介?」

「……藤堂か、驚かせるな」

「やー、ごめんごめん。私も中間試験近いから勉強しとかないとなーと思ってさ。そしたら京介が渋い顔してるんだもん」


 藪から棒に俺の顔を覗き込んできた藤堂は、けらけらと笑いながらそんなことを宣ってきたが、結構驚かされたんだぞこっちは。


「で、なんの話?」

「……そうだな、八十点を九十点、百点にするならどうするかって話だ」

「まず八十点取るのが難しくない? そこから先なんてほとんど京介の世界でしょ」


 藤堂のやつが俺をなんだと思ってるのかはさておくとしても、言っていることは確かだ。

 時間さえかければ誰でも俺と同じところに来られるとまではいわないが、俺が勉強でここまで上り詰めてきたのは相応に時間というコストを費やしてきたからに他ならない。

 九十点や百点というのはそういう世界だ。そこへ更に上乗せされるように、センスの類も要求されてくるからタチが悪い。


「お前風にいえば、そうだな……ギターの才能はあるが、周りに合わせるのが難しいタイプに、バンドでのギターを教えるならどうするかって話だ」


 例えが回りくどいというかわかりづらいが、概ねこんな感じではあるだろう。

 ソロでどれだけ上手くなっても、バンドでパフォーマンスを発揮するためにはまた別の努力や才能が要求される。

 八十点を九十点に引き上げるというのは、そういう世界だ。案外勉強している以外のところに引き出しが眠っていたりする、複雑怪奇な領域。


 だからこそ、学習塾やら予備校やらの商売は成り立ってるんだろう。

 もっとも、現場は講師にしろ生徒にしろ簡単に九十点や百点に到達できる方法があるなら教えてほしいと嘆いてるかもしれないが。

 膨大な時間をかける、以外の方法でこのギャップを埋める方法があるなら、俺だって教えてほしいぐらいだからな。


「んー、よくわかんないけど、私が同じ立場だったらひたすら周りの音聴いてそれに合わせるかなあ……人前に慣れること、皆と合奏すること……そうだなぁ、とにかくテンポを合わせることを意識するかも」

「そうか……」

「一人じゃ弾けるし才能あるんでしょ? なら基礎はできてるってことだし、あとは合わせるだけじゃん」


 同じようにやってれば同じようにできるよ、と、藤堂はそれを微塵も疑っていないような、きょとんとした顔で言ってのける。

 そうなると、白雪の得手不得手を更に細分化した上で、応用問題を中心に取り組んでいく、のが最善だろうか。

 藤堂が言った通り、今の白雪は「基礎ができている」段階だ。絞り込んで、応用のコツを掴ませることができれば、目的には大きく近づいてくれるだろう。


「……ありがとう、参考になった」

「んー、それならよかったかな。なにやってるのかわかんないけど頑張ってね、京介!」

「……頑張るのは俺の方じゃないんだがな」


 図書室ではお静かに、とばかりに図書委員の先輩から冷たい視線をもらった藤堂は親指を立てて、そそくさと奥の方に引っ込んでいく。

 そうだ、白雪希美への勝利条件は、全科目で勝つことじゃない。

 一教科でも勝てればいいのなら、可能性をその一教科に集約した上で他は全部捨てるぐらいの覚悟で臨んだ方がいいのだろう。


 もちろん、白雪本人がそれは嫌だと言うのなら全教科を満遍なく鍛えていく今の方針を継続するつもりだが、果たして。

 そんな具合にふむ、と顎に指をやって考えているときだった。

 なにか肩の辺りに視線を感じるな、と思って振り向いたら、本棚に隠れていた白雪が膨れっ面でこっちを見ている姿が見える。


 いや白雪、前に藤堂と友達になっただろ。

 変なところで沸点が低いというかヘソを曲げる白雪に苦笑しつつ、俺はもう終わったぞ、とばかりに肩を竦めてみせる。

 とてとてと歩いてきた白雪が、背中から俺の肩を抱くように腕を回してきたことはもう語るまい。背中に柔らかくあたたかい感触を覚えるのも忘れろ、俺。


「……そういうわけだ、白雪」

「……むぅ……」

「これからは応用問題を中心にやって、白雪の得意なことと苦手なことを細分化していこうと思う……って、聞いてるか白雪」

「……き、聞いて、ます……でも……むぅ……」


 これが独占欲というやつなのだろうか。

 すっかりむくれてしまった白雪を宥めるように、俺はしばらくされるがままになっていた。

 背中に柔らかく温かいものがさっきよりも強く押し付けられているのは多分気のせいだ。いや絶対に気のせいだ、そうに違いない。


 当分は勉強どころじゃなさそうだし今日は切り上げてもいいのかもしれないな、などとそんなことを現実逃避のように頭の片隅に思い浮かべながら、俺は白雪の答案をファイリングしていく。

 俺をあすなろ抱きしても満足し足りないのか、肩に頬が擦り寄せられる感覚が妙にむず痒いというかなんというか。

 どこを見ればいいのやらとばかりに図書委員の先輩が座っているカウンターを見れば、うんざりしたような表情で露骨に視線を逸らされた始末だ。色々誤解されている。


 まあ、とにかくだ。

 打倒白雪希美に向けて、一つ具体的な光明がさしてきたことは大きな収穫だったんじゃなかろうか。

 あとは白雪が八十点を九十点に変える力があることを信じて、より実践的にアシストし続けるだけだ。


 ただ、その「だけ」が一番難しいんだがな、これが。

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