第9話 いのりじぇらしー
そんなこんなで果たして放課後を迎えた俺がどんな顔をしているのか、鏡を見るのが怖かった。今日だけでやたらと疲れたのは、気のせいではあるまい。
ストレスの原因になる、日常に対する劇的な変化といえば、やはり白雪と一緒にいることだが、それが負担になっているかどうかでいえば……どうなんだろうな。
いきなり恋人から始めようとする、距離感のバグった異性と過ごした経験は今までの人生で一度もない。あるやつの方が少数派だと思う。
ただ、それが俺の中で嫌かどうか、あるいは白雪祈里という存在を遠ざけたいかどうかについては、全く繋がらないということだけは確信できる。
理由はわからん。
直感頼みだなんて、お前らしくないぞといわれればそれまでだが、どちらにしても白雪と一緒にいることで、居心地の悪さだとかそういう類のものは感じていないことだけは確かだった。
事実として、結構振り回されてはいるんだがな。あとはバグった距離感にさえ慣れてしまえば……いや、あれに慣れるのもどうなんだろうな。
自問自答してみるが、答えは出ない。
だが、それも当然だろう。そもそも俺と白雪は会って二週間だ。
友人関係が結ばれた経緯は少々、というかかなり特殊だとはいえ、会って二週間しか経ってない上にお互いのこともあまり知らないような相手の好悪なんて、判断しようもない。
第一印象が余程最悪だったとかならわからないでもないが、白雪の場合はなんというか特殊すぎて、いいとか悪いとか、そういう区分ができないんだよ。
大して面識もない相手に初手から「恋人になってほしい」と言われてみろ、嬉しいとかより先に、どうして、の方が絶対先に来るぞ。
だが、二週間という時間を過ごしてわかったこともある。
勉強用具一式を学生鞄にしまい込み、俺はクラスの端っこの方にある白雪の席に視線を向ける。読みかけの、紙製のブックカバーに覆われているが恐らくはライトノベルだと思われるものに栞を挟んで、物憂げにふぅ、と小さく息をつく彼女がそこにいた。
なんというか、まあ、あれだ。距離感が多少というかかなりバグってるのと極端に気弱なだけで、本質的に白雪は変わり者の類ではないということだ。
「……ぁ、ぇ……えっと……九重君、ま、待たせちゃいましたか……?」
「構わない、俺も今終わったところだ」
「……な、なら……よかった、です……」
ラノベを学生鞄に収めた白雪は、ほっとしたようにそう言って席から立ち上がる。
白雪と友達になってからここ二週間、いつも一人で歩いていた帰り道は、二人で歩くそれに様変わりしていた。
どっちかが言い出したわけじゃないが、自然と放課後は白雪がラノベをキリのいいとこまで読み終わるのを待ってから一緒に帰るのが、言葉なく交わされた約束のようなものになっていたのだ。
「面白いのか、それ」
「……は、はい……面白いです、よ……」
「そうか……」
ラノベを読むのは俺と白雪の共通項だが、そこに違いがあるとすれば、俺が最近のものについてはさっぱりだってとこだろう。
どこがどういう風に面白いのか、とか聞いても他人事だからな。ネタバレを踏んでも尚面白いといえるタイプの名作がこの世にないとはいわないが、少なくとも俺は知らん作品のネタバレだけ踏んでも面白くないと思う。
それは白雪も同じなのか、共通項を抱えていながらも合同ではなく相似形な俺たちは、あまり多くを語り合わない。
ただぴたり、と腕に抱きついてくる白雪の温もりだけが、あるいは俺が白雪に与えているのかもしれないそれが、今のところは放課後の共通言語だった。
言葉少なく、ただぴったりとくっついて下駄箱まで廊下を歩いていても、俺たちがこれといって気にかけられることがないのは、やはり白雪希美の存在がそれだけ強烈だからだろうか。
ラブレターを破り捨てながら涙と共に走り去っていく長身の男子生徒を横目に見遣って、そんなことを考える。
放課後、誰かが白雪希美に告白して玉砕するのは、もはや日常茶飯事といえる光景になっていた。
肝心の白雪希美がどんな容姿でどんな性格をしているのかは生憎全く知らない──双子なんだから多分白雪とは似てるんだろう──が、多くのハイスペック男子が散っていくのを見るのはまるで、「竹取物語」か、あるいは「かぐや姫」のようだ。
もっとも、無理難題をふっかけたりはしてないんだろうが。もしそうだとしたら、すれ違った玉砕勢は涙を流すよりも先に首を捻っているだろう。
「おー、珍しいね京介!」
能天気な声が耳朶に触れたのは、かといって白雪に姉がどんなやつなのか、なんて無理やり聞くのも野暮だろうからな、と薄らぼんやりと考えていたときだった。
「藤堂か」
「まさかとは思うけど、京介も玉砕待ち? すごいよねー、四組の白雪さん。誰が本命かって話題で持ちきりだもん」
「だろうな」
関心がなくたって、こうして白雪希美に振られたのであろうやつの実例を毎日目にしているんだ、嫌でもその名前は脳内に刻まれるだろうよ。
というか、白雪希美は一年四組だったのか。
三木谷と同じクラスだな。だからなんだってわけじゃないが。
「翔ももう告ってたりするのかな?」
「あいつは当事者になるより、外から騒ぎを見て楽しむタイプだろう」
「そりゃそっかー、まあ仮に付き合ってもすぐ別れそうだしね」
身も蓋も容赦もないな。
肩を竦めて、やれやれ、とばかりに首を振る藤堂の一言に、一瞬だけ同情心が湧いてきたが、今頃白雪希美の本命トトカルチョとかやってそうなのが俺の知る三木谷翔という男だ。
なんだろうな、そう考えると途端に同情する気が三割ぐらい失せてくる。日頃の行いって大事だよな、全く。
「藤堂はいつものライブハウスか」
「うん、合わせの練習ー」
「そうか」
「チケット買ってくれそうな友達もできたし、しばらくはノルマに怯えなくてもいいから高校生活万々歳だよ!」
「それはなによりだ」
昔、藤堂がどうしてもチケットが捌けないと泣きつかれて何度か買ってやった記憶があるが、金欠の学生には結構な痛手だったことを覚えている。
そういう意味じゃ、しばらく俺にお鉢が回ってこなさそうなのは幸運といえるのかもしれないな。
これを足がかりに、駄菓子棒を主食にしなくていい、立派なロックスターになってほしいもんだ。俺の昼飯よりも貧相なこいつの主食を見ていると、心の底からそう思う。
「たまには京介もちゃんとライブ来てよね、音楽わかんないなら後ろの方で壁にもたれかかって腕組みでもしてればわかってる感出るからさー」
「そんなんでいいのかお前の音楽は」
「京介、人見知りでしょ? ならライブハウスの空気に慣れるとこから始めないと」
至極真っ当な説教をされた。
確かに俺は人と積極的に関わろうとするタイプでもなければ、こいつのライブを見に行った時も最前列で地蔵と化していた人間だが。
最終的に私たちのロックをわかってくれればいいからさ、と冗談めかして藤堂は笑う。ベクトルは真逆だが、夢を追いかけているという意味では、俺とあいつは同志のようなものだ。
頑張れよ、と心の中で呟いた声は、どこかに届くだろうか。
天でも心でもどこでもいいから、そうなればいいと、根拠もなくそう思った。
しかし、中学の頃はよく駄弁ってたもんだが、最近は藤堂とめっきり話す機会が減ったな、と、そんなことを思っていたら。
「……」
制服の裾を引っ張られて背後を振り返れば、そこには雨の日に捨てられた子犬みたいな顔をした、白雪の姿があった。もしかしなくてもこれは、やらかしたのだろうか、俺は。
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