お前は死んで私は生き返る
ゆにろく
お前は死んで、生き返る
私、
高校という環境では、私は静かなグループに所属していて、美奈は喧しいグループに所属している。趣味や性格も反対だ。私は読書が好きだが、美奈が本を読んでいるのは国語の時間にしか見たことがない。美奈は運動部だが、私は体育の時間でしか身体を滅多に動かさない。
そんな対極な人間なのに、家は近いし、母親同士の仲は良い。あと、頭の良さだけはどんぐりの背比べだから、同じ高校になってしまった。
やっぱり、通学路で会うこともしばしばあって、そのたびなんとも言えない気まずさが漂う。「好きの反対は無関心」なんていうが、私にとっては無関心にまでいかないギリギリのラインが非常に心地悪かった。
と、ここまでなら疎遠という関係で終わるのだが、そうではない。
周りから見れば意外な組み合わせが交流を持っているように見える。1年前、高1だった頃のある日、「御白さんてさ、美奈と幼馴染なんでしょ? 仲良いの?」みたいなことをあんまり絡まれたくない感じのルックスの人間に言われた。めんどくさくなって「別に……、仲良くなんかないけど?」なんて強めに言ってしまったことがきっかけで、
「は? 何それ」
「……いや、何? 別に家が近いだけでしょ」
二人の間には完全に亀裂が入った。
原因は私にある。かといって謝る気にもなれなかった。実際、仲良くはないと思うし、相容れない人間だと思う。私はこの一件から美奈を、「嫌いな人間」としてカテゴライズした。俯瞰して考えると、逆ギレ丸出しで情けない事この上ない話だ。
それからは、互いを完全に無視。それまでは親の前だと「仲良い風」を演じたりしたこともあったが、それすらしなくなった。
思い返せば、幼い頃は仲が良かった。今となっては信じがたいが、記憶があるのだから仕方ない。確か小学生の頃は結構喋っていた気がする。中学入学あたりから、だんだんソリが合わなくなったんだと思う。
仲が良かった頃の思い出で印象的なのは、小学生の頃に二人で夏祭りに行ったことだ。小さな浴衣を着て、手を繋いで境内や出店を練り歩いた。
魅力的な店がずらりと並ぶ中、私はなぜか金魚掬いに熱中した。お小遣いを限界まで使って金魚を手に入れようとした。ポイと呼ばれる薄い紙を貼った金魚を掬うアレは、なんどもなんども破ける。結局、金魚は手に入らず、自分の手が水浸しになって、ちゃっちい財布からは貴重なお小遣いが消えて行った。涙目になって、酷く悲しい思いをした記憶がある。
……考えてみれば、二人仲良く夏祭りに行った「印象的な思い出」であっても、「楽しい思い出」ではなかったことに気づく。パッとでてくる記憶がどうしてこうも微妙なのか。結局、今に至るような前兆は遥か昔から存在していたように思えてならない。本当に仲良くしてたんだっけ?
いまとなっては確認しようがない。
そういうことを思って私は、佐原美奈の
――ひと月前、佐原美奈は死んだ。
そして、私も死にかけて、
◆
あの日は、一生忘れない。最悪の一日。
不自然なほど晴れていて、うざったい日だった。
まず、朝寝坊をした。アラームが壊れていたのだ。朝食は諦めて、牛乳だけでも飲もうと思った。何を思ったかパックを持つ手に力が入り、ミルクは爆発した。悪態をつきながら着替え、ブラウスのボタンが解れていることに気が付いた。
もうこの時点から「最悪の一日」であることを察したが、まだまだ不運は続く。
家を出ると美奈と鉢合わせたのだ。いつも登校時間をずらしているから会わないはずが、しくじった。挨拶も会釈もなしに通学路を行く。遠回りも近道もないその道は、私を美奈から逃がしてはくれなかった。
不自然に歩調を緩めたり早めたり、ため息が混ざったり。そもそも学校自体、別に好きじゃないのに、そこへ行くまでに嫌な思いをするとはなんなのか。ここまでの不運が吹っ飛ぶくらいには気分が悪かった。
不断の努力によって、美奈と並ぶことなく歩んでいた私だったが、それにも限界が訪れた。横断歩道に備え付けられた信号は無慈悲に二人を押し留める。私は顔を伏せ気味にして、信号が変わるのを待った。美奈がどういう仕草で、どんな表情で1m横に立っていたかは知らない。
信号が変わる。水中から浮上して息を吸うような気持ちになって顔を上げて歩きだす。散々だ、早く学校に着かないだろうか。
そんで、数秒後。トラックに二人まとめて仲良く撥ねられた。
赤信号を、直進するバカみたいな車にぶっ飛ばされ、宙を舞い、重力によって道路にたたきつけられた。痛みは強く感じていたが、現実感がなくて「痛いのはわかる」という自分を鳥瞰しているかのような、よくわからない感覚があって。そして、死ぬかもしれないという小さな絶望を抱えて意識を失った。
美奈の顔は、今日会ってから一度も見ないままだった。
「……ん」
気が付くと、白い天井の下にいた。ベッドは家より固くて。身動ぎした直後、体に強烈な電流が走り、唸った。身体中が痛い。
そこは病院だった。
目を覚ましてすぐ看護師と親が飛んできた。
その後の会話で自分は、奇跡的に助かったのだということを知った。軽症ではなく、死ぬかギリギリの重症だったらしい。三途の川とやらを夢の中でみることもなかったが、どうやら三途の川の中ほどまでは、ざぶざぶと歩んでいたようだ。
「ぞ、臓器移植……ですか……?」
私の肉体は激しい衝撃によってダメになった。その結果、私の身体は他人のものによって再構成されたらしい。自分だけの身体では既になくなって、誰かの物によって生かされている。
誰かは知らないが感謝した。
きっと、その人がいなければ私は死んでいた。
「え。み、美奈……の?」
事故の時、トラックは横並びの二人に対して私側から突っ込んできた。だから肉体的なダメージは私の方が深刻だったそうだ。しかし、皮肉な話で、私をクッションにして車の直撃を避けたにも関わらず美奈は亡くなり、私は助かって後遺症もほとんど残らなかった。
撥ねられた後、私は足から地面にぶつかり、美奈は頭を強かにコンクリートにぶつけたことが命運を分けた。結果、美奈の脳は致命的な損傷を受け、事故からすぐに息を引き取ったそうだ。
私の方は脳に異常はないものの、一刻の猶予もない状態だった。
美奈はドナーの意思表示をしていて──意外だった──美奈の両親は幼い頃から知る私を救うために、蘇生する見込みのない美奈の臓器を使うことを決心した。
──きっと美奈も望まぬ形で私は生かされた。
流石に、今の状況に対して嫌悪感は抱かない。美奈がいくら苦手で嫌いでも、私は美奈に生かされた。だから、「美奈の臓器で生きてくなんて嫌だ」なんて馬鹿はいわない。
ただ、美奈はきっと一人助かった私を恨んでいるはずだ。なんで自分なんだと。道連れになれば良かったのに、とすら思っているかもしれない。
だから、入院して数ヶ月、ようやく退院できた私は美奈の墓参りへ行ったのだった。それで、この心のモヤモヤが晴れるわけでもなかったが、幾分かマシになる気がした。私は助かったのに、両手をあげて喜ぶような気持ちにはなれない。そりゃ、横にいた美奈が死んでるのだから、心底嬉しいなんて気になる方がおかしいのかもしれないが、それでもどこか、じめじめとした感情が心の中でぐるぐると渦を巻いていた。
◆
久々に学校へ行くと、多くの人から心配された。友人達は、温かく私を迎え入れる。私の居場所は数か月を経っても、ちゃんとそこにあったのだ――勘違いして欲しくないが、お見舞いに来てくれた友人はもちろんいた。
私がいない間、どんなことがあっただの、病院での生活だの積もる話があった。ひとしきり話終えたとき、ふと美奈のいたグループに目をやる。特に気になることがあったわけでもない。本当に、何と無しにだ。彼女らは依然と変わらず騒がしかった。その光景をみて、チクりと胸が痛んだ。
痛んだ。
──なんで?
自分でもよくわからなかった。美奈の葬式から2ヶ月は経っているし、未だにショックを引きずり、人が変わったように大人しくなる方が異常だろう。というか、私には関係ないことだ。縁もないし、名前すらあやふやな人達の喜怒哀楽に何故私が一憂一喜しなければならないのか。なのに、どうにも胸がざわつく感じがした。
「御白さん? 体調悪いの?」
「え?」
仲良しのサエちゃんに声を掛けられ、我に返る。
「あ、いや、大丈夫」
「無理はしないでね」
「うん。あ、そうだノート見せてもらって良い?」
私はそうして、日常へ戻っていった。
何も変わらない日常。
なのに、心が落ち着かない。
それもそのはず、変わっていたのは私の方だったんだから。
私はその変化にまだ気づかなかった。
◆
退院から3日目の晩、私は夢を見た。
そこは遊園地というか、なんかのテーマパークだった。愛くるしいマスコットキャラクターもいた。ただ、そのキャラクターは自分よりもかなり大きくてちょっと驚いた。
そこで、自分が普段より小さいことに気が付く。これは、夢だと確信した。いわゆる明晰夢ってやつだろうか。
自分の意識はあるのに、体は小さい。まるで、幼い自分に憑依したような感じ。
……いや、やっぱり憑依という表現は正しくない。なぜなら、私はとても楽しい気持ちに包まれているし、自分の意思で身体は動かないからだ。乗っ取られているのは自分のように思えた。
高校生の自分が持つ冷静さと、当時の私が享受していた無垢な幸福感。板挟みにされた私の情緒はそれこそジェットコースターさながらだった。
私はそんな昨晩の夢を想起しながら、朝食のパンを口にする。
確かそこからは物凄いスピードで場面を変えていった。気づくとジェットコースターに乗っていて、突如メリーゴーランドに変わる。気づけば観覧車に乗っていた。
まるで走馬灯のようだった。
「叶子、新聞取ってくれ」
「はーい」
私は、自分側に置かれていた新聞を取り、向かいに座る父へ手渡す。
――なんだったんだろうなぁ、あの夢。
昨夜の
――私の記憶力って思ったよりすごいもんだなぁ……。
「お父さん、私が子供の頃に行った遊園地とか、テーマパークってどこがあったっけ?」
「今も子供だろう」
「……そうだけど」
「冗談。そうだな……デズニー、富士9に……、あとは、帰省ついでに九州のでっかいとこも行ったか。確か、小学生の間は年に1回くらいは連れて行ったろう」
「だよね。なんか、こう印象的なのあったりする?」
「印象的?」
「その、なんか思い出深いみたいな」
「いやぁ、そうだなぁ。しいて言うなら初めて連れてったデズニーじゃないか? 凄い喜んでたしなぁ」
夢でみたマスコットは、デズニーの物ではなかった。一体いつ訪れたテーマパークだったのか。
……そういえば、父も母も夢には登場しなかったことに気づく。手を繋いでいた感覚はあったから、当時の私は華々しいアトラクションに目が釘付けだったんだろう。
ちなみに今の私は、テーマパークなんかほとんど興味がない。クラスには死ぬほどバイトして、月1でデズニーに行く人もいるらしいが、そんなにいいものだろうか。別にアトラクションなんか本屋と違ってラインナップが頻繁に変わるものでもないだろうに。
――でも、美奈はそういうテーマパークが好きだった。
「……へ?」
「? どうした叶子」
「え、ううん、いやなんでもない。……あ、そうだ、今日日直なんだ! 行ってきます!」
私は、頭がぐちゃぐちゃになるのを感じて、家を飛び出した。
美奈。
美奈がテーマパークを好きかどうかなんて知らなかった。なのに、なぜか
いや、でもよくよく考えてみれば美奈はテーマパークが好きそうだ。そんな性格をしていたから。きっと私とは正反対だ。だから、勝手にそういうイメージが私の中に出来ていたってことだろう。
もしかすると、小さい頃美奈とどこかテーマパークへ行ったのかもしれない。
――いや、違う違う。そもそも美奈が出てくるのがおかしいんだよ。
私が見ていたのはテーマパークの夢。美奈は何にも関係ない。
なんで美奈が出てくるんだ。
無意識的に、一人助かってしまった罪悪感で美奈が頭に浮かんでしまうのだろうか。でも、そういうのって前触れが合ったりするものじゃないのか。そんな日常の中でチラつくものか?
「なんなの……ホント」
できるだけ考えないようにしていた女が、自分の制御なしに頭に浮かぶなんてストレスでしかないのだ。
美奈のことは考えたくない。それは彼女が生きてても死んでても同じことだった。
◆
また夢をみた。
それは水族館の夢。色とりどりの魚が好き勝手に泳いでいた。
やっぱり、夢の中の私は目線が低くて、前回同様に私の身体は自分の意思では動かない。記憶のトレース。
幸せな感情が心を満たしていた。きっと当時はこんな気持ちだったんだろう。
水族館は好き。
ちょっと暗くて、静かで。魚たちは忙しそうに泳ぎ回っている。せわしない人を見ると自分は冷静になれるみたいなもので、魚の乱舞を見ていると自然と心が落ち着く。そんな場所が水族館。今も昔もずっと好きだ。だから、前回の遊園地と違ってどこの水族館であるかはすぐに気が付いた。家から電車で30分。昔から何度も足を運んでいる場所だ。
と、突然肩を叩かれる。私は振り返った――もちろん「私」の意思ではなく「当時の私」の意思だ。
自分の肩を叩いた少女を見て私の頭は真っ白になった。
――そこには幼い
血の気が引く。しかし、当時の記憶に引っ張られて多幸感も押し寄せる。
……当時の記憶。これは本当に「私」の当時の記憶なのか。
幼い叶子は、横に立ち水槽を眺めていた。私の視点も水槽に移る。ガラスの先では魚が群れを成して自由に泳いでいる。しかし、そんなことすぐにどうでも良くなった。
分厚いガラスに反射して映っていたのは満面の笑みを浮かべる
◆
「……っ」
アラームに起こされ、私は奇妙な夢から解放される。
「……美奈の記憶……?」
私はふと、お腹に手を当てる。
ここには、元々私のではないものが詰まっている。美奈の身体。美奈の一部。
――そのせいだって言うの?
あり得るのか、そんなことが。
フィクションの作品でなら聞いたことがある。臓器移植で記憶がどうこう。でも、普通に考えたらあり得ないじゃないか。記憶をつかさどるのは脳だ。もうずっと昔から医学的に証明された事実。
臓器に記憶が宿るなんてことはあり得ない。
……そうだ。夢は深層心理に深く関わる。表層意識に浮かび上がらない感情は夢で発散される。私が無意識に抱える、美奈への罪悪感、そして美奈への嫌悪。そういう発散されない複雑な感情たちが、こういう形で夢として現れているだけだ。
――でも。
いや、そうに違いない。ただの夢だ。
――それにしては鮮明すぎる。
そんなわけない。ただの夢だ。
しかし、この不思議な夢は翌々日にまた、私の休眠中の頭を乗っ取った。次は1週間後、その次は……。あまりに非科学的だが、信じざるを得なかった。
――美奈の記憶。
わかりやすい周期などなく、不定期に、私のことなどお構いなしに襲い掛かる。そして、一方的に記憶を押し付けるのだ。
私は生前以上に美奈のことを考える羽目になってしまった。嫌いな人間を思い出すことは不快感を伴う。事故の一件もあるので、なおのこと。やっぱりストレスだった。
でも、固く結ばれた紐が解けていくような、そんな感情があった。欠片のように小さい感情だが、確かにあった。私は頭を振って、それをかき消す。認めたくなかったからだ。
◆
「……はぁ」
朝いちばんに、ため息が出る。
無論、美奈の夢だ。この現象はもう20回近く発生し、美奈が夢に出てくることには慣れた。うん、そんなことでため息はつかない。今日のため息はその夢の内容にあった。昨晩のは決して良い光景ではなかったのだ。
多分、良い悪いに関わらず美奈にとって「印象的」だった思い出が夢に現れているんだと思う。今回は悪い方。
美奈が父親に怒られる記憶。だが、自分が美奈の中に入っているのだから、私が怒られているようなもの。美奈が何をしたのかもしらない。
謂れのない罪で、顔しか知らないような男性にキツイ言葉を浴びせられる。これほど嫌なものがあるだろうか。加えて美奈の泣き出しそうな感情が私を襲う、ダブルパンチ。
私は、基本的に優等生でいることを心掛けている。なぜなら人から指図されたり説教されたりするのが一番嫌いだからだ。
だから、今日の夢はとびっきりに最悪で、朝から嫌な気分になるのは至極当然と言える。
「どうしたの、御白さん?」
学校に行っても気分は晴れなかった。
「あ、えーと、ちょっといやーな夢みちゃって」
「夢? どんなの? 何かに襲われちゃうとか?」
「あー、そういうバイオレンスなのじゃなくて……」
「うーん……。あ、『嫌な人』が出てきたとか?」
「……まあ、そんな感じか――」
――別に……、仲良くなんかないけど?
――は? 何それ。
息が。
つまった。
「?」
小さく、そして、あくまで自然に深呼吸をした。
「……あ、いや、うん。まぁ、その変な夢だったんだ」
フラッシュバックした記憶は私の頭を強く揺さぶっていた。
――まるで後悔しているみたいじゃないか。
だから、美奈のことは嫌いなんだって。私は嫌いなんだ。死んでようが死んでいまいがそれは変わらない。
死んだ人間を嫌いというのは不謹慎みたいな風潮が嫌いだ。死んでくれたから別に嫌いじゃなくなったって方がよっぽど残酷だと思う。
だから、私はずっと美奈が嫌いだ。
◆
最近気づいたのは、美奈の記憶を見る「目線」が徐々に高くなっていることだった。夢の中の美奈は成長している。つまり、だんだんと記憶が新しいものになっているということだった。
じゃあ、きっと終わりが来る。私はそう思った。
きっと美奈劇場の最後は、青信号とトラックによって締めくくられる。それで、ようやく美奈から解放されるのだ。
早く終わって欲しい。そうじゃないと何かがおかしくなりそうで。その何かはわからない。とにかく、これ以上、美奈の記憶を見続けたくなかったのだ。
その日の夢は、美奈が小学校低学年の時のものだった。運動会の徒競走で1位を取ったという、私が一度も体験することなかった部類の思い出。美奈の記憶の中で、当時の私は、自分のことのように喜んでいた。
過去の美奈を通して、過去の自分を見るのはとても奇妙なものだ。
――こんなにはしゃいでたんだ。私。
高校になっても美奈は足が速くて、リレーを走っていた気がする。きっと、走り終わると、イベント大好きなクラスメイト達は美奈を取り囲んでいたんだろう。
想像だ。
私は美奈の所在など全く気にせず、同類の友達と喋ったり、汗かくの嫌だなとか思ったり、前日に読んでた小説のオチについて、ぼーっと考え耽っていたから。
あまりに今と違う自分を――もちろん、もう10年近く前の自分なので当然だが――見続けるのも、どうにも気分が良いものではなかった。
◆
――これは……。
その日の晩見た夢は、美奈が小学4年生の時の記憶だった。別に教室だとかが映ったわけではない。なのになぜ、私が美奈の学年を特定できたかと言うと。
「美奈ちゃん! 楽しみだね、
当時の私は浴衣を着ていて、美奈に、つまり「今の私」に向け、満面の笑みを浮かべそう言った。
夏祭り。
この日は今の私にとっても、なぜか印象深く記憶に刻まれている。
だが、今日は決して良い日ではないことを私は知っている。
「ねぇ、叶子ちゃんは何食べたいの?」
美奈が言う。私からすると、思ってもない言葉が口から出て、過去の自分と喋ることになるので少し気持ち悪い。
「うーん、色々食べたいけどねぇー、金魚すくいしたい!」
「金魚すくい?」
「うん! いっぱい持って帰るの!」
美奈の当時の感情が私を楽しい気分にさせる。でも、この後のことを知っている私からすれば楽しい要素なんてどこにもなくて。楽しい気持ちと、虚しい気持ちが私の中でせめぎ合っている。
「でも、そんなに金魚取れるのかなぁ」
「大丈夫! みててねー!」
当時の私が走り出す。
――1匹も取れんないんだよ。昔の私。
このあと、私は一匹も金魚を取れないまま手元をびしゃびしゃにする。
……よくよく考えれば、この記憶は美奈にとってどこが印象的だったんだろうか。私が金魚を取り損ねて、涙目になっている中、美奈は楽しめたんだろうか。それとも、私が泣き出して、それが印象的だったとか?
いや、そんな大泣きした記憶はない。金魚を取れなくて、そのまま諦めたんだったか。
私の目の前で、幼き叶子はどんどんポイをダメにしていった。お小遣いが減っていき、金魚を掬うときの掛け声も弱いものに変わっていく。
自分の情けないところを第三者目線で見るのは、幼い頃とはいえ少し恥ずかしい。
そして、記憶の通りになった。
「ぐすっ……」
泣く一歩手前の表情を浮かべて、間抜けだった過去の私はこちらへ歩いてきた。
「大丈夫? 叶子ちゃん……」
「……1匹も……取れなかった」
バカだなぁ、と思った。ポイを水にじゃぶじゃぶ付けるから破けるんだよ。だいたい、祭りの序盤でお小遣いを使い切るって計画性もクソもあったもんじゃない。夏祭りは終わってないのに、このあとどうやって楽しむつもり――
そこでふと、ある疑問が湧いた。
――あれ、この後どうなったんだっけ。
やっぱり、そのあとを思い出せない。
「――ちょっと待ってて!」
この言葉は、私の、いや当時の美奈の口から放たれた。
――あれ……?
泣き顔を浮かべる幼い叶子を置いて、美奈は屋台へ向かって進む。そして、100円を屋台のおじさんへ渡した。
「ほい、嬢ちゃん」
美奈はポイを受け取った。
――こんなだっけ。
私は、ただ、美奈の記憶を体験し続ける。少しずつ、閉ざされた記憶がよみがえる。
――あ、そうか。美奈は。
「取れた……っ! 叶子ちゃん! とれたよ!」
美奈は、金魚を掬い、ビニール袋を掲げて叶子の元へ戻っていく。
「うわ、凄い! 凄い! 美奈ちゃん凄い!」
「はい、叶子ちゃん!」
美奈は、叶子へその金魚を手渡した。
――なんで忘れてたんだろう。
「え……、い、いいの!?」
「うん! 叶子ちゃんは大事な友達だからあげる!」
――美奈は、私のために金魚を取ってくれたんだった。
「ありがとう! 美奈ちゃん大好き!」
当時の私は、「私」に飛びついてきた。
無垢な自分を抱きしめている。
心が苦しかった。
なんで私は忘れていたのか。
――いや、きっと無理やりに忘れたんだ。
◆
翌日、私は神社へ行った。そこは、昨日夢でみた夏祭りが開催されていた神社だ。もちろん、今は10月なので夏祭りなんかやっていない。数人の参拝客しかいない。
昨日の夢、いや、当時の思い出がよみがえる。
美奈は私のために金魚を取ってくれて、それが凄い嬉しかった。どう考えたって、取ってもらった金魚が主体の嬉しい思い出なのに、そこが印象的だったはずなのに、大切なところがすっぽりと抜け落ちていた。偶然なんかじゃない。これは私のせいだ。
――無意識に、美奈のことを悪く仕立てあげたんだ。
美奈の苦手意識が、記憶を改竄した。昔から、美奈とはソリが合わなかったっていう事実が欲しくて、私は美奈の気持ちを踏みにじっていた。美奈の優しさをなかったことにした。高1のあれが原因で仲が悪くなったんじゃなくて、「元々そんなに親しくなかったですよ」と自分に言い聞かせるために。
無意識にやっていたことでも最低だ。
私は頭に手をやる。
――本当に美奈のことが嫌いだったの?
私は、もう何が何だかわからなくなっていた。自分の記憶を書き換えて、印象操作をしていたなら、私の気持ちすらわからなくなる。
……正確には気持ちがわからなくなっていたのは、今に始まったことではない。その前兆はあった。
だって、ずっと夢の中に美奈が出てくるのだから。その美奈は、私と離れる前の美奈だ。少なくとも私が好きだった美奈なんだ。徐々に美奈への苦手意識みたいなのが薄れていくのを感じていて、でも昔を思い出したからやっぱり苦手じゃなかったと手のひらを返すのはあまりにみっともないと思った。だから、私は美奈が嫌いだったんだと強く思い込んで、プライドを保とうとした。
それこそが一番みっともないのに。
――美奈は帰ってこない。
美奈は死んだんだから、今更何を変えても意味がないのに。意味がないから、私は何も変えたくなかった。だから必死に思い込んで。
夏祭りの思い出が致命的だった。
私が「美奈へのプラスの感情を、見て見ぬフリをする」という行為を、はっきりと見せつけられたのだから。私は、そういうあさましいことをしているんだと、叩きつけられた気がして。
10月の風は少し肌寒かった。
◆
その日の夢は美奈が12歳の誕生日パーティーに記憶。
12歳の私もそこにいた。
美奈と私と、二人の両親と。
美奈と幼き叶子は楽しそうにケーキを口に運ぶ。
――どこで私は間違えたんだろう。
間違い。
つまりは、疎遠になった関係性が間違いで、今私がみている美奈の記憶の関係性が正解。そう考えてしまっていた。
だって、こんなにも楽しい。当時の美奈は、こんなにも楽しんでいるんだから。
人の記憶は曖昧だ。
美奈の心は今こんなにもわかるのに、私の当時の記憶なんかこれっぽちも思い出せない。
でも、少なくとも。今見ている幼い私の顔はとても楽しそうだった。
きっと今ほど、嘘は上手くない。
◆
「ねぇ、もう勘弁してよ」
土曜の墓地は、とても静かだった。私しか墓参りに来てる人はいなかった。
美奈の墓に線香をあげて、水を変えて、花も供えた。
週末は、ここに来るのが日課になってしまった。
何が何だかわかんない。
何が楽しくて、美奈の墓を綺麗にしてるんだかわかっていない。
明確な目的なんかない。
ここに来て美奈に許しを請おうとも思わないし、あんな夢を見せやがってと罵る気もおきない。自分の気持ちもわからない。
だって美奈は死んだんだ。
ただ、ここが美奈と一番近い場所だから。
もう一度だけ美奈と話せたら。
もし奇跡が起きて話せたとしたら、まず謝るべきなのはわかってるけど、そんな正直になれるかなんかわからなくて。でも何かが変わる気がするから、もう一度だけ話したい。
無理なのは分かってる。だって美奈は死んだから。
夢の記憶はとうとう、中学時代に突入していた。
徐々に離れていく私と美奈。美奈が運動部に入って、私が文化部に入った。
疎遠になった理由はたったそれだけだと思う。クラスが違くて部活が違くて、友達の性格も違う。交流がだんだんと薄くなっていく。
ただ一個気づいたのは、美奈は視線をちょくちょく私に送っていることだった。それに私は気づかない。気づかなかったんだよね。
――どうだか。
離れて楽しそうにしてる美奈をみてやきもちでも焼いてたんじゃないか。離れていくキラキラした美奈をみて一人で拗ねていただけじゃないか。
それで、私は
たった4年前だ。なのに思い出せない。
少なくとも私が気づかなかったとき美奈は寂しく感じていた。さびしく感じていたんだ。
そんな気持ちにさせたのは私だ。
「ねぇ美奈。死んだ先に天国とか地獄はあった? 少なくとも私は地獄に堕ちたよ」
今日は一段と寒い。
もうじき、冬が来る。
◆
苦痛が続いた。
美奈の夢を見る度。
最近は、叶子が夢に姿を現わすことが少なくなっていた。
当然だ。
この頃の美奈の印象的な思い出に私は関わっていないから。
ただ、美奈という人間が生きていて、嬉しかったり悲しかったり感じていたこと。そこに私の影は全くなかったこと。
それを淡々と頭に流し込まれる。
もし何が違っていればそこに私がいたかもしれないこと。
輝かしい記憶の延長であったなら、そこにいたということ。
苦しい。
私はきっとそこにいたかったんだよ。
少なくとも、今はそう思う。
そして、怖い。
もうすぐそこまで
中学を卒業してしまえば。
◆
とうとうその日がやってきた。
舞台は高校の教室。
――そうだよね。
――これが印象的じゃないわけがないんだ。
高校1年。
――いつか来るのはわかっていた。
何の変哲もない日常。
そんな中で、ただただ脆い「それ」が壊れた日。
私が自分勝手に壊した日。
――もうやめてよ。
美奈の視線の先には、私がいた。
「御白さんてさ、美奈と幼馴染なんでしょ? 仲良いの?」
美奈の友人が叶子に問う。
それを聞いた美奈の心はざわついていた。
――もうやめてくれ。
過去の私が一度、こちらを見て口を開く。
――それ以上言うな。
「別に……、仲良くなんかないけど?」
過去は変わらない。
もう二度と変わらない。
失ったものは帰ってこない。
「は? 何それ」
「……いや、何? 別に家が近いだけでしょ」
胸が痛いのは、当時の美奈の気持ちなのか、私の気持ちなのかわからなかった。
ただただ、苦しかった。
当時はこんな気持ちじゃなかった。
死んでしまいたかった。どこから高い所から身を投げて死んでしまいたかった。
とっびきり痛くても良いから死にたかった。
だれかに殺して欲しかった。それこそ美奈にボコボコにぶん殴られて鋭利な刃物でズタズタにされたかった。
死にたい。
でも、そんなこと許されない。
だって美奈が助けてくれた命なんだから。
美奈にどう思われていようが、そんなことは許されない。
私は生きなきゃいけない。
この奇妙な夢さえなければこんなに苦しまずに済んだのに。きっと月日がたてば消えていくであろう高校時代の小さな傷だったのに。
私はこの日を忘れることはできない。一生の後悔と共にこの日を反芻し続ける。
もう私は嘘を付けない。
見て見ぬフリなんかできないんだ。
助けてもらったことを、なかったことになどできない。
忘れてはいけない。
――美奈。
――ごめんね。
夢が覚めても胸が痛くて、一日中泣き続けた。
こんなに胸が痛いのに、それでも私はこれで良かったんだと思える。
こうやって苦しむことがこの地獄が私にとってはなにより尊い痛みに思えた。
きっと美奈は私にとって――。
この痛みだけが美奈との間に残った最後の繋がりだった。
◇
晴天。
美奈は、家をでた。
その日は運がよかった。
朝見たニュースでやってた星座占いが1位だったし、トーストがいつもよりカリカリに焼けてたし、スマホに来てるメッセージがちょうど7件だったし、欲しかった服がフリマサイトに出品されていた。
こんなに良い日はない。
そんな矢先、家の前で御白叶子に出くわした。
嫌な気持ちになった。
嫌いだ。
叶子なんて嫌いだ。
中学で少し疎遠になっても、いつかどこかでまた仲良くなれるって思ってた。
だって、私達は何もかわっちゃいないんだから。
でも、それを言い出すのがなんだか恥ずかしくて。でもいつかは、また昔のように話せるって思ってた。
そんな折、こいつは私のことを突き放した。
嫌いだ。
学校に向かう足取りが、いつもより重かった。
嫌いじゃなかったんだ《・・・・・・・・》。
嫌いになっただけで。
一度だけ、叶子の方に目をやった。
当然アイツは気づかない。昔からそうだった。
――いつかやり直せたらな。
そんな言葉が、ほんの一握りだけ胸の中にあるのはわかっているけど、私はそんなこと思っていないと自分に言い聞かせる。アイツは嫌いだ。
私も、叶子もきっと折れない。きっと私もアイツも謝らない。そもそも私は悪くないから謝る気はさらさらないし、叶子は悪いとすら思っていないだろう。
だから。
どうせ、アイツとは一生仲直りなんかできやしないんだ。
お前は死んで私は生き返る ゆにろく @shunshun415
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます