放課後こばなしびより
あきの
1.『好きな人って』
「好きな人、って表現、なんだか陳腐だと思わない?」
空も赤らんできた放課後、ふたりきりの教室で京華が指を立てた。
「陳腐……って言われても。好きな人なんだから、好きな人なんじゃないの?」
「それはそうなんだけど。うん、確かにそれはそうだ。それはそうだった」
何を言いたいのか全くもって分からなかった私は、それに困惑で返すと、京華もまた困ったように笑う。
「つまりだよ。私が言いたいのはね、姫芽。慕情を抱く異性に向ける気持ちも、憧れの先輩に向ける気持ちも、仲のいい同性の友達に向ける気持ちも、ぜーんぶ同じ『好きな人』なんじゃないか、ってことだよ」
得意げに鼻を鳴らす京華は、まるで世界の理をひっくり返す大発見をしてしまったように天を仰いだ。
確かに、京華の言い分に間違いはないだろう。
しかし、
「そんなの、みんな分かってることじゃない。好きって気持ちには、色んな種類があるって」
「そう! そうなんだよ、姫芽! なのにさ、みんな分かりきってることなのに、なんでその感情に無理やり同じ名前をつけたんだろうね?」
知らないよ。私じゃなくて、昔の人に聞いてほしい。
だけど、そう、あえていうなら――、
「ふわっとしてるから、じゃない?」
「ふわっと……」
「うん。だって、その人に向けた気持ちがどんな『好き』なのかなんて、自分でも分からなかったりするでしょ?」
「でしょ、って、姫芽はそういう経験があるのかな?」
「あ、いや、これは一般論的な話で……って、今はそういう話じゃないでしょ」
サラッとツッコまれて無駄にドギマギしてしまった私に、「ごめんごめん」と平謝りを投げる京華。
私はそれに苦笑いで返しつつ、話を続けた。
「だから、ちょっと違うけど似てる気持ちに、便宜上同じ名前をつけたんじゃないかな」
「まぁ、そんな話はどうでもよくてさ」
「一回叩いていい?」
なんて冗談はさておき、じゃあ京華は一体何が言いたかったのかというと、
「私の京華への気持ちって、どんな『好き』だと思う?」
「え……ごめん、私の恋愛対象は異性なの。そういう人に偏見があるわけじゃないけど、京華はただの友達にしか思えなくて……」
「ははは! フラれちゃったかぁ! 告ってもないのに!」
机を叩いて爆笑する京華。
一体なにがそれほどツボに入ったのかはわからないが、その様子になんとなく疎外感を覚えた。
「なにがそんなに面白いのよ……」
「あぁ、ごめんごめん。いやね、別に姫芽のことが恋愛的に好きだと決まったわけじゃないんだよ」
「なんか含みのある言い方……」
「ただほら、姫芽に向ける気持ちって、ちょっと複雑なんだ。ただの友達に向けるそれとも違うし、恋愛対象に向けるものでもない。間違いなく好きではあるんだけど」
京華は白くて細い腕を組みながら、「うーん」と唸っている。
私から言わせてみれば、そんなに悩むことでもないだろうに。
「私は京華のこと、親友だと思ってるけど」
「親友! いい響きだ! 甘くて柔らかくて溶けちゃいそうだよ! ……ただね、姫芽。親友って言葉、私は好きじゃないなぁ」
「……あっそ」
「あぁ姫芽! 拗ねないで! 私の思慮不足だったよ! 姫芽にとっては、友達に向けた最上級の愛情表現だったわけだ! 失礼なことを言ってしまってごめん! だから姫芽、そんなにほっぺを膨らませないで……あぁ、かわいいなぁ!」
大袈裟に声を張り上げながら、京華は付け入る隙を与えぬマシンガントークを私に浴びせる。
そしてその最後に、しれっと爆弾を投下していった。
「かわいいって、やっぱり京華……」
「うーん。その答えは、『私にも分からない』だよ。姫芽に向けたこの気持ちは、恋愛感情なのかな? それとも、友達の中でも最上位の、超スペシャルウルトラ友達に向ける気持ち? ともかく、『好きな人』って曖昧な定義だけじゃ、私の深層心理には届かないみたいだね」
「なんで京華って、定義だの深層心理だの、野暮ったい言い回しでカッコつけるの?」
「カッコつけてるつもりはないんだけどね! これは癖さ! 悪癖と言ってもいいね! おかげ様で、私と会話したがる物好きは姫芽だけだよ!」
誰が物好きだ。心外だなぁ。
確かに京華が若干面倒臭い人であることは否めないけど、これでいて友達想いだし、面白いし、優しいし、いい子なのだ。
そんな私の視線に気付いたのか、
「安心して、姫芽。ちゃんと分かってるから。――姫芽も私と同類なんだよね?」
「何ひとつ! 分かってない!」
屈託ない笑顔を見せる京華には申し訳ないが、どちらかと言えば私たちは正反対のタイプだろう。
だからこそ、パズルのピースを合わせるように、相性がぴったりとハマったのかもしれないけど。
「ごめん、京華。これは今まで言ってなかったけど……京華は理屈で考えるタイプでしょ。私はめちゃくちゃ感情で動くタイプなの。だから全っ然同類じゃない」
「はは、そんなこと知ってるよ。何年姫芽の友達をやってると思ってるの?」
「うーんと、そろそろ丸二年かな。その常套句を使うにはまだ五年は早いって頃合」
「手厳しいなぁ!」
やっぱり楽しそうに笑う京華を見て、私は肩を落とした。
とは言ってもこれはポーズで、実のところは私もこの会話を楽しんでいるわけだけど。
「で、話は最初に戻るんだけど、やっぱり『好きな人』って表現は陳腐だと思わない?」
「陳腐かどうかは分からないけど、間に合ってないのは事実ね」
「だよね! それを踏まえて言うんだけど――」
あんなに大口を開けて笑っていた京華は、急にふっと表情を変えた。
「――私、姫芽のこと好きだよ」
「――っ!」
しなやかな指が伸び、私の顎を持ち上げる。
その凛々しい目に射止められた私は、まつ毛長いなぁ、なんて場違いなことを無理やり考えていた。
「――姫芽」
「な、なによ……」
「顔、赤いよ」
「――っ、こんなことされたら、そりゃ誰だって……!」
「そうかな? 少なくとも、『好きな人』からじゃないとドキドキはしないんじゃない?」
「誰がドキドキなんて――!」
「ありゃ、してないのかな? 私、結構勇気振り絞ったんだけど。ドキドキ、してくれなかった?」
もはや完全にからかわれているというのに、京華がそんなに悲しそうな表情を浮かべるもんだから、
「……。ちょっとはしたわよ」
つい、根負けしてしまった。
それを聞いた京華は、見るからに表情に色を取り戻し、
「そっか! それはなによりだね! なんたって、私は姫芽のことが好きだからね! 姫芽はどう? 私のこと好き?」
「そりゃ、好きだけど。でもそれは、友達としての話で――」
「私もそう思ってた! だけどさ、分からないんだよ。私も、姫芽も。同じ『好きな人』でも、その本質がどんな『好き』なのか、説明ができない。なんせ自分でも分からないふわっとした気持ちだって、他ならぬ姫芽が言ったんだからね」
「たしかに、そうだけど……」
「だから、私から姫芽への気持ちも、姫芽から私への気持ちも、全ては闇の中ってことさ」
なんとなく腑に落ちない結論を導き出した京華は、さも満足そうに席を立った。
「さ、そろそろ帰ろうか! あまり外が暗くなると、吊り橋効果で姫芽が私に恋愛感情を抱いてしまうかもしれないからね!」
「そんなことない!」
「はは、何事もわからないものだよ。特に『好き』って感情はね」
結局、この話には特に意味なんてないのだ。
これは、暇を持て余した二人のはみ出し者が日課とする、ただの議論ごっこ。
そんな私たちの放課後は、今日も暮れていった。
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