僕と君の物語

穂津実花夜(hana4)

第1話 僕たちの物語

一人でそこに佇むと、僕を避ける様にその流れが二つに別れる。

すれ違い様に感じる横目の視線や舌打ちも、二度と会う事のない人からならば何にも気にはならなかった。


ただ、路上に溢れかえる人数が既にこんなにもいるっていうのに。

見上げると空を遮る様に聳え立つビルの、無数に感じる窓の中にも沢山詰まっているのだと思うと、僕は少し挫けそうになる……


「この中から片割れを探す」



その課題はとっくの昔に始まっていて、僕はいつもキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていた。


大きな砂場に間違えて埋めてしまった、小さくて大事な鍵を、手探りで見付けなければいけない。


そんな状況におかれた僕は、共存している喪失感が僕と一緒に成長しているのを知っていた。

大きくなってきたそれは、狭くなってきた寝床を広げるために、モゾモゾと動き出している……


だから僕は、そこの居心地が悪くなるように、今日もこの街の中を闇雲に歩く。



すれ違うのもやっとな歩道を曲がり、念のためビルの隙間も覗いてみるけど、今はまだどこにも見当たらない。


「この街で見つかる」


その確信にさえ根拠を探し始めてしまいそうで、とうとう僕は走り出した。


桜の降り注ぐ川縁を抜け、重い雲が寝そべって毎日が雨になっても。

小さく切り取られた空が高くなってから、行き交う車に黄色の葉が付く様になっても。

チラチラと自由に舞い落ちる雪に、僕の足元が滑っても……


本当はもう足が痛くて走れなくて、課題から目をそらして止まりたかった。


―――でも僕の片割れは、僕が探し出すのを待っている。


僕はそう、何度も自分に言い聞かせていた。


…………

……


「大丈夫ですか?」


僕はビルの隙間で溶けかけていた。


頭皮は上からジリジリと焼かれ、グレーの街に反射した熱に頬や首の後ろを刺された。

吐き出す息も吸い込む息も湯気の様で、呼吸をしても全く楽にはならない。


胸も足も何もかも痛くて、少しだけ呼吸のしやすいこの影の中で休むことを決めた。


でも一度立ち止まった僕は、もう立ち上がれなくなってしまっていた。


その声は表通りから僕へ覗き込むように掛けられたものだったけど、僕には顔を上げてそれに答える気力も残っていない。


「どうしたの?」


僕にかかる影が少し濃くなって、頭の上から声がした。

何だか胸騒ぎがして、気力を振り絞って顔を上げる……


それは突然の事だった。


彼女はきょとんとした顔で、顔を上げた僕をじっと見ている。


「お水飲む?」


彼女に話したい事が一瞬で何億と湧き出した気がしたのだけれど、喉は上手く開かなくて、僕は首を縦に振るのが精一杯だった。


「ふふっ…喉が渇いていただけ?」


一心不乱に彼女に貰った水を飲むと、自分の中の管の形が浮き出るようにわかる。

彼女はそんな僕を見て少し柔らかく笑った。

乾いた喉が潤うのと同時に、僕の中に居座ってる奴が溶けて一回り小さくなった。


「僕だよ?わかる?」


何億もの言葉から僕が選び取ったのは、何故だかこんな言葉だった。

でもそれで彼女はわかってくれると思った。


「え?わからない。私の事を知ってるの?」

「ずっと君を探していたんだ……」


その言葉で彼女はもう気が付くと思ったのに……

彼女はきょとんとしたまま、僕の知らない提案をする。


「そうなの?じゃあ、あなたの心を見せて?」


「えっ?心なんか見せられないよ?」

「どうして?皆こうやって持ち歩いているはずでしょ?」


当たり前の様に彼女は右のポケットからオレンジ色のビー玉の様な物を取り出して、僕に「はいっ」と言ってそれを手渡す。

何の事だか良くわからないけど、きっとすごく大事な物だと思った僕は、掌で包み込むようにしてそれを眺めた。


オレンジに見えたそれの中は、雲の様に形と色を混ぜ合いながら動いている。

黄色やピンクに靄がかかり、気付くと混ざってオレンジになってはまた数色に分かれていった。


「これが君の心なの?」

「うん。」

「綺麗だね。でも何だか……」

「私っぽいでしょ?」


彼女の花柄に見えるワンピースは、良く見ると何色もの明るい色と、葉っぱの様な緑が混ざるタイダイ柄だった。

それは彼女の白い肌や透き通るような栗毛の髪を、より明るく見せていた。


彼女に預かっている球体は、そんな彼女の見た目に良く似合っている。


でも「彼女の心」だと言われると、僕には違うように感じてしまう……


「あなたは無いの?見せる用の心?」


「見せる用?」

「そう。皆これを見せ合って、一緒に居るかどうか決めるんでしょ?」

「わからない。僕はそんな事知らないよ?」

「じゃあどうやって「運命」を作るの?」


「どういう意味?「運命」って決まっていて、自分で探し出すものでしょ?」

「違うよ。運命は「見せ合いっこした心」が合う人と、作っていくものだよ?」


「そんな……」


「だって、心を見せられないまま「運命」の人に出会うなんて、おとぎ話の中だけよ?」



「僕は―――君が「運命」で、ずっと探してたものだって。今見つかったって、そう思っているよ?」



そう言葉に出すと、急に心が落ち着いた。

僕は「見せる用」を持ってはいないけど、僕の心は安堵している。


彼女の大事な「見せる用の心」を返すと、僕は生まれて初めて自分の心を取り出した。


「それは?あなたの本当の心?」

「そうだよ。僕は「見せる用」を持っていないから。」

「そんなの危ないよ!早くしまって!」


自分でも初めて見る僕の心は、さっき見た彼女のよりも透明で少しキラキラとしていた。

つるんと丸かった彼女のものとは違い、僕のは一部分が欠けている。


「持ってみて?」

「怖いよ……本当の心なんでしょ?」

「きっと、君にもわかるから」


――――彼女は恐る恐る僕の心を受け取った。


彼女がそれに触れた瞬間、僕の心はポコポコと中心から炭酸水みたいに沸き上がり、あっという間に溢れ出した。

びっくりした彼女が目を閉じている間に、僕の心はつるんと綺麗な球体に戻り、様々な色をその中で輝かせ始めている。


「ありがとう……」


僕の声に彼女は少しずつ目を開けると「はっ」と言って息を飲んだ。


「綺麗」

「君のおかげで僕の心が溢れた。僕はやっと満たされたんだ……」


僕の中に心を戻すと、初めての安らぎに包まれる。

与えられていた課題を終えた達成感を味わうと、全身が喜んでいるようだった。


「私があなたの「運命」なの?」

「そう。君を見付ける事が僕の「運命」。」

「嘘」

「ちっとも嘘じゃないよ?」

「だって「運命」は作るものだって……」


彼女がずっと信じてきたものが、変わっていってしまうのを感じた。

彼女はまだその変化に気付きたくは無い様だったけど。


「まだ信じれなくても良いよ。でも僕は君と一緒に居たい。」


戸惑いを残した瞳のままで、彼女は僕の差し出した手を取る。


僕の心に棲んでた奴は、もう跡形もなく居なくなっていて、僕はもう追い立てられるように走る必要がなくなった。


やっと僕は僕になれた気がして、彼女の顔を覗き込む。

目が合うと彼女は照れた様に微笑んで、僕の手をしっかりと握り返した。


これからずっと一緒に居られるのなら……

はにかむ彼女が僕たちの事を、何と呼ぼうがどうだっていいや。

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