ぼくらの希望はお酒だけ…

①真夏のビール(先輩と後輩)

 太陽が容赦なく照りつけてくる、猛暑日である。

 こういう日には、キンキンに冷えたビールが飲みたい!


  × × ×


「誰か今日、飲みに行ける人~?」

「パス」

「パス2」

「行きたいけど、子どもが昨日から熱を出しちゃって」



 昼休みの休憩所で、コンビニ弁当をつつきながら仲良しの同僚たちに打診するが、けんもほろろに断られてしまった。それもそのはずである、三人とも既婚者で仕事が終わったら帰宅して、家事や育児をせねばならないのだ。気ままで身軽で無責任な独身OLは、いつの間にか、この部署で私ひとりになっていた。うーむ。



「仕方ない。仕事帰りに缶ビールでも買うか……」



 そんなことを独りごちると、同僚たちからは一斉に「早く彼氏作りなよ~」とお決まりの文句がやいのやいのと飛んでくる。結婚生活が落ち着き、恋愛沙汰からいったん遠のいた彼女たちは、面白いネタはないかと私の恋愛事情にしょっちゅう探りを入れてくるのだ。こちとらまだ二十代だぞ、余計なお世話じゃい!

 そういえばさ、と同僚の一人がふと思い出したように話し出す。



「先月、隣の部署に中途入行してきた女の子いたじゃん。えっと……」

「桃井さん?」

「そう、桃井さん。あの子と一緒に飲みに行くのはどう?」

「ええっ?」



 思わぬ提案に素っ頓狂な声を上げてしまう。

 桃井さんのことは、まだ誰もよく知らない。ただ社会人二年目だという事実と、品が良く礼儀正しい子というイメージだけがなんとなくある。



「誘ったらパワハラって思われないかな……?」

「どうだろうね。イマドキの子のこと、我々にはわからないから」



 自分が水を向けたくせに! とツッコミを入れようとしたが、すんでのところで言葉を飲み込んだ。というのも、私たちの目の前をその桃井さんが横切ったからである。桃井さん本人は、こちらに気づいた様子はない。それよりもオフィスティーサーバーで煎れたばかりのお茶を、不慣れながらも零さないように気をつけて歩くのに精一杯という様子だった。思わずその経過を、一同で見守ってしまう。――やがて、彼女はお茶を一滴もこぼさないまま、無事に席までたどり着いた。そのホッとした様子がなんともかわいくて、思わず私は口走っていた。



「決めた。私、桃井さん誘ってみる」



 おお~、と一同から静かな歓声が上がる。

 同僚の一人が「白崎、あんたなんか好きな子を食事に誘う男みたいだね」とからかってきた。

 おいそこ、うるさいぞ。


  × × ×


「じゃあとりあえず生で」

「私は……えっと……ピーチウーロンをお願いします」

「はい、かしこまりました! 生一丁、ウーロン一丁!」



 昼休みの一件から六時間後、健全な時間帯であるところの十九時半。私と桃井さんは会社近くの焼き鳥屋の個室で向かい合っていた。もともとあまり話したことがなかったので、当たり障りのない話題しか思いつかない。



「会社にはもう慣れた?」

「そ、そうですね……。みなさん優しくしてくださっているので、安心して業務に取り組めています。まだご迷惑をおかけしてばかりですが」



 すごく真面目だ~!

 声に出そうかと思ったが、変な当てこすりだと捉えられたら最悪である。少し考えた挙句「それはよかった~」と言うにとどまった。

 そうこうしているうちにお互いが頼んだドリンクが届く。「今日もお仕事お疲れ様!」手短に言って、かちんとジョッキを重ね合う。そして私は、待ってましたと言わんばかりに、喉を鳴らしてビールを飲んだ。くわーっ、美味い。夏を感じる。



「………」

「桃井さん、何か嫌いな食べ物はある?」

「あっ、特にないです」

「そっか。それなら適当に頼むね。あと桃井さんも気になるものがあったら好きに注文して」



 どうせ先輩の私がおごるんだからと、気の向くままにいくつかの焼き鳥を注文票に書き込む。あ、桃井さんってちゃんとした女の子っぽいし、野菜とかも頼んだ方がいいのかな。しいたけ串とかししとう串……じゃ、華がないか。チョレギサラダでも頼んでおこう。



「白崎さんはこのお店、よく来られるんですか?」

「ん~割とね。ここ安いのに美味しいから」

「私、会社の人と飲みに来たの初めてです」

「へぇ、そうなんだ。……えっ!?」



 何の気なしに言うのでスルーしそうになった。



「ごめん。むりやり誘っちゃった?」

「いえ、そういうわけじゃないです! 前の会社はコロナ対策で、飲み会は禁止されてたってだけですから……」

「ああ、そういうことか」



 胸を撫で下ろしつつ、時代だなぁと思った。二〇年卒ならさもありなん。かくいう弊社もその時期は飲み会をまったくやっていなかった。



「それならもっと良いところ連れて行ってあげればよかったな。こんなくたびれた焼き鳥屋じゃなくて」



 その時、個室をしきる暖簾がはためく音がした。



「――悪かったな、初めての飲み会がこんな焼き鳥屋でよぉ」



 暖簾を掻き上げて、コワモテの大将が焼きたての串を持ってやってくる。桃井さんは息をのんで固まっていけれど、私は「よっ、大将!」といつもの調子でもてはやした。



「大将、聞き間違えじゃないですか。初めての飲み会がこんなに美味しい焼き鳥屋でよかったねってちょうど話してたところなんですよ」

「うるせえ、しっかり聞こえてたわ」

「ちぇっ」

「嬢ちゃん、もしこの先輩が酔っ払って説教しても真正面から聞かなくていいぞ。こいつが嬢ちゃんくらいの年頃も、何度も仕事でミスして鼻水たらして泣きながら一人で焼き鳥食ってたから」

「余計なこと言わなくていいよもう!」



 しっしっ、という追い払うモーションをすると、大将はへらへらと笑って厨房に戻る。……ったく、と軽い悪態を吐きながらさっそく砂肝を食べていると、桃井さんは「すごいですね」と狐につままれた様子だった。

 大将の凄みの話かな? と思い「そうだね」と弾力のある砂肝を噛んで適当に返事をすると、桃井さんは意外なことを言った。



「私、ずっと白崎さんみたいになりたかったんです。白崎さん、かっこいいから」



 あれっ。この子、不器用そうに見えて意外とおべっか使うタイプ?

 ちらりと桃井さんを見ると、彼女の頬にはすでに赤みが差していた。彼女が頼んだピーチウーロンはまだ半分も減っていない。あぁこりゃお酒弱いんだな、と気づいた。早いとこお水をもらわないと……などと考えている間に、桃井さんは楽しそうに怒涛のペースでしゃべり始める。



「私、仕事をテキパキできるようになりたいんです。社交性を磨いて、一人で居酒屋やバーに行けるようにもなりたいし、自分に自信を持って男性とも対等に意見を言えるようになりたい。でもそんな自立した私は誰も望んでなくて、みんな腫れ物を触るみたいに、私を遠巻きにするんです……」



 最後の方の桃井さんはぐすりと泣き出す寸前だった。おいおい早くも絡み酒かいと思ったが、なんだか彼女の本音を聞けるのは貴重な気がして「うんうん」とビールを舐めながら相槌を打ってみる。



「先輩に好きに話してごらん」

「いいんですか?」

「もちろん」

「私の家、お父さんが代議士なので、絶対に間違ったことはするな、俺に恥をかかせるな、早く結婚していい家庭を築けって言われ続けてきて」

「おうおう」早くも雲行きが怪しい。ガチのお嬢様じゃん。

「じゃあ私の人生って何? ……って思って、両親に黙って自分が気になっていた会社に転職したんです」

「そうだったの」そういう家なら本当にありそうな。

「そうしたら二人とも怒ってしまって」

「なるほど~」あらま。

「私はただ、城崎さんみたいに、自分で稼いだお金でかっこよくビールを煽りたかっただけだったのに……」



 もはや論理が支離滅裂ながら、桃井さんは私の手を握ったまま泣き始める。大丈夫かな私。代議士のお父様に、娘を泣かせた女として島流しの憂き目にあわされたりしない?

 仕方ないので大将に合図をして、タクシーを呼んでもらい、その足で自分も帰ることにした。彼女は東京の一等地に住んでいるようなので、そこからなら電車で自宅に帰るのもたやすい。

 飲み足りなかったけれど今日はここでお開き。彼女を家の前まで(都心なのに一軒家で立派な門構えだった)送り、私は近くのコンビニで缶ビールを買って帰路につく。

 選択しすぎてパサパサになったジェラートピケの部屋着をきて、YouTubeを見ながらビールを飲む。こんなに枯れてどうしようもない人間なのに、ビールを飲む私を肯定するひとがいるんだ。ふぅん。



「かっこいい先輩か~……」



 それは、そのへんで出会った男のどんなお世辞より、ダイレクトに胸に響いてしまったのであった。



「明日からもがんばっちゃお」



 顔がにやけるのを抑えられない。


  × × ×


 翌日。

「昨日はごっ、ご迷惑をおかけしました……!」

「桃井さん。可愛かったからよかったよ」

「白崎あんた、変なことしたんじゃないでしょうね」

「ご想像にお任せしますー」



そんなくだらない会話が繰り広げられたのは、言うまでもない。




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