第28話 帰る場所

 セオドアに会えないまま、三ヶ月以上が過ぎた。


 戦場は南部だけにはとどまらず、戦火はすぐそこまで迫っていた。


 近いうちに帝都も争いの場になる。


 すでに暴動はあちこちで起きており、ここも安全な場所ではなくなっていた。


 帝国内には安全な場所はもう無い。


 それでも他に行く所なんかないから、ここにいる。


 ここが今は私の家で、ここに帰ってきてくれる人がいるから。


 セオドアが家を出て行くたびに、もう帰ってこないかもといつも思っていた。


 知らないうちに家から出て行くから、行ってらっしゃいと言ったことがない。


 そう言えば、おかえりなさいも言ったことがなかった。


 ここは、セオドアが帰ってきたいと思う場所じゃないから。


 セオドアの家ではないから……


 心配な事は他にもある。


 セオドアからの手紙が、十日前から届かなくなった。


 三日おきに届いていたものが。


 今はどうしているのかと、いつもの場所から不安と心配と共に空を見上げると、ドンっとお腹の内側から蹴られた。


 少し前まで、怖い夢を見るたびにお腹を蹴られて起こされていた。


 いったい、どんな子がこの中にいるのか。


 最近は胎動が減ったけど、まだまだ暴れる気はあるみたい。


「宮殿が暴徒に取り囲まれているそうよ」


 まだ屋敷に残っていた人の話し声が聞こえてきた。


 立ち上がって、そちらに向かった。


「ナデージュは?」


「皇宮に残っているようです」


 最初の日から今日までここにいてくれたメイドさんが教えてくれた。


 どうせ本当の名前は教えてもらえないだろうからと、最後まで聞かなかったなぁ。


 ナデージュは、数日前には皇宮から離れることはできたのに、それをしなかった。


 カーティスを待っているのかな。


 お母さんを待っているわけではないと思う。


 あの人は、自分がしたい事をする為にもう戻ってはこないから。


「あなた達は帰国命令が出ているのではないの?」


 ここの護衛に残っていた人達は、セオドアの指示によるもので、エクルクス出身の人達ばかりだ。


「今日中に帝都から離れるようにとは言われています」


 夕暮れが迫る中、ギリギリまでここに居てくれたのか。


「皇宮内に入れる抜け道を教えるから、ナデージュを連れて行ってもらえない?ナデージュはもう国には帰れない?」


「国王陛下や第二王子殿下から愛されている王女殿下を置いて、我々だけ帰国をすれば処罰を受ける可能性はあります。ただ、あれだけ包囲されていては救出は困難でしたので、教えてもらえるのなら、我々は殿下を救い、帰国させることに全力を尽くします」


 皇族となったものには、一人に一つだけ皇宮から外に繋がる道を教えてもらえる。


 一日だけ皇妃だった私にも、一つだけ道を教えてもらえていた。


 初夜から逃げるために使われることもなければ、そんなものを使う前に前皇帝は殺されたわけだけど。


 それらの道を知っている人はすでに殺されているから、カーティスやナデージュには伝わらなかった。


「それなら、あなた達も帰ることができるね」


 ナデージュのことは、好きでも嫌いでもなかった。


 だから、彼女のこれからの事は私には関係は無い。


 ただ、皇宮にいる人をどれだけ助けられるのかはわからないけど、目の前にいるメイドさんを含めて、帰る場所があるのなら帰してあげたい。


「どれだけ厳しい環境であっても、故郷はあの国ですから。貴女はどうするのですか?」


「私はこんなお腹だし、もう予定日が過ぎてて、今日明日生まれてもおかしくない。どこにも行けないよ」


 何人かいたメイド姿だった人達は、戦闘服へといつの間にか装いを変える。


 地図を広げて彼女達に道順と手順を説明すると、


「感謝します。道すがらこの屋敷に近付く者は始末していきますので、貴女もどうか最後まで諦めぬように。御武運を」


 という言葉を残して、やがて屋敷の中には人の気配が無くなっていた。


 御武運をと言う言葉に少しだけ笑いがもれた。


 いったい、何と闘うことを指したのか。


 静かになった屋敷で、毛布にくるまっていつもの場所に座った。


 遠くからは物々しい音が聞こえている。


 時々お腹が痛んでいた。


 まだ、間隔は随分とあいているけど、産めるのかなと不安しかない。


 生まれてきたところで、どうなるのか。


 こんな状況で産んでしまうことになって。


 ボンヤリと考えていると、門から人が侵入した気配があった。


 屋敷内にはもう誰もいない。


 生垣の陰に隠れた。


 それは、大した時間稼ぎにはならない。


 間も無くここから引き摺り出されて、その後は、獣に食べられたり、吊るされたりするのかな。


 息を殺して様子を窺っていると、ストンと、上から何かが降ってきた。


「フィルマ、上着を着ろ。お前の荷物はまとめてあった。毛布は一枚だけなら持っていける」


 突然すぎて、幻かと思った。


「セオドア?今、どこから来たの?」


 私の問いかけは無視している。


 セオドアは大きな荷物を持って、私が包まっていた毛布の一部を拾い上げると、さらに私の腕を掴んで立ち上がらせる。


「セオドア、どこに行くの?もう、生まれそうで」


 セオドアは、険しい表情で私の腕を掴んで連れて行く。


 私が躓かないように気を付けてはくれているけど、それでも急かすように歩いて行く。


 南部での戦況が悪いと聞いたのに、セオドアはここにいて大丈夫なのか。


 危険な戦場にいない方が、私は安心だけど、でも、カーティスはまだ前線にいるはず。


 門の外には馬がいた。


「しっかり掴まってろ」


 そう言って、馬上に横坐りさせると、私を支えるようにセオドアも騎乗し、すぐに駆け出した。


「どこに行くの?」


「うるさい。舌を噛むから喋るな」


 大きなお腹で馬に乗る事にも不安はあったのに、さらにお腹に嫌な痛みもあった。


 こんな時に……


 どんどんお腹は痛くなる。


 下に向けて、押さえつけられるような痛みが。


「セオドア……お腹……痛い……」


「我慢しろ。もうすぐだから」


 我慢って、陣痛って我慢してどうにかできるものなの?


 ほんの少しだけ馬の速度が落ちる。


 帝都からどんどん離れて行き、森が見えていた。


 その森の中を進んで行き、どこまで来たのか途中で馬からおろされると、木にもたれかかるように座らされた。


 もう、規則正しい間隔で訪れだした痛みに耐えながらしばらくそこに留まっていると、数台の荷車が通りかかった。


「レーニシュ夫人!」


 レーニシュ夫人?


 セオドアの口から、思いがけない人の名前が呼ばれた。


 視線を向ければ、馭者の一人は庭師のアンセルさんだ。


 目の前に止まった幌付きの荷馬車に、セオドアが私を運んで寝かせた。


 すぐそばにレーニシュ夫人とマーサさんも座ったけど、懐かしいと思う間も無く、それを確認したセオドアが立ち上がったから、不安に襲われた。


「セオドア、どこに行くの?」


 ギュッと、服の端っこを掴んだ。


 その掴んだ腕をとって、セオドアはもう一度そばに座ってくれた。


 でも、私に投げかけた言葉は酷いものだった。


「この国にはお前の居場所はない。もう、俺なんかの帰りを待たなくていい」


「置いて行かないで。一人で産めない。怖い。ここにいて」


「できない。俺はお前のそばにはいられない」


 立ち上がると、もうセオドアは振り返らずに馬車から降りて、馬に乗ると、その姿は見えなくなっていた。


「イヤ!!痛い、苦しい、怖い、怖い、一人でなんか産めない!!」


 置いて行かれた恐怖と不安を煽るように、骨がミシミシと軋んでいた。


「腰のマッサージをしてやるよ。あたしは三人産んだ。出産で命を落とすことはあるけど、痛みでは死なない。あんたは、あと二十年世に憚るあたしの面倒をみなくちゃならないんだ。頑張りな」


 夫人がなだめるように声をかけてくる。


 痛む腰を押してくれながら、さらに言葉が続けられた。


「女は命懸けで子供を生み出すのに、男は戦場で命を散らすのに勤しむ。女は欲を満たす道具じゃないよ。まったく、無責任でバカな男ばかりさ」


 私はあの人にとうとう捨てられたんだと、それを自覚して涙がボロボロと溢れていた。


「少し前にあんたの旦那があたしの所に来たんだ。あんたの事を頼むって」


 いつそんな暇が……イグネイシャスを送って行った時…………


「あんたの事がどれだけ大切か。その必死さだけは伝わってきたよ。あんたの旦那からは」


 そんなはずはない。


 ハァハァと痛みを逃すように苦しい呼吸を繰り返す。


 私が無理矢理、セオドアとこんな関係に。


 やっとお荷物を下ろせたはずなんだ。


「怖い、怖い、一人でなんて無理」


 一人で育てることなんかできない。


 私なんかが母親になれるはずがない。


「泣き言ばかり言うんじゃないよ。減らず口はどうしたのさ。まだいきむをんじゃないよ。マーサの言うことをよく聞きな。しっかり開ききる前に出そうとすると、裂けて手のつけようがなくなるよ」


 力を逃すように自分の手を握りしめて、その時になって、自分の手首にハンカチが巻かれているのに気付いた。


 痛みが引いた合間に、広げてみる。


 それは、幼い頃に、おばあちゃんにもらったものだ。


 そして、他の人の手に渡したものだった。


 辛い記憶の隙間に埋もれていた思い出が、一瞬で掘り起こされる。


『おにいちゃんが、ちゃんと家族のところに帰れますように。おばあちゃんが私にしてくれたの。これ、大切なハンカチ。おにいちゃんにあげる』


 確かに、その人の手首に巻いてあげた。


 もう、10年以上前のことだ。


 あの人は、ずっとこれを持っていた。


 ただの気まぐれなのか、何を思っていたのか。


 何も言ってくれなかった。


 興味ないふりして、いつも助けてくれて。


 再会したあの日からずっと。


 自分には関係ないって、救ってやることなんかできないって、言ったくせに。


 両手で顔を覆った。


 涙が溢れて止まらなかった。



 セオドア



 帰ってきて
















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