第26話 踊らされた人
セオドアが王太子を送っていって数日が経った。
朝の着替えを終えてから、一人で鏡を見ながら長くなった髪を梳いていると、誰かが屋敷を訪れたようだった。
ガチャガチャと重苦しい音がする。
こんな朝早くに何かあったのかなと思って扉の隙間から顔を覗かせると、メイドさんと一緒に騎士のような格好をした男性が廊下を急いだ様子で歩いてきてて、私に気付くなり、
「フィルマ様にお頼み申し上げます!」
私の前で、堅苦しい言葉と共に両膝と両手をついて頭を下げてきたから驚いていた。
エクルクスの人と思われる人がこんな態度を私に示すとは、余程のことがあったのかな。
その人は頭を下げたまま私に訴えた。
「本国より正式に、南部から撤退し北部の防衛に専念すると告げられたため、皇帝陛下が激怒して、王女殿下を処刑しようとなさっています。どうか、止めていただきたい」
処刑って、ナデージュを殺すってこと?
イグネイシャスは、ナデージュにはそんな危険があると警告しなかったのかな。
男性の横で、いつもの仮面を被ったような表情で立つメイドさんを見た。
「ナデージュに何かあれば、罰を受けるのはあなた達?」
「全員ではありませんが、宮殿にいる者はそうなるかもしれません」
「セオドアは?」
「殿下を送っていったその足で、北部の領地へと向かったようです。予定よりは戻りが遅れていますね」
そもそも、セオドアがいないから私に助けを求めてきたのか。
「私に、止められると思う?」
「貴女が何かをする必要もないのですよ。私はこの場から離れられません」
少しだけ悩んだ。
ナデージュは自分で望んでそこにいるけど、周りの人達は違うだろうから。
私がその人達のことを考える必要もないのだけど。
もう一度メイドさんの顔を見た。
それで、屋敷を訪れた男性と共に宮殿に向かうことにした。
馬車に乗っている間、一体どんな状況になっているのか不安しかなかったけど、宮殿に入ると、想像以上に異様な雰囲気に包まれていた。
奥から漂ってくる空気は、血の匂いをふんだんに含んでいた。
騎士の案内で歩いて行くと、廊下に血を流して倒れている人がいた。
侍女が、斬り殺されていた。
その人を避けながらさらに奥に進むと、女の子の悲鳴が響き渡っていた。
私が到着したのは、部屋の扉が破壊され、ナデージュが髪を掴まれて、カーティスによって引き摺り出されているという現場だった。
ナデージュは泣き叫んでいる。
「カーティス!!やめて!!」
私が声をかけると、ピタリとカーティスの動きが止まった。
直後に、クルリとこちらを向いたカーティスは、ナデージュから手を離してフラフラと近付いてきた。
その隙に、ナデージュは生き残っていた侍女と騎士に支えられて連れて行かれる。
「お前だけだ」
それを呟いたカーティスは、不穏な視線を私に向けた。
血走った目は正気を失いかけている。
「俺にはお前だけなんだ」
目の前に来て、私の両腕を掴んだ。
指が食い込むほどに掴まれる。
「もう、俺にはお前しかいないんだ」
この人は、追い詰められている。
もうすでに暴走している。
何人もエクルクスの人を殺して。
少し前なら自分の身の危険を心配しなければならなかったけど、今気にしなければならないのはそこでなくていいようだ。
「聞いて、カーティス。セオドアは最後まで貴方を見捨てたりしない」
あの人は、もう選んだのだから。
「嘘だ!!あいつは、イグネイシャスの命令の元に行動している」
「私、あんまりよくはわからないけど、エクルクスが北部の防衛に専念するってことは、カーティスは後ろを気にせずに、南部に備えられるってことなんだよね?」
「それは、そうだが……」
「セオドアは、ここに残るよ。エクルクスには戻らない。一緒にいるって、そう言ってたよ。セオドアは、カーティスの所に戻ってくるよ」
私が繰り返して言うと、腕を掴んでいる力が弱まった。
「セオドアはね、カーティスを選んだの」
自分で言ってて悲しくなるけど、カーティスには効果があった。
ダラリと力無く腕をおろすと、考え事をするように宙を見つめている。
一番危ない状態は脱したのか、カーティスから狂気じみた気配は消えた。
「お茶が飲みたい。疲れた」
血の匂いが充満する宮殿には似つかわしくない言葉でも、目の前の人の気を逸らすには充分だった。
「あ、ああ、それじゃあ、案内しよう」
どんなことを考えているのか、上の空となったカーティスは、私を応接間へと連れていった。
「メイドにお前をもてなすように伝えてくる」
「カーティス、もう酷いことはしないで。血を見るのは嫌い」
「お前が、そう言うのなら……」
完全に覇気を失い、力無く言葉を残したカーティスは、部屋からすぐに出て行った。
もう本当に大丈夫なのか。
これ以上、私に何かができるわけではないけど、安心なんかできなくて。
それから、いつまで経っても誰も来なかった。
新たな騒ぎが起きている様子もないので帰ってしまってもいいものなのかと思い始めていると、唐突に扉が開けられて、心臓が跳ね上がった。
顔を向けると、ドアのところに立っていたのはセオドアだった。
その姿を見て、安堵と共に駆け寄っていた。
「セオドア……」
「帰るぞ。カーティスと話して落ち着かせた。こんなバカなことをしている場合じゃないんだ」
セオドアの言葉はいたって冷静だ。
「ごめん……」
「お前が悪いのか?」
「違う……と思う……」
「戻るのが遅くなって、悪かった」
セオドアは私の手を引いて、出口に向けて歩いて行く。
「ナデージュは大丈夫だった?」
「ああ」
「人が死んでしまって……」
「エクルクスの者だ。お前が気にしなくていい」
随分と素っ気ない言葉ばかりだ。
「カーティスは三日後には南部戦線に向かうから、もう、お前には迷惑をかけない」
「でも、そこには、またセオドアも一緒に行くんでしょ?」
「行く」
「行ってほしくない」
「…………」
それには返事すらしない。
顔を見上げたって、何を思っているのかすらわからない。
この人は最後の最後までこんな感じなのだろうと、そう思うしかないようだった。
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