第9話 失われたもの
レーニシュ夫人が不在の間はお屋敷勤めが無いから、物足りなく思いながら畑のラデッシュを収穫していた。
土がついた赤くてコロンとしたものを眺めて、ちょっとだけ嬉しくなっていたのに、玄関の方が騒がしくなって気持ちがざわついた。
何人かの来訪者は私を不安にさせて、グルリと建物を回って様子を見に行くと、仰々しい馬車が一台停まっていて、その前に立つ身なりの良い男の人が私の所に近付いてきた。
「貴女がフィルマか?」
返事をしなくても、男性は話し始めた。
「私はクライバー家から遣わされたものだ。皇帝陛下に献上するために貴女を宮殿に連れて行く。これは大変名誉なことである。領地のさらなる発展のために、謹んで受けよとの命だ」
「は?」
仰々しい巻物を広げて私に告げた人をマジマジと見た。
どうして、クライバー家?貴族?が私を宮殿に連れて行こうとしているのか。
全く理解できないでいた。
献上って、私は物?貢物?
使用人として?まさか、愛人にってこと?
「そんな無茶苦茶なことを受け入れられません。帰ってください」
「これは領主の命令であり……」
「私の雇い主はレーニシュ夫人です!レーニシュ夫人を通してください!」
夫人の名前を勝手に出して申し訳ないけど、この場をどうにかするには仕方がなかった。
効果はあったようで、夫人の名前が出ると男性と馬車は、出直してくると告げて去って行った。
ざわざわと、周囲の人の視線を集めているのに気付いた。
目立つ馬車が家の前に停まっていたから、注目されたんだ。
「領主のって………」
「あの子が……?」
ヒソヒソとした囁き声が耳に刺さる。
どうしよう。
村の人に変な風に思われる。
せっかく、おばあちゃんと暮らしていけると思ったのに。
またあの人達が来たら。
それだけじゃない。
もし、本当に皇宮に無理矢理連れて行かれたら……
今度こそ殺されるような場所に私がいかなければならないだなんて。
元皇妃だとバレたら、罰を受けて娼館に連れて行かれてしまう。
いったい、どういうつもりなのか。
おばあちゃん……
おばあちゃんはさっき、買い物に出掛けて行った。
と、顔を上げたところて、急いだ様子で戻ってきたおばあちゃんの姿があった。
「フィルマ、大丈夫だった?いったい、誰が来ていたの。あなたが無事でよかった」
おばあちゃんが、ぎゅっと抱きしめてくれる。
心配をかけてしまった。
「クライバー家って……レーニシュ夫人の名前を出したら帰って行って……」
「怖かったでしょ。さぁ、家に入りましょう」
おばあちゃんは、私を人の目から隠すように背中に手を添えて、家の中へと誘導した。
その日の夜は、大きな不安が胸を埋め尽くしてよく眠れなかった。
騒ぎはこの日だけでは終わらなくて、翌日、村の中心地に行くと、空気が変わっていた。
村の人達の私を見る目が変わっていた。
それは何故なのか。
「フィルマ、聞いたか?」
おばあちゃんと仲の良い人が声をかけてくれた。
「君の所に来た使者が、領主の手によって処罰されたと。村の者が、隣町で起きたことを見てきたんだ」
「それは、どうしてですか?」
動揺で、尋ねる声が震えていた。
「君を連れ帰ってこなかったからだと。村人は恐れているんだ。君を領主に差し出さなければ、自分達が罰せられるのではと。こんな事を言いたくはないが、あんた達はもう村を出た方がいい。次に君を誰かが連れに来ても、村人達は見て見ぬ振りしかできない」
この人は、せめてもの親切心でそれを言ってくれている。
でも、なんの返事もできなかった。
「おばあちゃんに相談します。もう少しだけ、待ってください」
家に引き返した。
村はずれにポツンと建つ家に。
私とおばあちゃんの家に。
家に近づくと、すぐにその異変にすぐに気付いた。
草を踏み締めた、複数の人の足跡がある。
不安が一気に押し寄せる。
「おばあちゃん!」
ドアを開けると、家の中が荒らされていた。
椅子が倒れて、花瓶が床に落ちて割れていて。
心臓がバクバクと音を立てる。
「おばあちゃん!おばあちゃん!」
おばあちゃんの姿を探して、広くは無い室内を移動する。
「おばあちゃん……」
ベッドの横で倒れている、おばあちゃんの姿があった。
頭から血を流して。
「おばあちゃん……」
そっと抱き起こす。
まだ、体に温もりを宿すおばあちゃんは、息をしていなかった。
目は固く閉じられて。
目の前の現実は何なのか、考えることを拒否して頭の中は無になる。
「手間をかけさせてくれるぜ」
背後から、ドカドカと無遠慮な靴音が聞こえた。
「お前が、皇帝の寵愛を受ける女だって?」
現れたのは、何もかもが不揃いの男達。
そして、まともな生き方をしてきたとは思えない人達。
この人達は、何を言っているのか。
「…………あなた達が、おばあちゃんを殺したの?」
自分の口からこんな声が出るとは思わなかった。
絞り出された、低い低い声。
「勝手に死んだのはそのバァさんの方だ。お前の居場所を吐かないから、ちょっと撫で付けてやっただけで勝手に転んで、間抜けにもそこで頭を打ちつけやがった」
初めて、怒りで、両手が震えていた。
「連れて行く前に、ちょっと俺たちでお楽しみといくか」
でも、私の怒りなど無意味だと言うように、男達から舐め回すような視線が上から下まで向けられた。
一人に腕を掴まれ、無理矢理立たされると、おばあちゃんの体が床に転がる。
私の意識がおばあちゃんに向いている間に、体は、ベッドの上に押し倒される。
何人もの男達に見下ろされている中、私に覆い被さる男に服を裂かれ、上半身が剥き出しになる。
涙を流しながら、現実を拒絶するように天井を見つめていた。
何よりも大切なものが失われて、もう、二度と戻ってはこなくて、絶望感に苛まれて、男の手が無遠慮に体を撫で回すと、また、私の目の前は真っ赤に染まっていた。
後ろにいた人達が声を上げる間も無く倒れていくと、最後に私の上に乗っていた男が引き剥がされ、首を掻き切られて絶命していた。
一人室内に立っていたのは、血を滴らせたナイフを握る、息を乱したセオドアだった。
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