蜃気楼《ミラージュ》な彼女

伊勢

第1話

幻想かのじょの話』


第一話

 アイドルという付き合えもしない人間コンテンツに、金を注ぎ込むファンを馬鹿だと思っていた。

 自分が養分だという自覚はないのか?

 虚しくはならないのか?

 『推しが幸せならば自分も幸せだ』なんて、欺瞞ぎまんに決まっている。

 早く目を覚ました方が、君はもっと幸せになれるはずだ。



 しかしその思想は、あるとき脆くも崩れ去る。

「女神だ……」

 図書室で一目見た瞬間、うっかり口に出してしまうくらいには津森メグの容姿は、こちらの心を真っ直ぐに打った。まず顔が小さい。その上、腰は今にも折れそうなほどに細くて、セーラー服のスカートから伸びる手足は白く、すらりと長かった。座っているが、女性ながら一七〇センチを超えていそうなことが見てとれる。完璧なモデル体型だ。艶のある青髪は肩まで伸ばされ、眉上には薄く束感のある前髪。眼鏡の奥にある切れ長の目は、海外小説を一枚ずつ丁寧に追っている。無意識なのだろうか、彼女は紙を捲るのに合わせ、唇を軽く引き結んだり、優雅に脚を組み替えたりしていて、それがまたいっそう目を引いた。西陽に照らされながら、図書館で本を読み耽るメグの姿は今でも脳裏に焼き付いている。………。

 いつまでも見ていたい――

 そんな気持ちを抱いたのは、彼女が初めてだった。


✕ ✕ ✕


「そりゃまた、ずいぶんお目が高いですな〜」

 放課後。教室で先週お目にかかった彼女のことを話すと、クラスメイトの南まりんは満足げにうなずいた。

「なんでお前が鼻高々なんだよ」

「我が校が誇る現役女子高生アイドルだもん、津森メグ」

「ア、アイドル?」

「……ってか慧斗知らなかったの? 彼女のこと。普通に全国区のテレビ番組で特集されてたじゃん。ほら去年、国民的なアイドルオーディションにトップ合格してさぁ、『AIの想像を超えた完璧な美少女!』なんてキャッチコピーつけられてたでしょ」

「俺、全然テレビ観ないからまじで知らない」

「嘘でしょ! ……か〜っ! 東京人はいいねぇ、テレビ以外に娯楽があって」

「あのなぁ。こっちの地方にだって、娯楽はいろいろあるだろ」

「そりゃそうだ。失敬失敬。テレビを見ないのは、葉月慧斗個人の趣味嗜好の話でした」

 まりんは額にペシッと手を当て、大仰に『あちゃ〜』と言った仕草をする。その反動でイヤリングが軽く揺れた。花型のそれは、オレンジ色のショートボブと合わせて活発な彼女によく似合っている。

「つかお前、俺のこと東京人東京人ってよく雑にいじるけど、こっちに戻ってきて半年、俺もたいがい地方の文化に染まってきたからな」

「ほう。と言いますと?」

「道行く人に挨拶するようになった」

「……普通じゃん?」

「普通じゃねぇから。東京では見ず知らずの人に声をかけたりなぞ一切しない」

「ほぇ〜。さすが東京は冷たいんだねぇ。慧斗くんが人の心を取り戻してくれてよかったよ」

 どういう意味だそりゃ。文句のひとつでも言ってやろうと思ったが、まりんが机に頬杖をつき、いつにも増してニコニコとしているので、なんだか毒気を抜かれてしまった。まりんは笑うとえくぼができて、もともとある愛嬌がさらに増す。「泣く子もわらっちゃうような笑顔ねぇ」と、商店街で揚げ物屋を営むマダムが言っていたのを思い出した。ついでに彼女からコロッケをひとつオマケしてもらっていたことも。こちとら、もともと社交性があまりない上に視力が悪くて目つきが鋭くなりがちなので、まりんのそういう愛されるところが普通に羨ましい。

「――で、作戦はどうするよ?」

「あ、悪い、なんだっけ」

「もぉ、ちゃんと聞いてて? だから、津森メグと近づくための作戦を考えようって話」

「お前はまた面倒くさいことを言い出して……」

「大切なことでしょ。お近づきになって、相手に自分を認識してもらわないことには付き合えやしないんだからさ」まりんの真剣な眼差しに狼狽える。

「付き合っ……いや、そういうのじゃない」

「え、どういうこと?」

 まりんがキョトンとする。本気でわけがわからないといった表情だ。

「慧斗、津森メグに一目惚れしたんだよね? さっきまでそういう話してたでしょ」

「津森メグのことを、間違いなく美しいとは思った。ただ……一目惚れとか、好きとか、付き合いたいとかそういうわけじゃないんだ」

「うぅん、どういうこと?」まりんが眉根を寄せる。

「ただ遠くから見ているだけで十分というか……」

「慧斗は頭いいんだから、おバカな私にもっとわかりやすい説明して?」

「つまり……つまりだな……その……自分でもこんな感情の変化は初めてで戸惑っているんだが……彼女は女神のようなものなんだ。恐れ多くてとても隣にはいられない……」

 一息に言ってのけると、まりんは「お、お〜……」とのけぞった。

「そりゃまた、ずいぶんこじらせましたな?」

 んなこと自分が一番よくわかっとるわ!

 秋を迎えたばかりの教室に、生暖かい風が吹き抜けてゆく。

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