毎年、特定の時期にだけ 異世界に召喚される男子高校生の話

葛生 雪人

1.

 廊下から聞こえる賑やかな話し声。

 三年の先輩たちが大学入試についての話をしていた。試験の出来がどうだとか、推薦組がうらやましいだとかそんな話が聞こえてくるが、なんとなくソワソワと浮き足立っているような雰囲気もあった。

 二年後には自分も同じ状況にあるんだろうななどと考えながらも、実感など湧かなくて大きなあくびが出るだけだった。

 前日の寝不足がたたって一限目から船を漕ぎ、三限にはついに教師に頭を小突かれた。

 それでも睡魔は容赦ない。

 四限が始まるや否や、昼前の空腹感を凌駕する眠気に襲われてすっかり夢の世界に足を踏み入れてしまった。

 そう。

 はじめは夢だと思ったのだ。

 夢だというのにやたらと意識ははっきりしていて、むしろ普段よりも五感が冴えているような感覚があった。

 それでも夢だと思った。

 それは目の前に広がる景色のせいだった。

「なんだ、これは」

 俺は辺りをぐるりと見回した。

 教科書か何かで見たような、外国の遺跡のような場所にいた。何かの建物の遺跡というわけではなく、街そのものが長年放置されたことによって遺跡と化してしまったような、そんな場所だった。

 もとはどんな場所だったのだろうか。

 加工した石で作った塀や石畳の道があったのだろうか。

 風化したのか破壊されたのか。ボロボロに崩れてしまっては、俺の知識では何もわからない。

 家々もほとんどの屋根が落ち、壁の一部でも残っていればマシという具合だった。

 そんな、滅びた街の中。

 背の低い草に覆われてしまった大通りのど真ん中に突然放り出されたようだった。

 ちなみに言うと、おかしいのは景色だけではない。身につけているものもどうにも日常とかけ離れているのだ。

 素材まではわからないが金属の胸当てを着け小ぶりな盾を持ち、腰には立派な剣をぶら下げているではないか。

 おまけに現実ではまず着けることがないようなくすんだ色の、ごわごわした生地のマントを羽織っているというのに、なぜか着心地はすこぶる良くて、制服を着ているときよりしっくり感じるのが不気味だった。

「ここは、異世界か?」

 自然とそんな言葉が口をついて出た。

 剣を抜きブンと振ってみる。

 状況がわからぬ不安よりも、ゲーム世界のような武器を持たされた高揚感で思わず口もとが緩んだ。

「ここが異世界だとすると、この装備からして俺は冒険者か何かというわけか? 勇者というには安っぽい武器に見えるし……ああ、でも、レベルが低いうちはこんなものかもしれないな」

 どうやら授業中の居眠りがきっかけとなって異世界に迷い込んだらしい。

 マンガやゲームでそんな設定に慣れ親しんでいたおかげで、俺は自然とそういう結論に達した。

「だとすると、世界観とか目的とかそういうものを一刻も早く知る必要があるな。街を探してギルドに顔を出すパターンか? それとも女神様が頭の中に直接語りかけてくるとか。何かの手違いで襲ってきたやつがお詫びと言って親切に教えてくれるというのが、後々のことを考えると楽そうだが」

 ブツブツと、考察と希望とを口にして、最後にうーんと唸った。

 見える範囲に街もなく、人が隠れられるような物陰もない。

 それじゃあ女神か。

「おーい。そろそろ教えてくれてもいいんだぜ。心の準備はできてるからさ」

 なんとなく、女神というからには高いところから話しかけてくると思って、俺は空を見上げた。

 これはもとの世界と変わらない。

 青い空に白い雲。太陽光線が眩しくて目を細めた。

 そうして狭くなった視界の端で何かの影が揺らめいたように見えた。

「勘違いして襲ってくるパターンだったか」

 念のため剣をそちらに向けて身構える。

 ぼやけた視力が徐々に戻ってきてようやく見えたものに、俺は言葉を失った。

「……突然モンスターと戦うやつかよ」

 すうっと背筋に寒気が走ったかと思うと、一瞬にして顔が熱くなる。

 『念のため』だった構えを、戦うためのものに切り替えた。武術や剣術の心得なんてこれっぽっちもなかったけど、見よう見まねでやってみる。

 そんなに悪くなかったようで、目の前の『何か』は全身にぐっと力を込めた。

 四つ足の、獣のように見えた。

 大型の肉食獣ほどの体躯は、フサフサの毛に覆われていてもよくわかるほどに筋肉質で。前脚を持ち上げて立ち上がれば、その体は俺よりも遙かに大きい。

 大きな口から覗く牙とそこからしたたり落ちる毒々しい色の涎が不気味さを助長させた。

 ぶるっと体が震えた。

 しかし命の危険を感じたのは一瞬で、そのあとにすぐ興奮がやってくる。

「おー。これだよこれ。異世界はこうでなくちゃ!」

 歓びの声を上げる。

 張り合うように獣が啼いた。

 地鳴りのような声だ。

 さすがの俺もちょっと怯んで、一歩後退った。

 じゃりっと土を踏む音。

 それが戦闘開始の合図となってしまったようで、間合いを計っていた獣が跳んだ。

 肩口に噛みつこうとしたのか。口を開け歯をむき出しにして襲いかかる。

 それをすんでのところで躱した。経験はなくとも、マンガやアニメで見たシーンを思い浮かべれば、その通りに体が動く。

これはおもしろい!

調子に乗って、お返しとばかりに剣を振った。

 切っ先がわずかに獣の毛をさらう。

 そこから瞬時に軌道を変え、今度こそはと肉を狙う。

 手応えがあった。

 しかしそれは、獣の足に浅く傷を入れただけだ。剣を引き、再び身構える。

「! おいおい……まじかよ」

 自分の目を疑った。

 今付けたばかりの傷が、見る間にふさがっていくではないか。

「なんだよ。物理攻撃は効かない系か? 魔法?」

 思いつきで空の片手を前に突き出したところで何も起きず、獣を刺激しただけだった。

 戸惑っているうちにも獣は襲い来る。

 やつの鋭い爪をなんとか弾いては、一歩また一歩と押されていった。

 大きな傷は追わないまでも、衝撃を受け続けた腕は限界に近づいていて、あと何撃受けられるかという具合。

 来るなら今だぞ? ここが出番だぞ? さあ来い!

 そう心の中で唱えているとようやくそれは俺の声に応えた。

「勇敢なる者よ」

 獣の攻撃に、安物らしい盾が悲鳴を上げたのとほぼ同時。女の声が響いた。

 獣の耳がピクリとも動かないところを見ると、どうやらその声は俺にだけ聞こえているようだった。

「女神様か? 遅いって!」

「いや、私は女神では」

「いいから早く! 倒し方を教えてくれるんだろ? 特殊スキル? それとも魔法?」

「待ちなさい。順序立てて説明をするから――」

「待てるわけないだろ! 状況理解して!」

 そう言っている間にも、獣は俺の体を狙って腕を振り下ろしているというのに、この女神様は何を悠長なことを……。

「しかし決まりごとが」

 戸惑いの色が混じっているようだったが、女神はコホンと咳払いをしたのち、つとめて冷静な口調で続けた。

「勇敢なる者よ。革袋に入っている『魔法の果実』を使いなさい」

「革袋? これか」

 腰のベルトにくくってあった袋の中を探る。

 指先に触れた物の感触に、俺は思わず顔をしかめた。

「魔法の、果実?」

 わしづかみに掴んで取り出したそれは、キャンディー包みのチョコレート。アーモンドが入っているお気に入りのやつだ。好きすぎてお徳用を買っているくらい。

 でもどうしてそれが、ここに?

 着る物も何もかもが異世界仕様だというのに、革袋から出てきたそれは明らかにもとの世界から持ち込んだ物だ。

 制服もスマホも何もかも手もとに残らなかったのに、どうしてこれだけが残ったのか。

 何より、このタイミングでこれが一体何の役に立つというのか。

 甘い物でも食べて落ち着けとでもいうのだったら笑えない。

 いや、待てよ。

「おい、女神! 魔法の果実と言ったか?」

 大声で呼びかけた。

 二回目にして女神呼びは容認されたようだ。そこにはまったく触れずに俺の問いに答える。

「その通りだ。それは選ばれた者だけが持つことを許された魔法の果実。それを口にすれば、己が持つ特別な力を解放できる」

「俺が持つ、特別な力」

 ゴクリと唾を飲んだ。

 その言葉に魅力を感じたからというのもある。

 でもそれより何より、腹が減っていた。

 四限の途中でこちらに飛ばされたのだ。あれほどひどかった眠気が身を潜めれば、そりゃあ空腹が気になるというものだ。

 腹が減っているときにチョコレートの匂いというのは……もう、たまらない。

「なんだかよくわからんが、食べればいいんだな!」

 女神様の返事を聞くまでもなく、ぎゅっとねじった包装をほどいて楕円形のアーモンドチョコを口に放り込んだ。

 普段なら、一個目はアメのように舐めてチョコレートを溶かす派だが。

 カリッと噛んだ。

 やわらかいチョコレートの食感のあと、歯に当たるアーモンドの硬さ。負けずに顎に力を込めれば、たちまちのうちに木の実の風味が鼻を抜ける。

 その芳香が、俺の脳にひとつのイメージをぶつける。

 緑の色。植物の力強さ。たくましさ。

 カカオはカッと体を熱くさせ、体の内の何かを引きずり出す。

「これは……!」

 何かがつかめそうだったのに!

 敵は待ってくれない。

 一瞬とはいえ意識が別のところに向いたのを感じ取り、獣は一気に間合いを詰めた。

 防御のために振りかざした俺の剣を難なく払う。と、開いてしまった体を目掛けて、前足を振り下ろした。

「くっ!」

 横に逃げなんとか躱す。

 しかしそれはその場しのぎで、逃げた先に次の攻撃が飛んできた。

「早く力を使うのだ」

 あまりに冷静な口調が癇に障る。

「この状況で、むちゃ言うな!」

 声を荒げながら、もう一歩、右に大きく動いた。

 幸運なことに、獣との距離が広がった。やつが思い描いた動きより俺が大きく動けたのだろう。

 それは俺の有利を伝えるようなものではけっしてなかったが、野生のカンはそれを重視したようだ。

 立ち止まり、ぐるるっとひと鳴きしてから右前足で土をかいた。

 立ち上がった土の匂いが、さっきのイメージを呼び戻す。

 誰に言われるでもなく、俺は獣に向けて片手を突き出した。

 手のひらをぐっと開き力を込める。

 表面が熱くなってくるのを感じ、声を上げた。

「いけえええええええっ!」

 技の名前でもかっこよく叫べたら良かったんだが、それが精一杯だった。

 俺の声に応えて、手のひらから風のようなものが吹きだした。

 それはすさまじい圧力で、突き出した腕がぶれないようにともう片方の手で支えなければ吹き飛ばされてしまいそうなほどだった。

 風は渦を巻き、やがて俺の体を囲むように螺旋を描いた。

 その螺旋を駆け上がる緑色の薄片。

 植物の葉のように見えた。しかししなやかさはなく。緑の色だけを残し、金属質の無数の刃へと姿を変えた。

 草の匂いがふわっと舞った。

 風がやみ、無数の刃がその場にぴたりととどまる。

 頭の中にさっきのイメージがなだれ込んだ。

 アーモンドチョコが連れてきた力のイメージ。

 森の匂い。土の感触。木々を揺らす風。

 その風はやがて強風となり、枝をしならせ葉を吹き飛ばす!

 緑の刃が獣に向けて一斉に放たれた。

 もちろん獣はそれから逃げようとしたが、間に合わなかった。

 無数の刃が次から次へと獣の肉に突き刺さる。

 悲鳴のような声を上げ身もだえても尚、獣は牙を剥き、大きく鋭い爪で一撃を加えようと前足を伸ばし足掻いた。

 しかし、それも長くは続かない。

 やがて弱々しく鳴いたかと思うと、こちらを睨みつけたまま息絶えた。

「なんとか、なったのか?」

 俺は獣の亡骸から目をそらし自分の手のひらを見つめた。

「俺が……やったのか」

 手のひらはなんともなっていない。だけど、たしかにここから何かが生まれ、獣を討った。

 ぎゅっと奥歯を噛み天上を睨みつけた。

 口の中に残っていた好物のアーモンドチョコの香りがふわっと香ったが、ちっとも幸せな気分にならなかった。

「なあ! ちゃんと教えてくれないか! この力のことを。この世界のことを!」

 俺は、どこから話かけているかも知らない、女神かどうかもわからないものに向けて声を張り上げた。




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