結婚

 ラーメン屋からの帰り道、しばらく静かな住宅街を歩いていたとき、シズさんに街灯の明かりが降りかかった。


 明かりをシズさんの艶やかな髪が反射して、煌々ときらめいて見えた。


 綺麗だ。


 漠然にそう思った。そう思ったとともに、ラーメン屋の店長の言葉が不意に脳裏に浮かぶ。


『お前、あの子に惚れてんだろ』


 ……流石に惚れたということはないけど、確かにいつも一緒にいるしここまで話をするような女性は初めてだ。亜衣さんでも業務以外で話すのは案外少ない。


 最近は積極的に話しかけてくるけど……。


 好き……か。シズさんにも、前の世界で意中の男性がいたのかもしれない。


 そう思うと、なぜか胸が締め付けられた。俺は好きな人ができたことがない。特段理由はない。だから、シズさんがもし好きな人がいて、その人と別れた悲しみは、俺には計り知れない。


 けれど、それがとてつもなく悲しいことは何となくわかる。あるいは知らないからこそ、過剰に悲しくなっているのかもしれない。


 ここまで綺麗な人なんだ。引く手あまただったのは想像に難くはない。


「……シズさんって、好きな人とかいたんですか?」

「好きな人?」

「そうです。前の世界で意識してる人とかいたんですか?」

「いない」


 あっけな……。そうか……。まぁ、確かにシズさんが誰かを好きになるのはあまり想像できないかもしれない。


 しかし、シズさんが好きな人がいなかった理由は、俺が思っているようなものではなかった。


「私はもう婚期を逃した女だ。それに、剣をとって私は恋というものは捨てる覚悟をした」

「……どうしてなんですか?」

「変に部下に情を抱いたりすると、私や、私の悲しみにつられた部下たちの士気が下がる。それに、判断を誤る可能性もある」

「なるほど……」


 シズさんは淡々とそう語った。合理的だ。合理的すぎる。彼女の近寄りがたい堅い雰囲気も、もしかしたらこうした理由からなのかもしれない。


 大切だからこそ、大切に思わないようにしないといけない……。残酷なものだ。


 というか、地味に聞き流したが、婚期を逃したか……。それだけ綺麗だったらそんなに気にならないと思うが……。というか、シズさんこの見た目でまさか四十とかなのか?


「シズさんって何歳なんですか?」

「二十だ」

「全然婚期のがしてないじゃないですか⁉」

「うぇ⁉ きゅ、急に声をおっきくしたな……。女性は十三歳から十六歳までが婚期と言われているぞ」


 まじか……。昔の日本も確かにかなり若いうちに婚約したりするとは聞いたけど……。


「こっちではたしか二十ぐらいから、三十前半ぐらい? だったかな? なんだったら二十は早いぐらいです」

「それは本当か? なら、私もまだまだいけるのか……。ま、まぁ興味はないがな」


 シズさんは腕を組んでそっぽを向いた。


「前々から言っていますが、ここはシズさんがいたようなところではないです。シズさんは自由に恋愛してもいいんですよ?」

「……いや、人を好きなるとかよくわからないし、やはり私には恋愛は無理だ」


 まぁ、別に無理強いするつもりもないからいいけど……。でも、下手したら悪い男に騙されたりしそうで怖いっちゃ怖いんだよな……。


 俺が抱くべきではないような不安を抱いた俺を尻目に、シズさんが続けた。


「そ、それに、こんな筋肉のある女性は男からは好かれないだろう」

「そんなことは……」

「私はよく、そういった理由で貴族から笑われたことがあったぞ」


 う~む……。まぁ、確かにこっちの世界でも、ガタイのいい女性を好まない人はいるだろうけど……。どうなんだろうか? 会社でそういう浮ついた話はしたことがないからなぁ……。


「そうだ! せっかくですし、紹介しますよ!」

「え……」

「恋愛をしたいと思ってないのはわかります。でも、一度経験としてみるというのは大事だと思うんです!」


 それに、そういう恋愛話を同僚たちとすることで、さらに強固な関係を築ける可能性だってある! シズさんだって、経験したことがないからこういってるものの、本当は恋愛でとことん幸せになれるタイプかもしれないし。


「ま、待て。それにはいろいろ課題があるぞ」

「何ですか?」

「ま、まずは文字とか、文化の違いとか……」

「あぁ、確かに……」


 確かにそこがネックだな……。特に文化の違い。一緒に住んでたり、何かと会話の間にみられるこの溝は、シズさんの恋愛の大きな障害になるだろう。


「そういうのを受け入れてくれる人がいたらいいんだけど……」

「というか、お前はなぜそんなに私に恋愛を勧めるんだ?」

「え……、だって、幸せになってほしいですし……」

「……なぜ?」

「なぜといわれても……」


 特に理由はなかった。いや、もしかすると俺の胸の内に、何らかの理由は存在するのかもしれない。ただ、それを認識することすら俺には難しかった。


 単純に、一緒にいてだんだんと愛着がわいたというのも確かだが、それだけだといわれると、そうではない。そうではないことだけははっきりとわかる。


 考えているうちに、また店長の言葉が頭の中に浮かんだ。


 すると、俺の足がぴたりと動きを止めた。


「ん? どうした?」

「あ、あはは……。何でもないです」


 そんなわけない。もしそうだったら、俺がシズさんに恋愛を勧める理由がわからないし……。


 俺は赤くなった顔をごまかすために、うつむき少しだけシズさんと反対側の、平素な道路に目を落とした。

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