家族(前編)

 二人の子になって半年ほど経った頃。海菜さんから「そろそろ私達の家族に君を紹介したいのだけど」と言われた。


「海菜さんたちのかぞくって……海菜さんたちのお父さんとお母さんってこと?」


「うん。あと兄夫婦と姪っ子ね。私も百合香もお兄さんが一人居るんだ。女性と結婚してて、子供も居るよ」


「……お兄さん」


「あぁ、君が男性が苦手なのは向こうに話しておくし、二人きりにさせないようにするから」


「……言うの? わたしがお父さんからぎゃくたいされた子だって」


「そこまでは言わないよ。伝えるのは、大人の男性が苦手ってことだけ。心配しなくてもみんな良い人だし、私と百合香も一緒だから。どうかな。大丈夫そう?」


 その頃の私はまだ、海菜さん達と施設の人達以外の大人を信用出来ていなかった。特に男性は怖かった。


「じゃあ、母さんだけでも。それならどう?」


「海菜さんのお母さん……」


「うん。あ、家族写真見る? 結婚式の写真だからみんな今より若いけど」


 そう言って海菜さんはスマホに写真を表示する。その写真の中心にはウェディングドレスを着た海菜さんと百合香さん。その二人を挟む形で、右側には中年の夫婦と一人の男性、左側には海菜さん達と同じくらいの年代の夫婦と双子の女の子が写っていた。みんな笑顔だ。作り笑いではなく、多分、心の底からの笑顔。私は人の作り笑いばかり見てきた。怯える私を安心させるような優しい気を使った作り笑い、私を利用するために信用させるための作り笑い。そのどちらでもない、本当の笑顔。


「……幸せそうな写真だね」


「でしょ。もう一枚あるよ」


 海菜さんが写真をスライドすると、別の写真に変わる。海菜さんと百合香さん以外の人が別の人に置き換わっただけの写真だった。こっちは百合香さんの家族らしい。海菜さんの家族より少しぎこちない気はするものの、やはりみんな心から笑っている。この人達なら、会っても大丈夫かもしれない。そう思ったが、ふと違和感に気づく。海菜さんが言っていた家族構成は両親と兄夫婦と姪っ子だ。鈴木家の方の集合写真にはどこにも当てはまらなさそうなおじさんが一人いる。


「ああ、この人? この人は母さんが昔お世話になったおじさん。親戚みたいな他人だよ」


「わたしにとってのしせつの大人たちみたいな感じ?」


「あぁ、そうだね。近いかも。慣れてきたら、このおじさんとも会ってほしいな。養子を迎えた話したら会ってみたいって言ってたから。慣れたらで良いよ。とりあえず、母さんからだね」


「いい」


「うん?」


「……お母さんだけじゃなくても、だいじょうぶ。みんなに会わせて。海菜さんと百合香さんのかぞくみんなに。会ってみたい」


「……そっか。ありがとう。じゃあ、母さん達に話しておくよ。あと、百合香にも連絡しておくね。私の家族のこと、信じてくれてありがとね」


「……うん」


 それから数日後。まずは海菜さんの家族に会うことに。百合香さんも有給を取ろうとしてくれたが、急なことで取れなかったらしい。代わりにと、海菜さんはむすっとした顔の黒猫のぬいぐるみを私に持たせた。昔、海菜さんが百合香さんのために作ったぬいぐるみだ。名前はリリカ。


「あれ。この子、ちょうネクタイなんてつけてた?」


「義理の実家に行くからね。ちょっとはおしゃれしないと」


「そしたらこの顔もなんとかしたほうがいいと思う」


「あはは。この子はこういう顔だからしょうがないんだよ」


「海菜さんが作ったんだよね? なんでこんな顔にしたの?」


「ふふ。可愛いでしょ」


「かわいいけど……ひなたはいつもえがおなのに」


「あれはリリカを揶揄ってるときの笑顔らしいよ」


「だからむっとしてるのか……」


「そういうこと。さ、車乗って。今日は助手席乗って良いよ。チャイルドシートも移動させておいたから」


 リリカを連れて助手席のドアを開けると、普段は後部座席に設置されているチャイルドシートが設置されていた。シートベルトをして、緊張を和らげようとリリカを抱き締める。すると、ふと甘い香りが鼻をくすぐった。


「……この子、百合香さんのにおいがする」


「あ。気づいた? 百合香の香水つけてるんだよ」


「……このにおいすき。あんしんする」


「ふふ。良かった。出発しまーす」


 百合香さんの香水の香りに包まれながら、車に揺られる。緊張はすぐにどこかに行ってしまい、代わりに眠気が襲ってきた。

 次に起きた時にはもう、車は有料駐車場で止まっていた。


「お。起きたかね? 降りるよ」


 そう言って海菜さんはさっさと車を降りて助手席のドアを開けてくれた。リリカを抱えて、海菜さんの手を取って車を降りる。そのまま彼女に連れられるがまま歩いていくと「お。兄貴達もう来てるな」と海菜さんが呟く。顔を上げると、海菜さんが「あの赤いやつ。兄嫁の車」と、一軒家の駐車場に停まる真っ赤な車を指差す。その隣には青い軽自動車が停まっており、駐車スペースはその二台で埋まっている。その二台の車がある家を目指して歩いていると、正面から歩いてきていた男性が家の前で止まった。そして私たちの方をじっと見る。


「あれは……幸治こうじさんだね。多分」


「こうじさん?」


「家族じゃないけど家族みたいなおじさん」


「あぁ……写真に写ってた……」


 海菜さんが手を振ると、男性は手を振り返して駆け寄ってきた。反射的に海菜さんの後ろに隠れてしまうと、男性は私達の前でぴたりと止まって、両手をあげる。手を振り上げる仕草に身体がびくりと反応してしまうが、男性は私に何もせずに一歩下がった。両手を上げたのはなにもしないというアピールなのだろうか。


「ごめん。男性が苦手なんだっけ。怖がらせちゃったかな」


「……」


 大丈夫ですと返事をしようとしたが、咄嗟に声が出なかった。


「大丈夫だよ愛華」


 海菜さんがそう優しく声をかけ、私の頭を撫でる。恐る恐る顔を上げると、男性と目が合った。優しい目をしていた。男性は私と目線が同じ高さになるようにしゃがみ「初めまして。古市ふるいち幸治こうじです」と自己紹介をする。


「……かです」


「うん? ごめん。聞こえなかった。なにかちゃん?」


「ま、まな……かです」


「まなかちゃんね。よろしく。よろしくっつっても、おじさんは親戚でもなんでもないんだけどね。うみちゃん、俺のことはなんて話してる?」


「親戚じゃないけど親戚みたいな人。施設の大人達みたいな感じ? って聞かれたからそんな感じって言っておきましたよ」


「ほー……良い施設で育ったんだね君は」


 そう言われたのは初めてだった。施設育ちと聞いたら、私の話を聞く前にまず可哀想だと決めつける。私が出会ってきたのはそんな大人ばかりだった。親が生きていると知れば、本当の親のところに戻りたいと思っていると決めつけられたこともある。戻りたいわけがない。思い出すだけで身体が震えるのに。


「ありゃ。おじさん間違ったこと言っちゃった?」


「……ううん。しせつは、いいところだった」


「そっかそっか。今はどうかな。海菜さんと百合香さんのお家は? 居心地良い?」


「……うん」


「そっか。良かったね」


「……うん。……あの。ごめんなさい」


「うん? なにが?」


「……おじさんのこと、こわがって、ごめんなさい」


「えぇ? それは別に謝るようなことじゃないよ。おじさんだって、初対面の人に対して怖いなって思うことあるし。そんなことで不快になるような器の小さい男じゃないぜ俺は。気にしてない気にしてない」


 そう言う彼は笑顔だった。作り笑いではないように見えた。この人は信じても大丈夫だ。海菜さん達と同じ、優しい大人だ。そう思えたが、やはり手を挙げる動作にはどうしても反応してしまう。散々殴られてきたせいで、身体が反射的に反応してしまうのだ。それを面白がる人もいれば、過去を勝手に想像して辛かったねと同情する人もいたが、幸治さんは何も言わなかった。立ち上がり、中に入ろうかと優しく笑う。何事もなかったかのように。


「みんな、愛華ちゃんに会えるの楽しみにしてたよ」


「楽しみ?」


「そりゃ楽しみよ。家族が増えるんだもん」


「……でもわたし、海菜さんの本当の子どもじゃないよ。どこのだれかも分からない子だよ」


 海菜さんと百合香さんは私を家族として迎えてくれた。海菜さん達の家族もきっと温かく迎えてくれる。頭ではそう思っていても、信じきれなくて、つい試すようなことを言ってしまう。すると幸治さんは再びしゃがみ、私と目線を合わせて言う。そんなの気にしないよと。


「血の繋がりなんてね、些細なことだよ。おじさんもみんなと一切血が繋がってないけど、親戚みたいなものだし、海菜ちゃんと百合香ちゃんだって、血は繋がってないけど家族でしょう?」


「……うん」


「ね。大丈夫だよ。大丈夫。おじさんは先行くからさ、お母さんと一緒に入っておいでね」


 そう言って幸治さんはまた後でと私に手を振り、庭を抜けてそのままインターフォンも押さずに玄関のドアを開けて中に入って行った。


「愛華、行けそう?」


「……うん」


「抱っこしようか」


「いい。歩く」


「ん。じゃあはい」


 差し伸べられた海菜さんの手を取り、庭に足を踏み入れる。そのまま歩いて行き、海菜さんが玄関のドアを開けて「ただいまー」と叫ぶ。すると「うみなちゃんおかえりー!」という子供の声ともに慌しい足音が近づいてきて、リビングに繋がるドアが勢いよく開く。思わず海菜さんの後ろに隠れると、ツインテールの女の子と目が合う。多分、海菜さんが見せてくれた写真に写っていた子だ。少し遅れて同じ顔をしたポニーテールの女の子、それから大人たちがぞろぞろとやってくる。


「りーちゃん、おーちゃん。久しぶり」


「うみなちゃん、そのこだれ?」


「私の娘の愛華だよ」


「むすめ?」


「むすめ!? えー!? あかちゃんじゃないの!?」


 どうやら海菜さんの姪っ子達は赤ちゃんが来ると思っていたらしい。「あぁ、そっか。娘って情報だけ聞いたらそうなるか。しまったな」と、海菜さんはどこか困ったように苦笑いして頭を掻く。ツインテールの女の子が「もしかして……みらいからきたの?」と、私の方をキラキラした目で見る。「そんなわけないでしょ」と、ポニーテールの女の子は苦笑いする。どう説明したら良いのだろう。海菜さんに助けを求める。すると彼女は大丈夫だよと言わんばかりに微笑み、女の子達の方を向き直してしゃがみ、目線を合わせて語る。


「親子ってね、色々な形があるんだよ」


「いろいろなかたち?」


「そう。りーちゃんとおーちゃんはパパとママがいて、生まれた時からずっと親子だよね?」


「うん」


「でもね、私と愛華は違うんだ。この子が生まれた時は私達とは他人だった」


「ほんとうのおやこじゃないってこと?」


「ううん。本当の親子だよ。りーちゃんとおーちゃんのパパとママみたいに生まれた時からずっと一緒だったわけじゃない。でも、だからって、偽物の親子ってわけじゃないんだ。親子も家族も、いろんな形がある。二人にはパパとママが一人ずついるよね?」


「うん」


「けど、みんなそうなのかな。君のお友達にはみんな、パパとママがいる?」


「えっと……ママがいないこもいるし、パパがいないこもいる」


「でも、そういうかたちのおやこもいるんだってせんせいいってた。うみなちゃんとおねえちゃんも、かたちのちがうおやこってこと?」


 ポニーテールの女の子が海菜さんに問い返す。それを聞いたツインテールの女の子もなるほどと頷く。


「おーちゃん、正解。そういうことです。愛華から見たら、私はママで、百合香もママ。私達は、ママ二人、子一人の家族なんだ。血の繋がりもないし、最初から親子だったわけでもない。それでも今の私達は親子だし、家族なんだよ。以上。はい、何か質問ある人」


「はい!」


「はい、りーちゃんどうぞ」


 りーちゃんと呼ばれたツインテールの女の子は手を上げたまま私のところまでやってきて「おねーちゃんのおなまえをおしえてください」と笑う。「さっきいったじゃん」と、ポニーテールの女の子が呆れるようにため息を吐く。


「えっ。なんだっけ」


「まなかちゃんだよ」


「まなかちゃん。まなかちゃんは、なんさいですか?」


「りーちゃん、その前にまずは僕たちが自己紹介しないと。一旦戻っておいで」


「あ。そうだった」


 りーちゃんと呼ばれた子が戻ると、それぞれ自己紹介を始める。りーちゃんと呼ばれた女の子の本名は加藤かとう凛々りり。私より四つ年下の六歳。おーちゃんと呼ばれた子はりーちゃんの双子の姉の王花おうか。先ほどりーちゃんを呼び戻した男性がりーちゃんとおーちゃんの父親であり、海菜さんのお兄さんのみなとさん。その隣にいる女性が、彼の妻の鈴歌りんかさん。そして家族ではないけど家族みたいな謎のおじさん古市ふるいち幸治こうじさんを挟んで、隣にいる中年の男女が海菜さんの両親のかいさんと麗音れおんさん。


「まなかちゃん、しょうがくせいなんだ」


「ガーン……としうえだ……」


「りーちゃんはね、あかちゃんがくるってわくわくしてたんだよ」


「あはは……ごめんね。それも先に言っておくべきだったね」


「でも、わたしはうれしい。おねえちゃんができたみたいで」


 王花はそう言って笑う。そして遠慮がちに近づいてきて「ぎゅーしていい?」と、両手を広げて私を見上げる。リリカを海菜さんに預けて王花を抱きしめてやると、凛々が「おーちゃんずるい! りりも!」と横から抱きついてきた。


「まなかちゃん、ゆりかさんとおんなじにおいするー」


「ねー。いいにおい」


「リリカのにおいがうつったのかな」


「りり、このにおいすき」


「わたしも」


「わたしもすき。でも二人とも、そろそろはなれてほしいな」


「「もうちょっとだけー」」


「……しょうがないな。もうちょっとだけね」


 なんだか、施設にいた頃を思い出す。施設には私より年上の子もいれば、年下の子もいた。たくさんの子供がいたが、海菜さんの家に引き取られてからは子供は私一人。今まで感じなかった寂しさが急に込み上げてくる。だけど、戻りたいとは思わなかった。私はもう海菜さんと百合香さんの娘であり、鈴木家の家族の一員だから。

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