第5話
神田で生まれ銀座で育った曾祖母は、旧丸の内ビルヂング内の会社で働いている時に曽祖父と知り合い結婚した。数年後、子どもが生まれるのを機に、若い夫婦は夫の出生地であるこの土地に引っ越してきた。一丁倫敦と呼ばれていた頃の、煉瓦造りのオフィス街で働き都心で暮らしながら、曽祖父は自然が残るこの町で暮らすことを選んだ。都心から見ればだいぶ田舎だったこの町に住まいを設け、敷地の半分を雑木林に仕立てたほどだった。家の庭の前を湧水稲荷からの清水が、小川となって流れている環境も気に入っていたにちがいない。
「最初はここの人たちが話していることがわからなかったわよ。おばあさんたちが自分のこと、オレって言ってたのはびっくりしたわ」
と曾祖母は言っていた。大正後期から昭和初期の郊外では、中央と言語すら異なる人々もまだ残っていたらしい。曾祖母はシャキシャキした話し方で、小津安二郎の映画に出てくるような、いかにも東京の女という感じだった。
「そうそう、本家のひいじいさんがね、亡くなる前に言ってたのよ、うちは湧水一族だからって」
と祖母は、まるで御伽噺を語るように言った。
「それ、どんな一族?」と子供の私は興味津々だった。
「あたしもよく知らないんだけどね。本家のひいじいさんも、ボケちゃってて、詳しいこと話せる状態じゃなかったし、他の人に聞いても、誰もよくわかってなかったわよ。
ひいじいさんに詳しく聞いたことある人は、みんな戦死しちゃったらしいしね」
だから私たちは誇りを持っていいのだということらしいのだが、雲を掴むような話で、どこをどう誇っていいのかも不明だったし、第一、曾祖母が亡くなってからすでに数十年が経ち、そんなメルヘンのようなエピソードはすっかり忘れていた。
「あなたもその一族なの?」
「そうです。このリングがその証しです」
彼は右手の中指の指輪に視線を落としてから、私の目を見据えて言った。
「これと同じリングがあと、5個あるんです」
「あと5個!みんな同じような形なんですか?」
「少しずつ違います。あなたのは、ほら、ペイズリーのような紋様でしょう。
僕のはダイヤ型のような紋様をしています」
この指輪は、曾祖母も祖母も亡くなったあと、家を建て替える際に仏壇の引き出しを整理していたとき、引き出しの奥の小さな木箱に収められていたのを見つけたのだ。曽祖父や祖父の古い葬儀関連の芳名帳などといっしょに収められていた。デザインがエキゾチックで面白かったので、発見して以来、つけることにしたのだ。
それはなんと私の指にぴったりだった。おばあちゃんかひいおばあちゃのものだったに違いないと思った。細い私の指にぴったりなのだから。これが湧水一族に伝わる指輪だったのか。
あの無造作な指輪の収納方法からして、その一族は、もし属していたとしても、メンバーにとくに大きな意味やメリットなどないのではないかと思えた。
「その一族は7人しかいないということ?」
「いえ、一族の総勢は不明ですが、このリングを継ぐのは、その家を継ぐものだけです」
継ぐといっても仏壇の中に放置されてたの見つけただけなんだけど、と思いつつも、私の中に、突然、名前も顔も知らない一族とのつながりがすっくと起立したような感覚があった。
「そういえば、あなたの名前は? 私は水田です」
「ミズハラ湧(わく)です」
「ミズハラさんは」
「わくって呼んでください。苗字で呼ばれると落ち着かないんです」
優しく静かに自己主張をしてくる青年だ。
「では、わくさんは、ここら辺の人なんですか?」
「そうです。今は、この先にある、僕たちの本拠地に住んでいます。よければ寄って行きませんか。日を改めてもいいですが、あなたももう、この先の話を知りたくてうずうずしているのではないですか」
図星だった。
「僕たち?」
「はい。あなたに会わせたい人がいます」
彼はかすかな微笑を浮かべた。
この人はこちらの質問に対し、少しずつねじった方向で答えを返してくるので、やっとつかんだ雲のうえにますます、別の雲をつかまされてしまう。とはいえ、雲をつかまされながらも、私は「わく」という人物を少し信頼しはじめていた。信頼というには当たらないかも知れない。親近感をいだき始めていたと言ったところだろうか。かなり怪しいくせに、もう少し話を聞いてみたいと思わせる人物だった。これが本当の同族意識というやつだろうか。
私たちが立っていた場所から奥まったところに、よりうっそうと木々が生い茂る屋敷森があった。その中に、いまにも朽ち果てそうな古い民家が建っていた。洋風な建築だが煉瓦造りなどのデコラティブなものではなく、1950年代の北欧建築を思わせるシンプルな木造の家だ。昭和20〜30年代くらいに建てられたものだろう。私たちが家の玄関に近づくと、白と茶色のブチの中型犬が現れて、尻尾を振りながら走り寄ってきた。
彼はその頭を撫でつつ「時三郎といいます」と言った。
「はい?」
「この犬の名前です」
「ああ、ときさぶろう」
茶色い瞳が見つめてくる。
「かわいいねえ」
というと、犬は彼を見上げて可否のサインを仰いでいる。
「いいぞ」
と彼がいうと犬は私の方に回ってきて、うれしそうに見上げたので頭を撫でてやった。
彼はその家の扉の鍵を、なんとスマホをかざして開けた。
「このエリアは湧水一族が結界を張っているので、敵対するものは入ってこれないんです。だから安心してください」
扉を開けてから、彼は「どうぞ」と言って私に、先に入るよううながした。
日本が高度経済成長期へと進みはじめた頃に、資産家かつ文化的素養がある人が建てたとおぼしき、余裕のある広さと、しっかりした建具、それに木を組み合わせた手のこんだ床が特徴的な家だった。外観は、長い年月、人が住んでいなかったらしい朽ち方をしているが、中に入ると適宜リフォームが施されていた。玄関で靴を脱ごうとすると、彼はそれを制して、そのままでいいですよ、と言った。
玄関を入ると廊下があり、そのまま進みかけたものの、彼は「ああ、そうだ、ちょっと待ってください」といい、右側のドアをノックすると同時に開けた。
中はさほど広くない個室のようだ。ハウス系の音が聞こえてくる。
「コウタ」と彼が呼ぶと、一瞬ののち、1人の青年が顔を見せた。多分、年齢は彼と同じくらい。癖っ毛にメガネ。ぶかぶかのトップスにタイトなパンツ。戦車を履いているのかと思えるほどごついスニーカー。
イマドキシリーズの2人目だった。
「コウタです」
と彼は私にコウタを紹介し、コウタに
「水田さん」と紹介した。
「くりこさんて呼んでください。苗字で呼ばれると落ち着かないので」
というと、わくはかすかに唇の端を片方だけあげた。
コウタはちょっと頭を下げた。やたらとにこやかなわけではないが、人見知り的な苦手意識も感じさせない。最初からずっとフラットでニュートラルなタイプなのだろうと思った。飄々として掴みどころのないわくより親しみが持てた。無口の方がある意味、内面がわかりやすい場合もある。
「水田さん、あ、失礼、くりこさんに大不評だったぞ」
「・・・・」
「SS-2。サイズがデカすぎるって。死ぬほどびっくりしたらしい」
「あれはミズハラが急に2号作れって言うから。それまで1号でいいってたじゃん・・・
しかも、どんだけ急いでも1週間かかるつったのに、2日でやれとかいうからだろーが」
スイッチが入るとダイレクトに心情を吐露するタイプらしい。
ぶつぶつ抗議しつつ、コウタは慣れているのか、とくに腹を立てている様子でもなかった。
それにしても、苗字で呼ばれるのは落ち着かないんじゃないのか?
ミズハラと呼ばれて落ち着き払っているミズハラ。
「じゃあ、1号見せてみろよ、くりこさんに」
何が登場するのか?
気持ちは前のめりなのに、体はすでに、少しあとずさっていた。
ここでは、というより、彼らからは何が出てきても不思議ではなかったからだ。
コウタは一度部屋の奥に引っ込んでから、黒っぽい物体を片手で掴んで持ってきた。
黒くてモフモフしていて、、、脚がある?
「こ、これはタランチュラ?!!」
それはうちに登場したものよりもっと大きくて、もっと毒々しい、まさに巨大毒蜘蛛だった。玄関目掛けて逃げそうとする私の手を、わくが掴んだ。
「大丈夫ですって。これはあなたの家にいるアシダカグモと同じようにロボットです」
「ロ、ロボット」
心臓に悪い、全くもって。
「スパイ・スパイダー1号、略してSS-1号です」
また、ベタなネーミングだ。名前を決めるのもタイトな中だったのか。
「僕たちは気にいってるですけど。アシタカグモよりは可愛いですし」
「いやいや、アレの方がまだマシだって!」
わくとコウタは顔を見合わせた。想像通りだったなという表情だ。
「なので、こいつが何かの不手際であなたの目に入ってしまったら、それこそ警察とか、害虫駆除で保健所とか役所に通報されてしまうかもしれない。と思って、急遽、改良したのがアレ、2号です」
「でも、こいつの方が、いざってときは・・・」
というコウタの話の途中で、わくは彼に背を向けて歩き出した。
「どっちにしろ、1号なんて人前に出せるわけねーだろ。で、お前もこっちこいよ」
「俺は大丈夫・・・」
「いいからこい。あとで説明すんのかったるいから」
コウタは渋々と言った感じで私の後についてきた。しかも、SS-1号をしっかり両手で抱いて。
「あなたも湧水一族なの?」
と聞くとコウタは首を振り、
「や、俺はただ手伝ってるだけで・・・」
と言った。
「わくくんと友達なの?」
「あ、そうす」
廊下の突き当たりまで行って、やっとわくはこちらを振り返った。
ドアをノックすると、中から、どうぞ、という低い声がした。
わくはドアを開け、私に向かって、さあ、どうぞ、というように片手を上げた。
広い居間の中央のソファに人が座っていた。
「いらっしゃい。お待ちしていましたよ」
そこにいたのは、アマカツさんだった。
「水田さん、ご無沙汰しています」
「アマカツ・・・さん、ですよね?」
どうしてこの人がここに?
「アマカツ先生が、このプロジェクトの立案者であり、僕はその助手なんです」
とわくが説明してくれた。
「なんのプロジェクト?」
「今から千年以上前に、我々、湧水一族の祖先の手で隠された秘宝を探し出して、
さらにそれを光線一族から守るためものです」
ああ、そうですか、それはそれは、まあ、頑張ってくださいね、と普通なら思いっきり距離を置いて、では失礼しますという類の話だが、これまでの経緯からして私はすでにその船に乗りかけているのだろう。少なくともそう思われているのだろう。
いずれにしろ、頭の中にどんどん、謎という霧が立ち込めていく。
聞けば聞くほど、先に進めば進むほど後退しているような気さえした。
「そこからは私が説明しましょう」
アマカツさんは民俗学の研究のさなかで、K市の歴史や伝承に興味を抱いたという。
「水田さんもご存知のように、とても古い歴史を持つ地域ですから、調べてみると、特有の文化が育まれていて、それはまあ、古い歴史のある地域には、どこもそうした特徴があるものですが」
アマカツさんは、江戸時代、この地域の中心にある寺院に安置された地蔵尊を、近隣や遠方の人々が交代で家に泊め、お供えをしたり念仏を唱えたりした、まわり地蔵の風習からまず調べたのだという。
「これは江戸時代に一般化したのですが、調べていくうち、この地域では平安時代の一時期、一部の人々の間でも同様のことが行われていたことが判明しました。旧家の聞き取り調査や蔵にあった古文書などを分析した結果ですが」
「はあ」
「それで、なぜ、この時代に一部の人だけでそれを行なったのか、そしてなぜ、その後、この風習が途絶えて江戸時代まで行われなかったのか、そのあたりを調査したのです。その結果、平安時代に回していたのは地蔵尊でなく仏像であったこと、さらに、その仏像に少しずつ、財宝を隠して、特定の家から家へと渡していたことがわかりました」
「その財宝は、どこの誰が持っていたものですか?」
「回していたのが湧水一族の先祖で、財宝もあなたたちの先祖のものです」
「なぜ、彼らはそんなにお金持ちだったんでしょう?」
「この地域では奈良時代から、絹織物をしている人々がいて、湧水一族も蚕を育て、絹を織ることを生業にしていたようです。とくに湧水一族は手先が器用で感覚も優れていた人たちが多かったようで、美しい平織りの布づくりができ、それらは朝廷や豪族たちに珍重されて、
一族は資産を築いていたといいます」
私の頭の中で、平安の村人が絹を織り、草木で染色した布を家の周囲の湧水にさらす様子が思い浮かんだ。
私の前に、ローテーブルをはさんでアマカツさん、テーブルの右手の一人がけソファにわくが座り、斜め後ろのスツールにコウタが、SS-1号を膝に乗せて座り、わくの足元には時三郎が座っていた。要するにSS-1号は時三郎同様のペットなのらしい。
ちょっと撫でて手触りを確かめたい気もする。
「それだけなら、平和に暮らしていられたでしょうが、平安時代の終わり頃に、畿内、奈良のほうから、ある高僧が、修行僧の一群を引きつれて、この地にやってきたのです。多分、もといた寺院で内紛に負けて逃亡してきたのでしょう。かれらは湧水一族の資産に目をつけ、信心深い彼らに教えを説きながら、徐々にマインドコントロールするようになったのです。やがて、湧水一族の蓄えていた財宝のほとんどはその高僧の手に渡ってしまったようなのです」
これで、なんとなく、ことの発端が想像できる範囲までこぎつけた。きっと、財宝はそれでも一部が一族の手に残り、それを仏像に隠したりなんなりしながら、守ったということなのだろう。
「では、光道一族というのはなんなんですか?」
アマカツさんは穏やかに言った。
「水田さん、レイラインというのをご存知ですか?」
「あの、複数の聖地とかが、一直線のライン上にしっかり並んでいるっていう、アレですよね?」
「そう、レイラインは、いわばご来光が一直線に望める道です。そして、富士山と茨城県にある鹿島神宮を結ぶレイライン上に、このK市があるという話はご存知ですか?」
「聞いたことがあります。うちの駅を通る電車の線が、一定区間、レイラインとぴったりと重なってるっていう話ですよね」
少しのズレもなく、ぴったり重なって鉄道が敷かれているのは珍しいと、なにかで読んだ記憶がある。
「そうです。高僧たちは奈良から富士を経て、そのレイラインを辿るように北上してやってきました。もっとも、当時はレイラインという名称も概念もありませんでしたが。
ただ、この町の一番高台に当たる陽乃見丘のてっぺんから、当時は富士がまっすぐ見えて、冬至の日はそのてっぺんに日が沈む光景が見られたそうです。富士の上に放射線状に放たれる神々しい光を拝んで、人々は光がこちらにまで及んで浄化してくれるような感覚を体感していた。古文書にその様子が記されていました。その果てから来た、ありがたい人々ということで、彼らを光道一族と呼ぶようになったようです」
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