第4話
私はここ1年ほど、市が周年記念で発行する冊子の編纂委員を務めていた。
刊行物のひとつとして古墳群を紹介する冊子の作成予定があると聞き興味を持ったのだ。
私が暮らすK市は歴史が古く、市内にはかつて、いくつもの古墳群が存在していた。
昭和20年代から発掘調査が始まり、最初に調査された古墳は5世紀の高句麗系古墳と見られていたのが、のちに近隣で発掘された古墳が3世紀末の弥生時代の物とわかった。
その時代に国外から人が渡来して、ここで古墳群を造営する可能性は限りなくゼロに近いと考えられ、3世紀末からここでは豪族たちが暮らしを営んでいたとする考え方が今では定説になっている。この町のほとんどの発掘調査で、記録の撮影を担当していたのが祖父だった。
私がそれらの記録写真を見たときは、すでに祖父は亡くなっていたので、発掘についての詳しい話を直接祖父から聞いたことはなかったのだが、のちに小・中学校や市役所の展示で、自宅にあるものと全く同じ写真を見て、祖父の意思がそんなところで私に届けられた気がして嬉しかったのを覚えている。
一年ほど前だったか、ある時、大昔のアルバムを整理していて、再び、それらの発掘現場の写真を見ていたら、とある一枚に白い光のような、泡のようなものが現れているのに気づいた。アナログカメラでまだフィルムを巻き取っていないのにカメラの蓋を開けてしまったときのような、画像が白くなってしまう現象。そんなようなものが出ていたのだ。以前から何度か見ているけれど、そんなものはなかったはずだ。いつの間に変化したのか、古い写真だからいつなんどきどんな変化が生じるかわからないとはいえ、なぜ、この一枚だけ?それは、どこか小さい稲荷神社のような、雑木林の中に小さな祠が見える写真だった。うちの近所の稲荷神社ではないし、見たことがない景色だ。白黒の色あせた写真ではなおさら、場所を特定できるようなヒントも見当たらない。とにかく、もうこれ以上、大切な写真を傷めることのないようにしなくては、と、私はすべてを大きな缶に収納し直した。それからすぐに、市の周年事業で冊子の編纂委員を募集していることを知り、応募したのだ。
祖父が関わった事業の延長線上にある事業に関わることができる、ということが何より心弾む思いだった。それが背中を押したと言っても過言ではない。祖父の影響で父もカメラマンになった。父は地元の事業にかかわることはあまりなかったが、私が子供の頃、やはり市の周年事業があり、当時、父のかつての同級生が実行委員になっていた関係で、頼まれて記念冊子の撮影を手伝っていた。祖父から父、そして私へと、繋がることができるような思いがした。祖父も父も比較的若くして亡くなってしまったので、私が大人になってから彼らと話すチャンスがなかった。やっと彼らと成人として交流できるような喜びがあった。
そうして参加した委員会は、私以外のメンバーは歴史や民俗のオーソリティばかりだったので、そうした人たちの話は実に興味深かった。初回の会議のあと、参加者の1人である大学教授のアマカツさんに声をかけられた。
「水田さんの家は、あの湧水稲荷のそばですか?」
その小さな稲荷神社は、祠の裏に湧水池があり、そこから小川が始まっていた。
「そうです。2、3軒隣ですよ」
「では、あの稲荷神社の池からの流れが通る範囲ですか?」
「そうです。うちの前を小川が流れていました」
その小川はうちの庭の前を流れ、その先の水田の横を流れ、水田が終わったところで中央の寺院からの小川と合流していた。今は水田もなく住宅街と化し、小川はすべて暗渠となっていて私が歩いていた遊歩道につながっている。
アマカツさんは見たところ少し気難しそうなタイプの人で、会議中も無駄な話はほとんどせず、他の権威たちが確認のために声をかけた時だけ、言葉少なに、だが明確な答えを返していた。そんなだったので、声をかけられたのが少し意外だったし、世間話ができたのが嬉しかったのを覚えている。民俗学専門の教授なので、ワタシ的にはもっと話が聞きたいと思っていた。
今思えば、その頃から、不思議なことが起こるようになったのだ。
あきらかに天井に穴が空いたとしか思えない音がして、慌てて見に行っても何も変化がなかったり、夜、仕事をしていたら仕事部屋のガラス窓がビリビリと振動し初めて、地震かと思って地震速報の類を見ても何にも報告されていなかったり、どこから来たのかまるまると太った巨大な鶏がベランダに立ち、じっとこちらを凝視していたり、結構ミステリアスな事象が次々と起こっていた。
しかも、時たま夢の中に、王家の秘宝というワードが登場したりして、目が覚めてから「インディ・ジョーンズじゃあるまいし」と思ったりした。
とはいえ、私に起こった諸々のできごとは、少し不思議ではあるけれど、すべてなんらかの説明可能な理由が、きっと、あるのだろうし、しかもそれが起こったことによって、特に何か問題が生じたかといえばとくにない。一度だけ、脚の長さ30cmくらいの、まるでタラバガニのような、足の長い蜘蛛が天井に近い壁に張り付いているのを見たときは、口から心臓が飛び出そうになった。過去、我が家ではアシダカグモという割合デカ目の蜘蛛が生息していたことはあるが、あれだって、体調はせいぜい10センチくらいではないか?こんなバケモノのような蜘蛛など見たことが聞いたこともない。反射的にあたりに轟き渡るような叫び声をあげてしまって、私以上に、蜘蛛のほうが相当焦ったようだった。見る間に滑り降りてきてガラス戸の前に立って、こちらを振り返っている。その姿はまるで「すみません、すみません、ちょっとここ開けていただけませんか」とでも言っているような空気感を醸し出していた。それで、「頼むから飛びかからないでよ」と絞り出すような声でいうと、蜘蛛はコクコクと頷いてさえいるように見えた。そーっと、蜘蛛を見ないよいうに上を向いてガラス戸を開けてやると、巨大蜘蛛はサササッーっと外に飛び出してマッハで消えた。
「なになに、なんだったの?アレ」
と思っていると、
「くりこさーん、なんかすごい声したけど大丈夫?」
と隣の奥さんが垣根越しに声をかけてきた。
「あ、いやあ、巨大な蜘蛛がうちにいて、驚いちゃって」
「なーんだ、あはは〜!なにがあったのかと思ったわよ、蜘蛛ねえ、そりゃ驚くわよねえ」
と奥さんは楽しそうに笑う。
「いや30センチくらいあったんですよ!」
「あはは、まーた、おおげさなんだから」
「って、マサヨさんもあれ見たら、絶叫モノよ、きっと」
「はいはい。まあ、なんにもなくてよかったわ〜」
蜘蛛よ、隣の奥さんち行ってみ。
そんなジャイアントスパイダーだとはいえ、実質的な害があったわけではないので忙しさの中でそのつど忘れてしまっていた。今、考えてみればそれらは確かに奇妙なできごとだ。
それらについて、出会ったばかりのこの青年が、私のかたわれの指輪をしているというだけの事実で信頼に足るのか、まだ不確かだったのだが、謎を解きたい一心で話してみた。
彼は私の話をじっと聞いてから、
「蜘蛛は僕たちの使いですから問題ありません」
と言った。
「無害ですし、あなたを守るためにいます」
「いる? いないですよ?」
「います。家のどこかに」
「あのでかいやつが? まだ、どこかに?」
「はい」
「屋根裏とかですか?」
「・・・多分」
常軌を逸したことを涼しい顔で言いつのる男だ。
「ひょっとすると、あの蜘蛛は作り物ということ?」
「そうです。操作の不手際であなたの前に姿を現すことになったのは不本意でした。
申し訳ありません」
「それにしてもデカすぎですよ」
彼は首を傾げた。
「サイズに関しては僕の担当ではないのでなんともいえません。デザインはなかなか可愛かったと思うんですけど」
「いえ、憎たらしいです」
彼は、その言葉を、不合理だが立場上容認するしかないというような表情を浮かべて、深く息を吸い込んだ。
「そうですか。改良の余地がありますね」
どうやらデザインは彼の担当なのかも知れない。
「多分連絡取れるんですよね?蜘蛛と。もう2度と現れないように伝えてください」
「彼としては全力であなたを守っているつもりです。まあ、それが任務だということですが」
「何から守ってるんでしょうか?とくに守られている自覚はないです。
泥棒が入ったら退治してくれるんですか?」
「それは多分・・・」
彼は視線を泳がせた。
「多分?」
「知らん顔でしょうね」
「あ、そう・・・。では、何から?」
「光道一族の襲来からです」
「コウドウイチゾク?」
あのお香の匂いをかぐという高尚な趣味をお持ちの方々が、チームを組んで襲ってくるというのだろうか?
いったいなんのために?
「光の道ですよ、光道、その一族です」
とんでもないことをカジュアルに言ってのける態度からして、たぶん彼はこの事実を誰かと日常茶飯事に共有していて、この話題に関しては神経が麻痺しているということなのだろう。
私もついていければいいけれど、そう簡単にはいかない。
「なんですって? 」
「光道一族については、これから説明しますが、まず、私たちは湧水一族であることはご存知ですよね?」
記憶の一番遠いところにある、ひとつの場面が、じわじわと浮かび上がってくるような気がした。それは、子供の頃、曾祖母から聞いたことがある単語だった。
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