白い扉の向こう側
皐月墨華
風の便り
地面がふんわりと暖まってきた。春が近付いているのだ。
そう思うと、見上げる木々たちにも芽吹きの気配がする。
私たちが目を覚ます季節。
うんとひと伸びして、辺りを確認する。
なくなったものたちがたくさんある場所。いつもは日陰の場所で、何かが生まれた気がした。そちらの方に歩いて行く。人波は消える。私に誰も気付かない。
気付かれないまま、その気配を探す。
「……ん?」
わたしの角が、ぴくりと反応した。にょきにょきと生えているこの角は、いいことがある〝気がする〟ときに生えてくる。自分にとってのセンサーのようなものだ。誰かがくる、こない。きてほしい。ほしくない。
すべて世界の采配で、真っ赤な世界をとどめてくれる。
ぼんやりとしていると、不意に、視界に入り込んできた世界がみえる。くるくると世界が入れ替わって、河川敷の桜が広がっていく。縦に並んだ世界のうち、川だったものが、消えていく。
消えた先に、町並みが見える。見えた。
ここは、また、変わってしまった。
私の世界はちょっとずつ変わっていく。私の知っているひとたちは、少しずついなくなっていく。それが当たり前。それが普通。
ふわ、と風が流れて私に告げる。
「誰かが入ってきたらしいぞ」
「新顔さん、が、きた? ねえ、そうなんでしょ」
「ああ。そうだ」
「そっかあ。じゃあこっちかな」
「そうかもしれないなあ」
「もー、風さんはいっつもそう」
「オレは雲じゃないからなあ」
確かなことを知りたくて空を見上げるけれど、雨雲もない、まっさらな青空が見えるだけ。うーんと、ちょっと高くなった橋の欄干に上がってみるけれど、それも変わらない。山辺にも雲はない。雲さんには聞けないなあ、なんて思いながら歩く。
風はすぐに来てくれるけれど、気まぐれすぎて本当のことを言ってくれるかもわからない。さっきみたいにはぐらかされて終わりだ。
「気付いてくれるひとだったら、いいなー」
ぴょんと飛び跳ねて、地面に立つ。人には見。えないらしい私は、同じように見えないものたちと会話をするのが常だった。鳥も草木も、川に棲まう生き物も、地面を這うあれやこれやも、みんな、私の友だち。ふわふわと周りに漂っている世界を彩るのは、自分だけではない。それを知っているのは私以外の〝ちがうもの〟たちだ。
誰か、特に人が現れるときには予兆がある。
空気が変わる。ハコが変わる。生き物の流れが変わる。
良くも悪くも、変わる。変わってしまう。もとのいきものは何かに変わってしまうこともあれば、その存在のままどこかに行ってしまうことだってある。私は全部を追えない。
追いかける必要はない。
私はこの街が、すきだから。
この街以外のことを知りたいと思ったことはあるけれど、それはあくまで誰かと話したいから。私はここで、最後のひとつの命として、生きていたい。生き続けたい。
だから、歩くのだ。
「実際のところはどうなの、風さん」
「昨日よりも、花の香りが増えたなあ。いいや、種類が増えたのか」
「もう、適当なこと言って」
自分が住んでいたこの街に、世界の扉が開いたのはいつだっただろう。
彩りの気配はしていた。人々が集まることで輝きが溢れることを知った。軋轢も生まれることを知った。知らないことを、たくさん、知ることができた。
だから、春は好きだ。
春夏秋冬、どの季節でも人はたくさん動くけれど、より多くの人が動くのが、春だと聞いた。寒いときには外に出たくないから、きっとそのせいなのだろう。
気まぐれな風さんによると、またこの街に新たな住人が増えると聞いた。多くか少なくかはわからないけれど、それが言うというときは、必ず人が増える。
それはまるで、だれかから聞いた、魔法、のように思えたのだった。
***
「やーい、鬼の子!」
たまに私のことを見える人に出会うと、こんなことばっかりだった。だから、見えないほうがいいのかな、なんて思っちゃった。
そう思っていたら、雲さんも風さんも、そう言ってくるひとたちを、ぽいぽいとどこかにやってしまっていた。自分はわからなかったけれど、きっと、そういう風にできていたんだと思う。
ふたつにお礼は言えなかったけれど、それでもふたつは私を、撫でて、かわいがってくれた。それいがいのものたちも、みんな。
陰日向の中に生まれた私たちの行くべき場所などなかったから。
でも、そのひとは、ちがった。
「あら、カワイイ子」
私に気付いて、窓を開けて、そうして。
「笑って、る? 私、そんなにおかしな顔してる?」
「ううん、そんなことないわよ。とっても、カワイイ」
そのひとは、たぶん、女のひとだった。
白い扉の向こう。小さなスペース。
「初めまして、ちいさなお嬢さん」
「おじょう、さん」
「あなたのことよ」
「わたし」
「まだ開店まえだから、また来てね」
そう言って、窓は閉められてしまった。
開店前。
ここは、お店になるのだと、わかった。
「風さん、風さん」
「うん?」
「また、きていいのかな」
「いいんじゃないのか」
「そう……そうだよね!」
「おう」
それから先は、ずっと、早かった。
私だけで行くこともあったし、風さんと一緒に行ったこともあった。
陰日向がぽっかりと照らされている場所。影も光も憩う場所。
表通りからすこしだけ離れた裏路地のお店。三歩先にはおいしいご飯。喧噪から一歩離れたあたたかいばしょ。
そのお店に入れば、あたたかい世界がふわりと包み込んでくれる。
「あなたはなにをしているの」
「うーん、なにをしていると思う?」
「……おみせ?」
「うん、そうだねえ」
溶け込むように、自分の、本当にやりたいことも見えてくる。
このひとの役に立ちたい。立てたらいいなと、少しずつ、少しずつお手伝いをした。見えていたけど、みたくないものも、少しずつ。
メインストリートの賑わう人混みをさけて、少し北。昔ながらのざわめきが少しだけ遠くて、でも近くに子供たちが遊んでいる声。ひっきりなしに通る自転車。
そこからも、ちょっとだけ離れている。
「ここ、っぽいけどなあ」
どこだろう。どこにいるだろう。
ふわふわと
新しいもの。新しい人の流れが、空気が、それを作っていくことを、私は知っている。
知っているから、こんなくらい夜道も怖くはない。ゆるやかに灯る街路灯の明かりに、うっすらと浮かび上がる白の世界。
人の集まる世界はしあわせだ。
いつでも、ゆったりと流れる世界を待っている。
自分に必要なものが、分かる場所。わかるかもしれない場所。自分を見つけに行く場所。
そこには一輪、大きなお花が咲いている。ひまわりかもしれないし、ゆりかもしれないし、真っ赤なバラかもしれない。私がいちばんほしいお花がそこで咲いている。 愛でてもいいし、話しかけてもいい。きっとそのお花はおしゃべり好きのオンナノコなのだ。
「ねえねえ」
「どうしたの」
「また来て、いい?」
「うん。今日もありがとう」
「うん! またね!」
じっくり話して、ゆったりくつろいで。
自分の中にある何かを、作り上げて行く場所。
同じもので、違ういろ。
私だけの色が膨らむ場所。
好きな自分で居られるようになったとき、きっと、見つかる。
きらきらの粒。自分にとっての宝石がそこにある。それはもしかしたら、指先にちょんと乗るだけのものかもしれない。それでいい。
私にとって大事にしたいものは、自分のこころ一つだけだ。
多分だれもしらないけれど。
知っているひとは、知っている。
逢えたらきっと。逢うためきっと。
扉の向こうで話す、楽しそうな笑い声。
今日もきらきら輝く一輪が語りかけてくる。私は、何を、見たいのだろう。
自分はそこで出会える何かを求めて、そっと扉を開いたに、違いないのだ。
白い扉の向こう側 皐月墨華 @ccc015k
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