ライオンは強い 8

 パンを焼く香りで起きたらアンが白目をむいて寝る顔を直視してしまい、思わず叫び声をあげた。迎えにきたスバルは特に驚いた様子も見せず、おはーと気だるそうに言う。


「アンさんは朝なかなか起きないから先に飯食ってろ」


 女ってあんな顔で寝るのか。ショックだ。

 スバルに適当な服を渡されて着替えた俺は昨日と同じく子供みたいに運ばれ、ダイニングで作りたての朝食を貰った。昨晩みたいに食い散らかすとスバルに手を叩かれて綺麗に食えと叱責される。だけど男に指図されるのは苛つくのでより一層汚く食べてやった。


「スバルは日本人なんだよな」


 落としたばかりのコーヒーをマグカップに注ぐスバルが目線だけをこちらに向けた。


「そうだよ」

「じゃあこれなくても話せんの?」

「僕とレオンはできるよ」


 スバルはそういって自分の薬指から指輪を外して話し始めた。無駄な肉のない長めの指に指輪の跡がくっきりとついていて普段から肌身離さずなのが伝わってくる。


「ほら、分かるだろ」

「………」

「ばかあほちびレオン」

「はぁ!?」

「はいQ.E.D.」

「きゅ、何!?」


 再び指輪を嵌めたスバルは俺の質問を無視してコーヒーをすすった。


「昨日アンさんも言ってたけどそれ失くすなよ。アンさんはそれがないとお前の言葉が分からないから」

「このドラえもんの道具みたいなの何なの?」

「……あー。まさに未来道具だよ。ほんやくコンニャクだと思っとけ。それが一番わかりやすいから」

「でもアンはこの指輪つけてないよね」

「アンさんは赤ちゃんの時にインターフェースを植え付けたから指輪がいらないの。でも俺達はインターフェースがないからこれが代わりってわけ」


 インターフェースを植え付ける?


「インターフェースって何」

「…………アンさん以外にも、ここの住人の頭には塩の粒くらいの大きさの機械の粒が入ってる。その粒が入ってる同士なら外国語でも自動翻訳されてんだよ。ただ片方だけじゃ無理だから、僕達は粒の代わりに指輪つけてるの。触っても痛くないけどトゲ生えてるらしいよ」

「へ~……」

「————あれ、ほんやくコンニャクの方が性能上?あれって片方だけ食えばいいんだっけ?」

「片方だけでいけた気がする」

「じゃあコンニャクの方が上だわ。指輪外したらアンさんは僕の言葉わかんないから」


 指輪ってコンニャクに負けるのか。


「やっぱしょせんフィクションなんだなドラえもんって」


 俺とスバルの中でドラえもんの評価が下がった。


「ところでここ、どこなの。俺、気付いたらジョシュアのおっさんの家にいたんだよ。ここって外国なの?きっと俺、クソ親父に寝てる間に売られたんだ。最悪だよ」

「……外国みたいなとこだけど、国、ではないな」

「は?」

「ここは、強いていうならアン帝国」

「……どゆこと?」

「お前、どこまで覚えてる?この世界に来る前のこと」


 一転して重くなった空気を吸う暇もなくスバルが続けた。


「これは僕の予想だけど、お前多分元の世界で一回死んだよ。半分死んだ状態のお前は時空の歪みっていう天然のタイムマシンに偶然乗り合わせて、この世界に来たんだ」


 流石に冗談だろうと思った。だから面白い冗談だなと愛想笑いをしようとしたのに、元子役の癖にうまく笑えない。いや、だって、意味がわかんねーもん。だけど大真面目な顔のスバルを見ると茶化す事はできなかった。


「死ぬような心当たりがあるか?」


 俺の反応を探るようにスバルが口を開くと同時に、バケモノみたいなおっさんにのしかかられている映像が脳裏にフラッシュバックする。


「………首、しめられた」

「———悪ぃ。嫌な事思い出したな。レオンはちゃんと覚えてんだな。僕はすぐ思い出せなかったよ」

「……。タイムマシンって、どういう事」

「今西暦何年かわかる?」

「は?」

「最後にテレビで見た事件とかあるだろ。世間では何が起こってた?」

「いや、それくらいわかるよ。2008年だよ」

「2008年か……」


 スバルが腕を組んで自分の前腕をとんとんと叩き、垂れ目の奥の暗い瞳を俺に向けていた。一回ソッポを向いてんーと声に出したあと、何か考え悩んでるような顔ですぐまた俺を見た。


「分かった。落ち着いて聞けよ。今は23世紀。西暦でいうと2223年。お前が死んだ215年後だ」


 は?


「希望を持つのは可哀そうだから先に言う。きっと元の世界には戻れないよ僕達」


 …………はぁ?


 茶化している要には見えないスバルの真顔のせいで急にドラマの第1話が始まったのかと思った。主人公が俺で、スバルが主人公が所属するチームの先輩ってとこだ。だってそうだろ。タイムマシン、23世紀。215年後。2223年。全部現実の会話で出てこない言葉だよ。信じる方がばかだ。

 大体何?俺は死んだ?こんなにピンピンしてるのに?足は確かに半分ないけど、腹は減るし指は動くし心臓だって動いてる。昨日アンが俺をあったかいって言いながら寝たんだから体温がある。俺は生きてる。

 大体23世紀ってドラえもんよりも未来じゃんか。設定が滅茶苦茶すぎる。


「……あ、分かった。どっきり、どっきりだこれ」


 俺は部屋中をくまなく見渡した。吊るされたドライフラワーの割れ目にカメラのレンズがあるはずだ。


「『あの人は今』だろ?困ったな俺、今足こんなだし、しばらくドラマの撮影とかしてないから、カメラなんて」


 ドライフラワーにはない。じゃあ棚に飾ってあるぬいぐるみとか小物の間か。


「スタッフどこに隠れてんの?やだな、いつから?じゃあジョシュアのおっさんもどっきりな訳?趣味が悪すぎる……」


 ない。


「ちょ、ちょっとスバル。俺足隠したい。何でもいいから布ちょうだい……」

「受け入れろ、現実だよ」


 意味が分かんねぇー。

 椅子から転びかけた俺は、寸でのところで机にしがみ付いた。


「スバルから聞いてると思うけど、ここはレオンくんのいた世界じゃないのよね」


 スバルに起こされたアンはまだ少し眠そうだった。顔は洗ったそうだけど寝癖がついたままだ。胸の出てる昨晩のネグリジェに羽織だけ着て、ちょっとローテンション気味に紅茶とナッツを摘まんでいた。


「うんとね、元々この世界は君達みたいに異世界から来る人ってそんなに珍しくないの。私はそういう人に会うのスバルが初めてだったけどね。理屈は本読んでも分かんなかったけどここ200年でいわゆる時空の歪みみたいな事が生じやすくなったそうよ」

「じゃ、じゃあアンは未来人って事?」

「レオンとスバルから見たらそうなるわねー。だから私、君達より200歳ちょっと年下よ」


 俺はまだどっきりの可能性を探っている。だけどカメラらしきもの1つもないし、俺が知ってる科学力を越えた指輪の存在を目の当たりにした後だったから、スバルとアンが語る滅茶苦茶な設定の世界の事を飲み込まないといけないのかと思い始めていた。


は異世界同士で旅行とかもできたらしいんだけどね。私が生まれる前の話だから人伝で具体的な話はよく分かんないわ」

は?」

「この世界ね、世界丸ごとぜーんぶ崩壊しちゃったの。文明崩壊人類淘汰。20年くらい前にパンデミックが起きたせいでみんな死んじゃった。だから人類って今はもう1万人もいないんじゃないかな、もう原始時代みたいなもんよ。この家は自家発電で賄ってるから電気がつくし水も出るし、料理もできるしお風呂も入れるけど、外に出れば電力会社もないし工場とかもない。生き残ってる人は残されたものを上手に使って地味に生きてるの」


 緊張感のないアーモンドを噛む音が聞こえる。


「その指輪もそのうちの1つ。……えーっと、これは歴史の話だけど、200年の間に言語統一運動がおこったわ。国ごとに言葉が分かれてるのって不便だから効率化を図ったのね。科学の力を借りた人々はインターフェースを頭に埋め込んで、みんな徐々に世界共通語を話すようになった。私の母国語も世界共通語よ。でも、言葉を覚えられない人もいるしインターフェースの埋め込みを拒否する人もいたの。そういう人はその指輪を使っていたわ。いちいち言語設定が必要になるから不便なんだけど嵌めれば世界共通語の話者とも他国語を話す人とも話せるようになる便利アイテムよ」


 その後マイクロチップがどうとか仕組みを詳しく教えてくれていたけど聞いてもよく分からなかった。とりあえず未来道具だと思っておけば良さそうだ。


「スバルもね、去年のクリスマスの時期に来たのよね。スバルってば凄かったのよ。あははは、元いた世界じゃないってわかった瞬間、うふふふ、気絶しちゃって」

「ア、アンさん、それはいいでしょ」

「ママと引きずってベッドに運んだんだから。あはは。気絶しなかったなら凄い」


 笑い転げる寸前のような顔で話すアンの横で恥ずかしそうにスバルが顔を伏せている。耳まで赤かったけど気持ちはわかるのでいじらないでおいた。


「レオンくんは強い子だね」


 アンは笑いながら恥ずかしそうなスバルの頭を撫でていたけど、スバルは満更でもないという顔だ。犬みたい。


「ところで、アンちゃん的にはこれが本題なんだけど……」


 しかし、一瞬で真面目な顔になったアンは空色の目で俺としっかりと目を合わせた。何を言われるんだろう。昨晩のアンとのやり取りがあっても、つい、俺があの家でやっていたことだろうかと思って冷や汗が出る。あれについては俺はもう触れてほしくない。


「レオンくん、うちの子になっちゃいなよ」


 ところが予想もしていない内容にびっくりして声が出なかった。アンは真面目な顔からまたいつものにこにこ顔に戻る。


「もちろんガールフレンドが出来たり、他に居心地の良い場所があればそっちに移っていいわよ。ただ今は行くとこないでしょ。だからとりあえずうちの子になっちゃいなさいよ。面倒見てあげる」


 ということで、俺は今日からこの教会のとこの子ということになった。

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